すべては「天目茶碗」から始まった。禅寺から見た日本人とお茶の歴史〜相国寺承天閣美術館『茶の湯-禅と数寄』
お茶を飲む習慣が中国から伝わったこと、伝えたのが禅僧の栄西だったことは、教科書でも習う「日本人の常識」だ。それでも我々は「茶の湯」と聞くといかにも日本的な伝統だと即座に思うし、「柔道」や「剣道」と同様に、明治以降称揚された日本人の「道」探求哲学で、「茶道」という言い方も以前はあった。
近世に千利休が登場して以来、明治・大正の「近代数寄者」財閥リーダー達の時代まで、「茶の湯」は日本文化の中枢にあり、一時はあらゆる文化のベースにもなっていた。書画の掛け軸は茶席に掛けるために珍重され、茶器として飛躍的に発展した陶磁器生産は江戸時代にすでに対ヨーロッパ主要輸出産業に成長し莫大な収益を上げていた。...