新藤 兼人
(しんどう かねと、1912年(明治45年)4月22日 - 2012年(平成24年)5月29日)
日本の映画監督、脚本家。
日本のインディペンデント映画の先駆者であり礎をつくった。
また脚本家としても、多くの仕事をこなし、川島雄三監督/『しとやかな獣』(1962年)、鈴木清順監督/『けんかえれじい』(1966年)、神山征二郎監督/『ハチ公物語』(1987年)などがある。
映画賞以外の受賞
1996年(平成8年)第14回川喜多賞。
1997年(平成9年)文化功労者。
2002年(平成14年)文化勲章。
2011年(平成23年)第59回菊池寛賞を授与。
2012年6月26日、日本政府は新藤監督が数々の作品への功績と映画界への貢献を評価して逝去日の5月29日を以て従三位に追叙した。
映画監督 作品
愛妻物語(1951年) - キネマ旬報ベストテン第10位
雪崩(1952年)
原爆の子(1952年)
- カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭グランプリ
エディンバラ国際映画祭脚本賞・名誉賞
英国アカデミー賞国連平和賞
メルボルン国際映画祭グランプリ
ポーランドジャーナリスト協会名誉賞
フランス映画愛好家連盟賞
縮図(1953年)原作:徳田秋声
女の一生(1954年)
どぶ(1954年)
狼(1955年)
銀心中(1956年)原作:田宮虎彦
流離の岸(1956年)
女優(1956年)
海の野郎ども(1957年)
悲しみは女だけに(1958年)
第五福竜丸(1959年)
花嫁さんは世界一(1959年)
裸の島(1960年)
モスクワ国際映画祭グランプリ
メルボルン国際映画祭グランプリ
リスボン映画祭銀賞
ベルリン国際映画祭セルズニック銀賞
諸国友好のための親善映画祭グランプリ
マンハイム映画祭グランプリ
宗教と人間の価値映画祭国際ダグ・ハマーショルド賞
キネマ旬報ベストテン6位
人間(1962年)原作:野上弥生子
文部省芸術祭文部大臣賞
母(1963年)
- 毎日芸術賞
鬼婆(1964年)
悪党(1965年)原作:谷崎潤一郎
本能(1966年)
性の起原(1967年)
藪の中の黒猫(1968年)
強虫女と弱虫男(1968年)
かげろう(1969年)
文化庁芸術祭優秀賞
触角(1970年)
裸の十九才(1970年)
- モスクワ国際映画祭金賞
鉄輪(1972年)
讃歌(1972年)原作:谷崎潤一郎
心(1973年)
わが道(1974年)
ある映画監督の生涯 溝口健二の記録(1975年)
- キネマ旬報ベストテン1位・監督賞
竹山ひとり旅(1977年)
- モスクワ国際映画祭監督賞
ソ連美術家同盟賞
ドキュメント8.6(1978年) - テレビドキュメンタリーとして製作。
「原爆の子」の子役達との再会。
原爆投下したエノラ・ゲイ号の元機長ポール・ティベッツとの面談を要求
絞殺(1979年)
- ヴェネツィア国際映画祭、乙羽信子「主演女優賞」
北斎漫画(1981年)
地平線(1984年)
ブラックボード(1986年)
落葉樹(1986年)
さくら隊散る(1988年)
濹東綺譚(1992年)
午後の遺言状(1995年)
モスクワ国際映画祭ロシア批評家賞
キネマ旬報ベストテン1位
日本アカデミー賞最優秀作品賞 他多数
生きたい(1999年)
モスクワ映画祭グランプリ・国際批評家連盟賞、ロシア批評家賞
三文役者(2000年)
モントリオール映画祭特別グランプリ
ふくろう(2004年)
- モスクワ映画祭功労賞
石内尋常高等小学校 花は散れども(2008年)
一枚のハガキ(2011年)
第23回東京国際映画祭審査員特別賞
第36回報知映画賞特別賞
キネマ旬報ベストテン1位
番外映像
『鬼婆』のメイキング映像
サンフランシスコアート文化センターの新藤兼人特集の映像
ロシアでも人気の高かった新藤兼人監督のインタビュー
モスクワ映画祭でしょうか?公開記者会見の模様です。