ダニエル・デイ=ルイスが再びスクリーンに戻ってくる。アカデミー主演男優賞を三度も受賞し、一作一作に全身全霊を注ぐ彼の演技は、「俳優」とは何かを問い続ける存在だった。例えば、『マイ・レフトフット』(89)では脳性麻痺を抱えたクリスティ・ブラウンとして車椅子を徹底して離さず、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07)では荒野で掘削者として暮らし、『リンカーン』(12)では撮影中のみならずオフでも大統領を演じ続けた。こうした役への完全な没入は、“演じている”のではなく、その人物として“生きる”ことを目指した方法演技の極致である。
こうした精神的、肉体的な消耗ゆえか、デイ=ルイスは1997年、映画『ボクサー』の撮影後に突如として俳優から距離を置いた。彼はイタリア、フィレンツェへ移り、靴職人ステファノ・ベーメルの下で実際に靴作りを学んだという。そこでは「完璧さ」を追求する職人の視線が、彼の演技観と重なった静かで深い“ものづくり”への没頭が必要だったのだ。
その後、2002年にマーティン・スコセッシ監督の『ギャング・オブ・ニューヨーク』で復帰。しかし、再び2017年のポール・トーマス・アンダーソン監督作品『ファントム・スレッド』を最後に引退を発表した。だが、その彼が息子であるローナン・デイ=ルイス監督による『Anemone(原題)』で8年ぶりにスクリーンへと帰還する。
『ファントム・スレッド』予告編
なぜ「名優」と呼ばれるのか
まず挙げたいのは、その圧倒的な役への専心だ。役に取り憑かれたように心身を投げ出し、ときには健康を犠牲にするほど徹底する。これは単なる演技ではなく、存在そのものの再構築だ。次に、表現の幅と多様性。暴力と感情が交錯するギャング、『ファントム・スレッド』の繊細な狂気、リンカーンの静謐な威厳。彼は感情のスペクトラムを自在に操り、誰とも似ていない個性を演じる。さらに、俳優という職人性。ベーメルの下で靴を作るという長い休息は、演技と同様に“ものづくり”への愛と探究心の表れである。それは職業ではなく、“表現と自己の統合”としての姿勢を示している。
加えて、彼の希少性と作品を選び抜く姿勢も特筆される。数年ごとに最高水準の作品を選び、それを確実に創り上げてきた。結果として、一作一作が強烈な印象を残す。これは現代の映画界において、流通量に頼らず質だけで存在感を刻む“異端のスター”である証でもある。
ポール・トーマス・アンダーソン監督が語るダニエル・デイ=ルイス
復帰作『Anemone』に映る深み
最新作『Anemone』は、父と息子による脚本共作により生まれた家族の物語である。ダニエルが演じるのは、隔絶した生活を送る隠遁者レイ・ストーカー。元軍人という過去を抱え、弟との再会を前に断絶と沈黙の中に生きる男だ。弟役にはショーン・ビーンが起用され、限られた言葉と深い表情の中で展開される緊張感あるドラマが期待される。
この作品は、かつてのような「役に全身全霊を浸す」過程の継続であると同時に、より内面的で成熟した表現を目指すようにも見える。過去の職人気質は、今や“家族への理解”と“人生の静かな反省”へと昇華されている。それゆえ、『Anemone』は芸術性と個人的体験が紡ぎ合わされた、静かなる帰還の物語であるといえるだろう。
父として、職人として
ダニエル・デイ=ルイスは、俳優として演技に“没頭する者”ではなく、“役を生きる者”そのものだ。その姿勢は、かつての引退が示すように、深い疲労を伴いながら成り立っていた。そして今回の復帰作は、単なるスクリーンへの回帰ではなく、父として、職人としての表現者の円熟がそこにある。『Anemone』は、名優が最も近しい場所=家族と向き合って紡ぐ、新たな一章となるに違いない。プランB製作による本作は、9月26日(現地時間)より開催されるニューヨーク映画祭でプレミア上映後、10月3日よりアメリカで公開される。
『Anemone』予告編
参考:IndieWire “‘Anemone’ Trailer: Daniel Day-Lewis Returns to the Big Screen in His Son’s Directorial Debut”




