ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。
——ポール・ニザン『アデン・アラビア』(篠田浩一郎訳)

終わりの季節としての青春映画

青春とは、甘美な季節ではない。誰もが懐かしく語るあの時間は、しばしば痛みと不安、迷いと絶望の入り混じった「未決の時間」として現れる。ポール・ニザンの『アデン・アラビア』は、そんな青春に対して怒りをぶつけるように始まる。

この一文が提示するのは、青春の虚飾に対する拒絶である。そこにあるのは、美しさではなく無知と孤立、焦燥と不安である。だが、だからこそ青春は本質的に「意味がない」。その時間の中で、私たちは世界の輪郭を知らず、居場所も目的もなく彷徨っている。

山下敦弘の映画は「オフビート」や「モラトリアム」といった言葉で形容されてきた初期の作品にも表れているように、そうした青春の「意味のなさ」に、徹底して向き合ってきた。なかでも『リンダ リンダ リンダ』(05)は、文化祭を目前にした高校生たちのわずか四日間のやりとりを描くことで、山下自身が本作において発見した青春の逆説──「意味がないが、意味がないことには意味がある」──を静かに、しかし力強く提示している。
(『アデン・アラビア』のような青春の怒りと苦悩、変革と挫折が真正面から描かれている『マイ・バック・ページ』(11)は、その意味では例外的だといえる)

画像1: © 「リンダ リンダ リンダ」パートナーズ

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「意味なんかないよ」という逆説

『リンダ リンダ リンダ』の物語は、ごく些細な偶然の連なりから始まる。軽音部のバンドが文化祭を前にケンカ別れし、新たに韓国からの留学生ソン(ペ・ドゥナ)をボーカルに迎え、ブルーハーツの「リンダリンダ」を演奏するまでの四日間を描く。

ソンは、何かを達成したくてバンドに入ったわけではない。ただ、そうなったから。たまたま、そこを通りがかって、別に断る理由もなかったから。つまり「意味のある行動」ではない。元々のバンドが崩壊してしまったきっかけである恵(香椎由宇)と凛子(三村恭代)のやりとりが、そのことを明言している。

凛子「嫌じゃないけど、やって意味あんのかなって」
恵「別に意味なんかないよ」

意味があるからやるのではなく、意味がないけれど、やる。その行為は目的論的ではないが、だからこそ誠実であり、真摯でありうる。ここにあるのは、「意味のなさを肯定する倫理」──つまり、「意味がないから手を抜いていいわけではない」という価値観である。この倫理観は、2024年の映画『水深ゼロメートルから』にも通底している。

山本「それは最初から『意味がない』って決めつけているからでしょう?『意味がない』って思ったら、意味があることでも意味がなくなるんです。それに、たとえ本当に意味がなかったとしても、手を抜いていい理由にはなりません」

体育の教師である山本(さとうほなみ)が高校生たちに放つこの言葉は、20年前の『リンダ リンダ リンダ』に漂っていた感覚を、より直接的に言語化したものだ。山下敦弘は、青春という時間の“不毛さ”と“かけがえのなさ”のあいだで、つねに揺れ動く視線を保っている。

画像2: © 「リンダ リンダ リンダ」パートナーズ

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“終わり”から世界を照らす──山下作品の時間感覚

山下作品における「時間」は、未来へ向かって開かれたものではなく、「終わり」によって縁取られている。『リンダ リンダ リンダ』で描かれるのは文化祭という、始まった瞬間に終わることが約束された“祭り”の前日譚であり、すべての行為は「一度きりのライブ」へと収束していく。その時間構造は、つねに「終わり」から逆照射されている。『天然コケッコー』(07)には、主人公そよ(夏帆)によるモノローグにこんな台詞がある。

そよ「もうすぐ消えてなくなるかもしれんと思やあ、ささいなことが急に輝いて見えてきてしまう」

この「消えていくことによって輝く」という視点は、アメリカン・ニューシネマに深く影響を受けた山下作品に共通する世界の捉え方であり、その“静けさ”の奥にある深い死生観を支えているものだといえる。

また、『告白 コンフェッション』(24)では、ある事件を契機に止まってしまった時間を生きる男たちの姿が描かれる。「時間が流れない」ことの重さ、それでも日常が容赦なく過ぎていくことへの戸惑いと罪悪感──ここでもまた、時間の“不可逆性”と“終わり”への感覚が核となっている。

「歌」が時間を切り裂く──通過儀礼としてのライブシーン

『リンダ リンダ リンダ』のクライマックスで演奏される「リンダリンダ」は、単なる成功体験やカタルシスとして配置されたものではない。それはむしろ、「一度きりの祝祭=通過儀礼」として、青春の終わりを可視化する場面である。

ソンがマイクに向かって絶叫し、バンドメンバーが全力で音を鳴らすその瞬間、彼女たちは自分たちの「意味のなさ」と「意味のなさを生きることの尊さ」を、まさに身体で表現している。

この「歌の瞬間」が時間を切り裂き、未来とも過去とも断絶した“今だけ”の空間を生み出す。山下作品では、こうした“歌”がたびたび時間を超える装置として機能する。

たとえば『味園ユニバース』(15)では、記憶を失った男が、歌を通じて過去とつながりなおす。『カラオケ行こ!』(24)では、中学生とヤクザが「歌」によって不可思議な関係性を築く。

山下にとって「歌」とは、“意味がなくても全力でやること”の最たる象徴であり、それが最終的に時間を一瞬だけ止め、永遠にしてしまうメディアなのだ。

画像3: © 「リンダ リンダ リンダ」パートナーズ

© 「リンダ リンダ リンダ」パートナーズ

“誰もいない場所”で名を呼ぶ──終わりの感触と倫理

文化祭最終日の本番を控えた前日の夜、ソンはひとり校舎の夜道を歩き、誰もいない体育館のステージに立つ。そして、静かにメンバーの名前を呼ぶ。

誰もいない体育館。ただ、白い壁を背にしたソンの声だけが響く。そこには「終わりのあとの静けさ」がすでに漂っている。演奏の前日であるにもかかわらず、まるで彼女たちがすでに“解散”してしまったかのような余韻が流れている。

この場面は、「意味のなさ」に対するもっとも美しい応答である。観客もいない、メンバーもいない、成果も期待されていない。ただ、彼女は名を呼ぶ。「ここにいた」という事実だけが、スクリーンに刻まれる。

これは、映画という記録メディアそのものを象徴する場面でもある。誰も見ていなくても、記録は行われる。意味があってもなくても、その記録は残り続ける。

この静謐な時間にこそ、『リンダ リンダ リンダ』という映画が秘めた“終わりを肯定する倫理”が凝縮されている。

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画像1: 夜の葉〜映画をめぐる雑感〜
#18『リンダ リンダ リンダ』とポール・ニザン『アデン・アラビア』
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画像2: 夜の葉〜映画をめぐる雑感〜
#18『リンダ リンダ リンダ』とポール・ニザン『アデン・アラビア』

意味のないことを記録する行為としての映画

山下敦弘の映画は、「何かを教える」ことを目的としない。彼の映画は、ただ「見つめる」。そのなかで、意味があるかどうかわからないことを、とにかく残そうとする。

それは、映画というメディアの本質でもある。

映画は記録である。意味のない瞬間、忘れられがちな時間、語られない声──そういったものを、そこに“あった”こととして保存する。それがどれほど無駄に見えたとしても、記録されることで、それは「意味を持っていた」と誰かが言えるようになる。

ソンが舞台の上で誰もいない観客席に向けて名前を呼ぶとき、その行為の無意味さと誠実さは、映画の根源的な姿勢と重なっている。誰かがそれを見てくれるかどうかではなく、「今、それをやること自体に意味がある」と信じること。

「意味がない」ことの輝き

高校時代は、一生で最も美しい時間とは限らない。だが、「意味がない時間」に手を抜かず、懸命に生きようとしたその姿は、やはり美しいのだ。

山下敦弘は『リンダ リンダ リンダ』において、その美しさを正面から描いた。それはロマンティックでも、ノスタルジックでもない。ただ、「意味がないことに手を抜かない」その誠実さのなかに、映画だけが捉えられる一瞬の輝きがある。

そしてそれは、人生のあらゆる時間にも通じている。青春とは、たしかに「意味がない」。だが、「意味がないことには意味がある」。

この逆説に向き合うために、私たちは何度でも、『リンダ リンダ リンダ』に立ち返ることができるだろう。

『リンダ リンダ リンダ 4K』予告編

画像: - YouTube youtu.be

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ゼロ年代を代表する珠玉の青春映画がcoming back!!

公開から20年経っても色あせるどころか、世界中にファンを増やし続ける珠玉の青春映画『リンダ リンダ リンダ』。熱いファンの想いは海を越え、アメリカでは本作タイトルにインスパイアされたバンドTHE LINDA LINDASが誕生するなど、世界的な現象も!

韓国のみならず、世界で活躍する俳優ペ・ドゥナが歌う、たどたどしくも心に響くブルーハーツの名曲たち、実際にドラムとギターに挑んだ前田亜季と香椎由宇のひたむきなたたずまい、演技初挑戦ながら女優たちと渡り合った本職ミュージシャンの関根史織(Base Ball Bear)。このコンビネーションを奇跡的な作品にまとめ上げたのは当時弱冠27歳だった山下敦弘監督。4Kデジタルリマスター版では、35mmフィルムの質感は残しながらも、細部をクリアに。誰もが心に抱く青春の記憶がより一層鮮やかに胸に迫る!

過ぎていく時間 何よりもやさしい 何よりもあたたかい

⽂化祭前⽇に突如バンドを組んだ⼥⼦⾼⽣たち。
コピーするのはブルーハーツ。ボーカルは韓国からの留学⽣!
本番まであと3⽇。4⼈の寄り道だらけの猛練習が始まった!

出演:ペ・ドゥナ、前田亜季、香椎由宇、関根史織 (Base Ball Bear)
三村恭代、湯川潮音、山崎優子(新月灯花/RABIRABI)、甲本雅裕、松山ケンイチ、小林且弥

監督:山下敦弘
脚本:向井康介、宮下和雅子、山下敦弘
音楽:James Iha
主題歌:「終わらない歌」(ザ・ブルーハーツ)
2005年/日本/カラー/1:1.85/114分

製作:「リンダ リンダ リンダ」パートナーズ
配給:ビターズ・エンド
©「リンダ リンダ リンダ」パートナーズ
公式X:@linda_4k
公式Instagram:@lindalindalinda4k

8月22日(金)より、新宿ピカデリー、渋谷シネクイントほか、全国ロードショー

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