【まず最初に、ロシアによるウクライナへの侵略戦争が一刻も早く止むことを願う。 映画も、芸術も、まず人間の生活があってこそのものだから。】

(前回より続き)

 僕は劇映画もドキュメンタリーも両方撮る、雑食のタイプの映画作家だと前回述べたが、両者を交互に撮るようにフィルモグラフィーを重ねていると互いのアートフォームの違い、もっと言えば、各々の長所と短所をより意識するようになる。

 第1作以来、アメリカでも日本でも劇映画の撮影現場で僕自身がもっとも手を焼いた縛りは、撮影の「段取り」だった。どんな演技も演出も、この段取りという「箱」に嵌められなければいけなかった。時間が区切られた中でキャメラ、照明、音声など技術の調整をおこない、役者が現場に揃い、リハーサル、本番という流れで撮影が進む。自分の場合、現場に人が揃った状態から1ショット10〜15分かかる。(もっと早撮りの監督もいるだろう。自分はスローなのか、経験的にどうしてもこれぐらいはかかってしまう)移動時間を除き、現場での時間から逆算すると1日に撮影できるカット数も割り出され、そこから演出プランを逆算するのが常である。潤沢に予算も時間もある組であれば、カット数の制限を受けるようなことは少ないかもしれないが自分の生きる低予算映画の場合は、この時間的な足枷が外れたことは一度もない。

 ただし、それは覚悟の問題にすぎず、その限られた時間を十全に生かして傑作を撮る作り手はこの世の中ごまんといる。自分が感じてきた大きな「縛り」とは、スケジュールそのものより、むしろスケジュールに束縛されることにより生まれる人間の姿勢にあるのだと思う。時間に余裕のない中、演出家の想定する演技、もしくは演技者がベストと思える演技に落とし込んでゆくとき、キャメラの前に立つ演技者(多くの場合、プロの俳優)は、演じるという前向きのオーラを発散する。簡単にいえば「いい演技をするぞ」というエネルギーが充満した雰囲気になる。それが作品に合えば、それはそれで素晴らしいものとなる。「ゴッドファーザー」のアル・パチーノやマーロン・ブランドのように、名演と言われる演技はこの正のオーラに見るものは圧倒され感動する類が多い。

画像: アル・パチーノ

アル・パチーノ

 一方で、多くのドキュメンタリーで被写体となる人物たちは、このオーラを一切発散しない。撮られることをただ受け止め、そこに日々生きる存在として「在る」。無論、撮られていることを意識はするであろうが、その意識の在り方が全く異質なのだ。2011年「フタバから遠く離れて」の撮影時、福島県双葉町の避難所で出会った人に気づかされたのは、この人々のただただ撮られることを受け止める身体の在り方だった。廃校になった高校の避難所で、畳が敷かれ各教室に20名ほどが共同生活を強いられていた。そこに毎日通い話をしてゆくうちに、心を開いてくれた双葉町民の人々、弁当をたべるばあちゃんや、布団を引く爺さんなど、僕がキャメラを持って目の前にいても、ありのままの姿(それは【日常】ではなく、避難という彼らにとっていつまで続くかわからぬ悲しい【非日常】だった)を見せてくれた。そんな飾らない身体の在り方こそ、人間が生きる本当の姿であり、劇映画の現場に戻っても、あの身体の存在感は再現できないだろうかと探るようになった。

画像: 「フタバから遠く離れて」場面写真

「フタバから遠く離れて」場面写真

例えば、俳優のワークショップでエチュードといわれる即興も試してみた・・・しかし、何を話すかも決めずに俳優が自由に話すと、その場その場で面白いことはあっても、総体として作品となる魅力は希薄だった。作品をまとめる統覚、演出家の視点がないからだ。なんでも話せば良いというものではない。劇映画とドキュメンタリーの現場を往復しながら、人間の実存が互いにどう違うのか観察し、長い時間かけて考察を深めていった。劇映画の場で、俳優の肉体をできるだけ現実そのもにに近づけるにはどうすればいいのか。

双葉町の避難所で撮影しているときに一つ気づいたのは、そこの人々には生きる意志があるということ。生きる意志に基づいて行動し、言葉を話すということだった。当然のことなのだが、実は作り物の劇映画の世界ではそれが存在していないように思えた。俳優は、俳優の人生を送っており、役の人生はカメラの前でしか「演じない」。またセリフを言う時には、その役の人生に自分をアプローチさせ、その役になりきり、そのセリフをいう。しかし、その役の人生を生きる意志まで通底させることができているだろうか。セリフがどこか作り物くさかったり、その身体にフィットしておらず浮ついているのは、自分の意思でいっているのではなく、監督・脚本家が決めた言葉を発話する居心地の悪さそのものが出ているのではないか・・・俳優が本人の意思で発話するように見えるにはどうすればよいのか・・・。

 ここまで考えて思い出したのが、ニューヨークの大学で映画を学んでいた時に取った演技・演出のクラスのことだった。ニューヨークにはいまだメソッドアクティングの伝統があり、特に自分が学んだのはStella Adlerによる演技アプローチだった。20世紀はじめにロシアのStanislavskiによって創始されたスタニスラフスキー・システムが、アメリカ東海岸に輸入され発展した演技の「メソッド」は、ニューヨークで様々な激論・対立を経ていくつかの流派に別れていた。主流とされていたリー・ストラスバーグらのメソッドは、アクターズスタジオに受け継がれ、アル・パチーノ、ロバート・デニーロらを生み出していた。彼らの演技(僕なりのかいつまんだ解釈で恐縮だが)は、その役の心理にアクセスすれば、その役の人間になりきれるというものだった。センスメモリー(Sense Memory)が代表的なテクニックだが、悲しい場面であれば、自分個人の経験で悲しかった時のことを思い出してその感情を身体に憑依させ、また喜びに満ちた場面では同様に、個人の体験で心の底から嬉しかった体験から感情を引っ張ってくる。人間の身体はそれが演技の感情なのか、実人生での感情なのか、区別はつけられない。だからこそ、この心理ベースのメソッドが正当化された。

画像: Stella Adler

Stella Adler

 一方でもう一つの流派があった。俳優Stella Adlerが熟成させたメソッドで、俳優個人の人生から感情を引っ張ってくるというのは馬鹿げている(だって役柄とは絶対異なるうわけだから)、それよりも俳優の想像力によって役のエモーションにアクセスできるはず、というものだった。学生時分、僕はこちらのアプローチ法により親近感を覚えた。なぜなら、これは役の「生きる意思」を練り上げ、積み上げてゆく方法であったからだ。

そして、このStella Adlerのアプローチを現代に焼き直し、小慣れた方法論にまとめあげたのが西海岸のJudith Westonという俳優・演技コーチだった。彼女の説くOBJECTIVEオブジェクティブ(直訳すれば“目的”)という考え方を、日本の映画現場に翻案して応用すれば、「生きる意思」を生み出すことができるのではと考えたのだった。

この方法論を実際の撮影現場でどう活かしていったのか、次回論じたいと思う。
(つづく)

画像: Judith Weston

Judith Weston

WRITER:

舩橋淳

映画作家。東京大学卒業後、ニューヨークで映画制作を学ぶ。
『echoes』(2001年)から『BIG RIVER』(2006年)『桜並木の満開の下に』(2013年)などの劇映画、『フタバから遠く離れて』(2012年)『道頓堀よ、泣かせてくれ!DOCUMENTARY of NMB48』(2016年)などのドキュメンタリーまで幅広く発表。メロドラマ『桜並木〜』(主演:臼田あさ美、三浦貴大)はベルリン国際映画祭へ5作連続招待の快挙。
他に『小津安二郎・没後50年 隠された視線』(2013, NHKで放映)など。2018年日葡米合作の劇映画『ポルトの恋人たち 時の記憶』(主演柄本祐、アナ・モレイラ)を監督。
柄本佑はキネマ旬報最優秀男優賞に輝いた。
最新作はハラスメントとジェンダー不平等を描く「ある職場」。

舩橋淳オフィシャルサイト:

東京国際映画祭TOKYO 2020 正式招待作品

「ある職場」(舩橋淳監督)

3月5日(土)ポレポレ東中野ほかロードショー

『ある職場』オフィシャルHP:http://arushokuba.com/

映画「ある職場」公開記念 舩橋淳特集上映
Filmmaker ATSUSHI FUNAHASHI Retrospective
1999~2022

画像: 映画「ある職場」公開記念 舩橋淳特集上映 Filmmaker ATSUSHI FUNAHASHI Retrospective 1999~2022

代官山シアターギルドにて
3/4~(2週間を予定)

https://theaterguild.co/movie/

※カバー写真 アッバス・キアロスタミ監督の遺作『24フレーム』より

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