1930年代のアメリカ南部。深い森と湿った空気の中で始まる映画『罪人たち』は、ジャンルの境界を超えた語りを展開する。多様なテーマが内包された本作で、今回は女性たちの存在に焦点を当ててみたい。奴隷制の記憶を背負い、差別と暴力にさらされながらも、それでも土地に根ざし、生き延びてきた彼女たちの「語り」と「身体」が、作品の根幹を静かに、だが確かに支えているからだ。

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差別の境界に立つ
──メアリーという“通過する”存在
ヘイリー・スタインフェルドが演じるメアリーは、いわゆる“white-passing”(白人として通用する)黒人女性として描かれる。彼女は肌の色によって白人社会に“入り込む”ことができるが、その特権性は同時に、自らのルーツを否認する痛みと表裏一体である。
この「見え方」と「見られ方」のズレこそ、映画が問う人種差別の深層である。スタインフェルド自身、母方の祖父に黒人とフィリピン系の血を引く人物がおり、役と自身のアイデンティティが重なる過程そのものが、映画の語る「名づけられない混淆の痛み」に直結している。
メアリーは、黒人であるがゆえに差別され、同時に“白人であるふり”ができるがゆえに共同体からも断絶される。この宙吊りの存在こそ、アメリカ社会における人種とジェンダーの複合的な抑圧構造を象徴しているだろう。
土地と信仰を継ぐ者
──アニーという精神的中心
ウンミ・モサクが演じるアニーは、ヴードゥー教という黒人民間信仰の施術師であり、メアリーとは対照的に、自身のルーツに深く根ざした存在だ。彼女は、かつての恋人スモーク(マイケル・B・ジョーダン)との関係を通じて、愛と裏切り、信仰と癒し、暴力と再生といったテーマを体現する。
アニーの存在が特筆すべきなのは、彼女が単なる宗教的象徴ではなく、「語る身体」としての役割を果たしている点だ。口承文化の担い手であり、土地と死者(それはスモークとの間に生まれた亡子も含まれる)との交信者でもある彼女は、黒人女性の歴史がいかにして“語られてこなかったか”を、そのまなざしと沈黙で語っている。
モサクはこの役に取り組む中で、自身のアフリカ系ルーツを改めて再発見したと述べており、彼女の演技は個人的な探求と歴史的な記憶の交差点に立っている。それは、現代において“黒人女性であること”が意味するものを再考させる力を持っている。

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女性たちの多声的な物語として
このメアリーとアニーの2人に、望まない結婚を強いられた歌手パーリン(ジェイミー・ローソン)や中国系移民のグレース・チョウ(リ・ジャン・リ)を加えてもいいだろう。『罪人たち』が優れているのは、単に「被害者」としての女性を描くのではなく、彼女たちを多層的で複雑な存在として描いている点だ。通過(メアリー)と定着(アニー)、沈黙と語り=ブルース、そして昼間の光の中で生きる姿と、夜の闇の中で生きる影の姿。彼女たちは一枚岩ではなく、むしろ多様性と矛盾を内包する境界的な存在として描かれる。彼女たちの声や存在は「誰にも語られることのなかった声」や「歴史に刻まれなかった記憶」をすくい上げ、女性たちが語ること、あるいは語らないことの政治性を浮かび上がらせてもいる。そのような点でも、『罪人たち』はジャンル的な楽しさとともに、明確な批評性を作品にもたらしているのだ。

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伝統と抵抗の交差点で
アニーが抱えるヴードゥーの伝統や、メアリーの内部に渦巻くアイデンティティの分裂は、いずれも「黒人女性として生きるとはどういうことか」を問うかのように展開する。そしてそれは宗教的、政治的背景を持ちながら、抵抗の物語=ブルースとして観客に届く。
彼女たちの物語は、アメリカにおける女性たちの歴史的トラウマと精神的レジリエンスの系譜に連なるものであり、同時に、それぞれの女優のパーソナルな背景とも交錯している。そのため『罪人たち』は、単なるジャンル映画ではなく、文化的・身体的記憶を背負った映画としても見ることができるだろう。
語り得ぬものを語るために
『罪人たち』は、傷ついた身体と声なき記憶の映画である。そして何より、女性たちの語り得ぬ歴史を、ホラーやスリラーというジャンル形式に潜ませながら解き放つ試みでもあるのだ。
彼女たちは語り歌う。「私はここにいた」と。そして観客に問いかける。「あなたはその声を聞く準備ができているか」と。
『罪人たち』予告編
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youtu.beストーリー
悪魔と共に踊り狂い、夜明けまで生き残れ。
1930年代の信仰深いアメリカ南部の田舎町。双子の兄弟スモークとスタックは、かつての故郷で一攫千金の夢を賭けた商売を計画する。それは、当時禁じられていた酒や音楽をふるまう、この世の欲望を詰め込んだようなダンスホールだった。オープン初日の夜、多くの客たちが宴に熱狂する。ある招かざる者たちが現れるまでは…。最高の歓喜は、一瞬にして理不尽な絶望にのみ込まれ、人知を超えた狂乱の幕が開ける。果たして兄弟は、夜明けまで、生き残ることが出来るのか――。
監督・脚本・製作:ライアン・クーグラー(『ブラックパンサー』シリーズ、『クリード』シリーズ)
出演:マイケル・B・ジョーダン、ヘイリー・スタインフェルド、マイルズ・ケイトン、ジャック・オコンネル、ウンミ・モサク、ジェイミー・ローソン、オマー・ベンソン・ミラー、デルロイ・リンドー
オフィシャルサイト:SINNERS-MOVIE.JP
ハッシュタグ:#映画罪人たち
原題:Sinners/映倫:PG12/上映時間:2時間17分/配給:ワーナー・ブラザース映画
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