“I wanna be just like a melody”
匿名であること、誰でもいい不特定多数の存在であるということは、逆にいえば「誰でもない存在=nobody」でもあるということだ。それゆえに、匿名的な存在としてのAIロボットは生来的に「事物」あるいは「不在」としての眼差しを持っている。レプリカントのロイは、その眼差しが持つ哀しみを詩として言葉に表した。それに対して、同じように事物としての眼差しを持ったヤンの耳に聴こえていたのは、『リリイ・シュシュのすべて』(2001)の主題曲といえる「グライド」だった。「誰でもない存在」として地獄のような現実を生きていた『リリイ・シュシュのすべて』の少年少女たちにとって、その生をかろうじて繋ぎ止めていたのが、劇中に登場する架空のシンガー・ソングライターである「リリイ・シュシュ」の音楽だ。この世界のどこにも逃げ場のない彼らの気持ちを代弁するように、「私はメロディのようになりたい」と歌われた「グライド」の歌詞がAIロボットの耳に届くとき、そこにはどんな感情が生まれるのだろう。
「メロディのようになりたい。シンプルな音を奏でて、ハーモニーの中にいたい」。ある一定の周波数が空気を震わせ、波動となって空間を伝わっていく。波動はやがてメロディを形づくり、そこに音楽が生まれる。誰のものでもない、単なる「事物」であるはずの空気の振動が、この私の心をも震わせる。誰のものでもない記憶=記録がメロディとなって誰かの記憶に刻印されるとき、そこにハーモニーが生まれることを、きっとヤンは知っていたに違いない。それを証明するかのように、Asuka Matsumiyaによる静謐なメロディが、UAの楽曲「水色」を元にしたもう一つのメロディと呼応し、美しいハーモニーを奏でている。
本作のラスト、スクリーンに正対したジェイクとミカ(マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ)の二人を「静止」させることで、コゴナダは本作もまた誰のものでもない記憶=記録であることをあらわにしている。肉体は滅びたとしても、記憶=記録は残る。その不在の眼差し、事物としての記憶=記録を封じ込める装置こそが、ヤンが内蔵していたメモリバンクであり、つまりは映画という装置なのだ。残された膨大な記憶の宇宙を前に目眩を起こしつつ、今日もまた私たちはその中を彷徨い続ける。なぜなら、我々もまたその旅の途上、ふとした瞬間に、残された記憶と私たちの記憶が重なり合い、ハーモニーとなって鳴り響くことを知っているから。「無がなければ有も存在しない」とヤンは言った。無=不在によってこそ、有=生を照らし出すことができる。鎌倉の円覚寺にある小津の墓碑には、真四角の黒御影石に「無」の一字が刻まれている。小津の眼差しを継承したコゴナダ=KOGONADAの名前にもまた、「NADA=無」の文字が入っていた。
映画『アフター・ヤン』予告篇
【ストーリー】
“テクノ”と呼ばれる人型ロボットが、一般家庭にまで普及した未来世界。茶葉の販売店を営むジェイク、妻のカイラ、中国系の幼い養女ミカは、慎ましくも幸せな日々を送っていた。しかしロボットのヤンが突然の故障で動かなくなり、ヤンを本当の兄のように慕っていたミカはふさぎ込んでしまう。修理の手段を模索するジェイクは、ヤンの体内に一日ごとに数秒間の動画を撮影できる特殊なパーツが組み込まれていることを発見。そのメモリバンクに保存された映像には、ジェイクの家族に向けられたヤンの温かな眼差し、そしてヤンがめぐり合った素性不明の若い女性の姿が記録されていた……。
監督・脚本・編集:コゴナダ
原作:アレクサンダー・ワインスタイン「Saying Goodbye to Yang」(短編小説集「Children of the New World」所収)
撮影監督:ベンジャミン・ローブ
美術デザイン:アレクサンドラ・シャラー
衣装デザイン:アージュン・バーシン
音楽:Aska Matsumiya
オリジナル・テーマ:坂本龍一
フィーチャリング・ソング:「グライド」Performed by Mitski, Written by 小林武史
出演:コリン・ファレル、ジョディ・ターナー=スミス、ジャスティン・H・ミン、マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ、ヘイリー・ルー・リチャードソン
2021年|アメリカ|英語|カラー|ビスタサイズ|5.1ch|96分|原題:After Yang|字幕翻訳:稲田嵯裕里|映倫:G一般
配給:キノフィルムズ
提供:木下グループ
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