地中海では、一度はぜひ行ってみたい場所があります。

ヴァレリーのセートの港。

セザンヌが描いたサント・ヴィクトワール山。

そして今回の展覧会でご紹介される、

マティスが晩年にとりかかったヴァンスのロザリオ礼拝堂です。

画像: (アンリ・マティス《花と果実》の展示 1952-1953年 ニース市マティス美術館蔵)「© Succession H. Matisse」

(アンリ・マティス《花と果実》の展示 1952-1953年 ニース市マティス美術館蔵)「© Succession H. Matisse」

本展覧会では、フランスのニース市にあるニース市マティス美術館の所蔵作品を中心に、切り紙絵に焦点を当てながら、絵画、彫刻、テキスタイル等の作品や資料を約150点紹介しています。

それでは、Section1「色彩の道」、Section2「アトリエ」、Section3「舞台装置から大型装飾へ」,Section4「自由なフォルム」、Section5「ヴァンスのロザリオ礼拝堂」のなかから、主要な作品を、マティスの人生とともにご紹介いたします。

 

画像: (乃木坂方面より国立新美術館のファサードを望む)

(乃木坂方面より国立新美術館のファサードを望む)

マティスは、1869年に北フランスの町(ノール県ル・カトー=カンブレジ)に生まれています。

最初は、パリに出て、法律事務所で働くのですが、虫垂炎を患って、兵役も免除されていたところ、母親から絵具箱を与えられて、絵を描き始めます。

父親は落胆しましたが、法律の道を放棄し、パリで画家になることを決意します。

ここには、マティスの初めての油絵作品《本のある静物》や初期の作品も展示されています。

マティスは、その後、国立美術学校(エコール・デ・ボザール)を受験しますが、なかなか受かりませんでした。

当時の国立美術学校の教授は、象徴主義で知られるギュスターヴ・モロー(1826-98)です。「一角獣」や「踊るサロメ」の作品で知られるモローこそは、マティスやルオーの師でした。マティスは、そこで非正規とはいうものの、幻想的で神秘的な画題を扱うモローから指導受け、アルベール・マルケやジョルジュ・ルオーと知り合いになります。国立美術学校に正式に合格し、モローの教室に入ったのは、26歳の時でした。

画像: (アンリ・マティス《ブルー・ヌードⅣ》1952年 オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託))「© Succession H. Matisse」

(アンリ・マティス《ブルー・ヌードⅣ》1952年 オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託))「© Succession H. Matisse」

それ以後、ブルターニュに赴いて制作するなどの苦節十年の生活が続きます。しかし、ひとつの転機がやってきます。マティスが36歳の時でした。ドランやヴラマンクとともに、サロン・ドートンヌに作品を出品したときのことでした。

出品作品の並んだ展示室の原色系の激しい色彩とタッチに対して、「野獣(フォーヴの檻)」と評論家から評されたのです。以後、マティスたちの筆触による作品は「フォーヴィスム(fauvisme野獣派)」と呼ばれることになります。マティスは、その交友関係の中心人物だったのです。ここには、ベルエポックを体現するとともに、世紀末芸術の暗い閉塞性を打ち破る色彩の感覚と情熱がありました。以後、こうした傾向の流れは、ゴッホ的な表現主義とゴーガンにつながる造形や装飾を継承した両極であるヴラマンクやマティスへと続きます。

そうした激しい色彩表現とその後には単純化した表現で深い色彩の効果とデッサンを実現したマティスの作品は、アメリカ人のガートルード・スタインやロシア人のコレクターに購入されていきます。マティスは、スタイン家の仲介で、ピカソとも出会っています。

マティスの絵は、その絵を現在数多く所蔵しているアメリカと《赤の食卓(赤のハーモニー)》(1908年 エルミタージュ美術館蔵)を所蔵するロシアに人気がありました。

画像: (上は「アンリ・マティスのアトリエでの風景」下は《アンリ・マティスの絵の具パレット5個》ニース市マティス美術館蔵)「© Succession H. Matisse」

(上は「アンリ・マティスのアトリエでの風景」下は《アンリ・マティスの絵の具パレット5個》ニース市マティス美術館蔵)「© Succession H. Matisse」

さて、第一次大戦中から、マティスは、老画家のルノワールを訪ねた翌年でしたが、南フランスのニースを拠点として活動します。

マティスが拠点にしたニースは、プロヴァンス地方のコートダジュール海岸に面したマルセイユの街からは東寄りの港です。コートダジュール空港からは、ルノワール美術館もすぐ近くにあります。

第一次大戦後の50歳を超える頃から、アントワネット・アルヌーやアンリエット・ダリカレールをはじめとするモデルにより、明るい陽光のもとで《オダリスク》の絵などが制作されました。マティスは、夏はパリで暮らし、冬は暖かいニースに拠点を移しながら、空間表現の実験と装飾的な大胆な制作に励みます。海外には、アルジェリア、イタリア、モスクワ、二度のモロッコ、アメリカの各都市からタヒチなどに赴きました。パリやロンドンに滞在している時には、ギメ美術館やヴィクトリアン・アンド・アルバート博物館に赴き、数々の東洋やアフリカの工芸品や美術品にも接しています。

しかし、平穏そうに見えたヨーロッパも風雲は急を告げ、第二次大戦の時代となります。

マティスの妻と娘は、対独レジスタンスの容疑によって、逮捕されるといった事件もありました。

画像: (内覧者の風景、右からアンリ・マティス《パペーテ−タヒチ》1935年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵、中央が《森の中のニンフ(木々の緑)》1935年-1943年 油彩/カンヴァス オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)、左は《花と果実》の一部 1963年 ニース市マティス美術館蔵)いずれも「© Succession H. Matisse」

(内覧者の風景、右からアンリ・マティス《パペーテ−タヒチ》1935年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵、中央が《森の中のニンフ(木々の緑)》1935年-1943年 油彩/カンヴァス オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)、左は《花と果実》の一部 1963年 ニース市マティス美術館蔵)いずれも「© Succession H. Matisse」

1941年の72歳の時に、リヨンで、腸の手術をしますが、その後の容態が芳しくありませんでした。体調不良が続きます。そこに、看護していたひとりのモデルの看護学生がいました。晩年に影響を与えた運命の女性です。

マティスは、空爆の危機にあったニースから郊外のヴァンスへと移ります。

ここで、晩年に至るまで、書物『ジャズ』の作品群に代表される「切り紙絵」の制作に取り掛かります。「切り紙絵」とは、さまざまな色をグアッシュで紙に塗り、その紙を鋏で切り取る技法です。

画像: (アンリ・マティス《ザクロのある静物》1947年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵)「© Succession H. Matisse」

(アンリ・マティス《ザクロのある静物》1947年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵)「© Succession H. Matisse」

そして、戦争が終わったことで、ニースの郊外のヴァンスに再び戻ることになったのですが、そこで「ヴァンスのロザリオ礼拝堂」の装飾依頼を受けることになります。

ヴァンスは、ニースの近郊にある村ですが、さらに北西の山間の場所に現在のヴァンスのロザリオ礼拝堂があります。ニースからは23kmあり、バスで約1時間かかります。

戦後のマティスの代表作には、この展覧会に展示されている《ザクロのある静物》や《赤い室内、青いテーブルの上の静物》(1947年、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館蔵)などがあります。

画像: (内覧者の風景 右より、アンリ・マティス《ブルー・ヌードⅣ》1952年 オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)、アンリ・マティス《波》1952年頃 切り紙絵 ニース市マティス美術館蔵、アンリ・マティス《葦の中の浴女》1952年 切り紙絵 オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託))いずれも「© Succession H. Matisse」

(内覧者の風景 右より、アンリ・マティス《ブルー・ヌードⅣ》1952年 オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)、アンリ・マティス《波》1952年頃 切り紙絵 ニース市マティス美術館蔵、アンリ・マティス《葦の中の浴女》1952年 切り紙絵 オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託))いずれも「© Succession H. Matisse」

画像: (アンリ・マティス《マティス夫人の肖像》1905年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵)「© Succession H. Matisse」

(アンリ・マティス《マティス夫人の肖像》1905年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵)「© Succession H. Matisse」

画像: (右よりアンリ・マティス《ロカイユ様式の肘掛け椅子》1946年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵、「ヴェネツィアの肘掛け椅子」19世紀 針葉樹の木、彩色による装飾、釉を塗った銀めっき、金めっき ニース市マティス美術館蔵、《三日月を伴う蓋のある火鉢》19世紀 緑青のある銅、真鍮、木 ニース市マティス美術館蔵、左上の写真は「ステンドグラスのあるアトリエのマティス」)「© Succession H. Matisse」

(右よりアンリ・マティス《ロカイユ様式の肘掛け椅子》1946年 油彩/カンヴァス ニース市マティス美術館蔵、「ヴェネツィアの肘掛け椅子」19世紀 針葉樹の木、彩色による装飾、釉を塗った銀めっき、金めっき ニース市マティス美術館蔵、《三日月を伴う蓋のある火鉢》19世紀 緑青のある銅、真鍮、木 ニース市マティス美術館蔵、左上の写真は「ステンドグラスのあるアトリエのマティス」)「© Succession H. Matisse」

さて、話は少し遠回りとなりますが、ニースやヴァンスから西へ行くとマルセイユがあります。

そのマルセイユの街からさらに西へと海岸沿いをいくと、ラングドック地方になります。

そこに、ポール・ヴァレリーの生まれたセートの港があります。ヴァレリーは、『ヴァレリー詩集』(鈴木信太郎訳)だけでなく、『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』(山田九朗訳)、『精神の危機他』(恒川邦夫訳)、『テスト氏』(粟津則夫訳)、『文学論』(堀口大学訳)などで知られる詩人です。

「風 吹き起る・・・ 生きねばならぬ。一面に

 吹き立つ息吹は 本を開き また本を閉じ、

 浪は 粉々になって 巌から迸り出る。

 飛べ 飛べ、目の眩いた本の頁よ。

 打ち砕け、浪よ。欣び躍る水で 打ち砕け、

 三角の帆の群の漁っていたこの静かな屋根を。」

(『ヴァレリー詩集』「海辺の墓地の後半部分」(鈴木信太郎訳)

画像: (アンリ・マティス《日本の仮面》1950年頃 切り紙絵 個人蔵、1951年の3月から5月にかけて、東京国立博物館で、日本初のマティス展が開催されています。その後展覧会は、6月まで、大阪、岡山を巡回しました。)「© Succession H. Matisse」

(アンリ・マティス《日本の仮面》1950年頃 切り紙絵 個人蔵、1951年の3月から5月にかけて、東京国立博物館で、日本初のマティス展が開催されています。その後展覧会は、6月まで、大阪、岡山を巡回しました。)「© Succession H. Matisse」

さて、上述したプロヴァンス地方の中心都市マルセイユから北にいくと、画家のポール・セザンヌの生まれたエクサン・プロヴァンスがあります。

セザンヌは、パリでピサロに会うと、その影響を強く受けますが、地元の旧友には作家のエミール・ゾラがいました。「サント・ヴィクトワール山」の代表作など、青と橙色を貴重とする明快な色彩感覚を持つ画家です。

「自然のなかにあるものはすべて、球体と円錐と円柱に従って肉付けされる。これらの単純な形に基づいて描くことを覚えねばならない。そうすれば望むものすべてを描くことができるであろう。」

(『セザンヌ回想』「エミール・ベルナールへの手紙」(P.M.ドラン編))

画像: (手前はアンリ・マティス《祭壇のキリスト磔刑像》1949年 鋳造:ヴァルスアーニ ブロンズ ニース市マティス美術館蔵・展覧者の後方・アンリ・マティス《聖ドミニク》 1949年 筆と墨/紙 ニース市マティス美術館像蔵)いずれも「© Succession H. Matisse」

(手前はアンリ・マティス《祭壇のキリスト磔刑像》1949年 鋳造:ヴァルスアーニ ブロンズ ニース市マティス美術館蔵・展覧者の後方・アンリ・マティス《聖ドミニク》 1949年 筆と墨/紙 ニース市マティス美術館像蔵)いずれも「© Succession H. Matisse」

さて、話はもとに戻ります。

ヴァンスにもどってきたマティスが、そこで出会ったのが、なんと看護生として身のまわりの世話をしてくれた、かつてのドミニコ会修道女のジャック・マリーという女性でした。奇跡的な出会いによって、マティスは依頼された「ヴァンスのロザリオ礼拝堂」の建築に対して、無報酬で取り掛かります。

教会の建築のプラン、祭壇のキリスト磔刑像、ステンドグラス、陶板壁画から祭服、儀礼装身具一式などが、何年もの長い時間をかけられて製作されました。

ルノアールの晩年は、リューマチで車椅子の生活でしたが、同じように手が麻痺をしていた当時のマティスは、絵筆を握ることができなくなっていました。

にもかかわらず、マティスは82歳の時に、芸術家としての人生の集大成ともいえるこの礼拝堂は完成させることができたのです。

画像1: (「ヴァンスのロザリオ礼拝堂の内部の再現」)

(「ヴァンスのロザリオ礼拝堂の内部の再現」)

画像2: (「ヴァンスのロザリオ礼拝堂の内部の再現」)

(「ヴァンスのロザリオ礼拝堂の内部の再現」)

今回の展覧会の展示でみることのできる「ヴァンスのロザリオ礼拝堂」関係の展示品やその後に製作された《花と果実》や《ブルー・ヌードⅣ》は、色彩の交響曲といわれたマティスの「自由なフォルム」を体現した最後期の作品です。

特に《花と果実》の作品は、本展のためにフランスでの修復を経て、日本で初公開されるものです。この切り紙絵の大作は、ニース市マティス美術館の所蔵のひとつです。 

画像: (手前より『アンリ・マチス 礼拝堂・油絵・素描・挿絵本』1951年 印刷物 個人蔵、真ん中「アンリ・マティス《顔》」1951年 筆と墨/紙 読売新聞社蔵、奥の4冊「別冊文藝春秋第21号」(文藝春秋新社 東京 1951年5月20日 印刷物 個人蔵)・「第26号」(文藝春秋新社 東京 1952年2月25日 印刷物 個人蔵)・「第27号」(文藝春秋新社 東京 1952年4月25日 印刷物 個人蔵)・「第28号」(文藝春秋新社 東京 1952年6月25日 印刷物 個人蔵)」)

(手前より『アンリ・マチス 礼拝堂・油絵・素描・挿絵本』1951年 印刷物 個人蔵、真ん中「アンリ・マティス《顔》」1951年 筆と墨/紙 読売新聞社蔵、奥の4冊「別冊文藝春秋第21号」(文藝春秋新社 東京 1951年5月20日 印刷物 個人蔵)・「第26号」(文藝春秋新社 東京 1952年2月25日 印刷物 個人蔵)・「第27号」(文藝春秋新社 東京 1952年4月25日 印刷物 個人蔵)・「第28号」(文藝春秋新社 東京 1952年6月25日 印刷物 個人蔵)」)

このようなマティスの作品には、今回の展示されていますが、油絵、デッサン、切り紙絵だけでなく、彫刻や版画の作品があります。そのほか、ボードレールの『悪の華』やマラルメ詩集の挿絵など、グラフィックの仕事も多くあるのです。

画像: (色とりどりのユニークな人気グッズが販売されているコーナー)

(色とりどりのユニークな人気グッズが販売されているコーナー)

(写真:岡本勝人、主催者の特別な許可により展覧会紹介のため撮影・転載厳禁)
(All photos ©2024, Katsuhito Okamoto)

「純粋な意味における色彩画家」で「心憎いまでのデッサン力の持ち主」であるアンリ・マティスは、1954年に84歳でこの世を去りました。

【開催概要】

会 期: 2024
年2月14日(水)~5月27日(月)

会 場:
国立新美術館 企画展示室2E

〒106-8558
東京都港区六本木7-22-2

休 館 日:
毎週火曜日(ただし4月30日(火)は開館)

開館時間:
午前10時~午後6時
※入館は閉館の30分前まで

毎週金・土曜日は午後8時まで

入 館 料:
一般2,200円 大学生1,400円 高校生1,000円 中学生以下は無料

障害者手帳をご持参の方(付添の方1名を含む)無料、2024年4月3日(水)~ 8日(月)は、高校生無料。

問い合わせ: TEL 050-5541-8600
(ハローダイヤル)。詳細はホームぺージをご覧下さい。

展覧会ホームぺージ:
https://matisse 2024.jp
展覧会SNS:@matisse2024

主 催:
国立新美術館 ニース市マティス美術館、読売新聞社、日本テレビ放送網

「ネフィルチケットプレゼント」

下記の必要事項をご記入の上、「マティス 自由なフォルム」シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上5組10名様に招待券をお送り致します。この招待券は、非売品です。
転売業者などに転売されませんように、よろしくお願い致します。

応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com


応募締め切りは2024年3月8日 金曜日 24:00まで

記載内容
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1、氏名 
2、年齢
3、当選プレゼント送り先住所(応募者の郵便番号、電話番号、建物名、部屋番号も明記)
4、ご連絡先メールアドレス
5、記事を読んでみたい映画監督、俳優名、アーティスト名
6、読んでみたい執筆者
7、連載で、面白いと思われるもの、通読されているものの、筆者名か連載タイトルを、
ご記入下さい(複数回答可)
8、よくご利用になるWEBマガジン、WEBサイト、アプリを教えて下さい。
9、シネフィルのこの記事または別の記事でもSNSでのシェアまたはリツイートをお願い致します。

以上の内容は、内覧会当日の「ニュースリリース」および図録「HENRI MATISSE /Formes libres
マティス/自由なフォルム」を参考に作成いたしました。

岡本勝人記

詩人・文芸評論家。評論集に『海への巡礼』『1920年代の東京 高村光太郎、横光利一、堀辰雄』『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』(ともに、左右社)のほか、『仏教者柳宗悦 浄土信仰と美』(佼成出版社)がある。また詩集に『都市の詩学』『古都巡礼のカルテット』『ナポリの春』(ともに、思潮社)などがある。各紙に書評などを執筆している。

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