オリジナリティのある人が映画の世界に出てくる(白石)

――ところで、おふたりはお互いにそれぞれ相手の作品に対してはどんな感想をお持ちですか?
これは俺には撮れないな~とか、この発想は俺にはないな~みたいなところがあったら教えてください。

白石 そもそも市井さんは僕が思いつかないような発想のものをオリジナルで書かれていて、それで撮られていますよね。そういう意味で言うと、沖田修一監督もそうですけど、市井監督も僕が絶対に撮らない、僕には撮れない世界観がありますよね。『台風家族』(19)もやっぱり最後にあの骨が残っているところから急にトライブがかかったから、何を考えているんだろう?って(笑)。温めていた企画だって言うけれど、コレを温めていたのか?
最高だなと思った(笑)。

市井 ああ、でも、そうだ!
あのエピソードはPFFでスカラシップの企画に落ちた作品に入っていたんですよ。そのときとは視点が全然違うんですけど、骨が流れるアイデアはスカラシップの企画でも出していたんです。

白石 いやいや、昔のビデオテープが残っていたとか、そういう感じのものを温めていたならまだ分かるけど、骨が流れるのを温めていたのかい?と思って(笑)。
それは俺も思いつかないし、いや~それは流石ですよ。でも、そういうオリジナリティのある人がやっぱり、映画の世界に出てくるということですよね。

画像2: 白石和彌監督

白石和彌監督

――観客は無責任ですけど、観たことがないものを観たいですからね。

白石 いやいや、絶対にそうですよ。それはやっぱり、オリジナルの強さですよ。

――市井さんは逆にどうですか?

市井 白石監督は上手いのに、ものすごく作家性が強いですよね。それに、タブーにどんどん入ってとくところに白石さんの作家性が出ていると思うんですけど、『凪待ち』(19)や『ひとよ』といった家族に向けたタブーから離れた作品でも白石さんにしか出せない生々しさや生臭さが感じられたので、そういったものが白石さんの映画にはあるんだなと思いますね。

白石 照れ臭いな~(笑)。いやいや、PFFの場はいまみたいな感じですけど、監督同士が話すのはやっぱり恥ずかしいものがありますね。

映画は自由に作れるから、ムチャクチャやって欲しい(市井)

――そんなおふたりが映画を撮る上でいちばん大切にしていること、心がけていることは?

白石 でも、やっぱり、人と違うことをやろうとなるべく心がけていて。デビュー当時は特にその意識が強かったし、自分が面白い!
と思ったことや感動を如何に映画にするのかが勝負だから、それを毎回そこを念頭に置いてやっているんですけど、撮る本数が増えてくると、いくら感動しても身体や心がなかなか動かなくなるんですよね。そういう意味では、PFFの審査員を去年やれたことで自分をリセットすることもできて。授賞式で「僕も自主映画を作りたいと思いました」って言ったんですよ。それは、あながち嘘じゃなくて。本当に原点に帰って、自分でロケ場所を探して映画を撮るということをもう一度やらないといつかダメになるんじゃないか?って気がものすごくしているんです。いまのプロの現場でも、自分の足でやれることやるようにはしているんですけど、どっか自分は胡坐をかいているのかもしれないなということを去年は感じたし、その気持ちが本当に強くなったんです。

市井 白石さんが撮るかもしれない自主映画はPFFに出せるんですか?

白石 PFFディレクターの荒木さんに聞いたら、「大丈夫」って言ってましたよ(笑)。ただ、落ちる可能性も高いかもしれない。「衝動がないね」って言われてね(笑)。

市井 僕の場合は、オリジナルでゼロから書く自分がやりたい核みたいなものがあるんですけど、監督という名の船頭はひとりなので、スタッフに共有してもらう核の部分を曲げないように撮ることを大事にしてます。でも、最近強く思っているのは、コレが俺のやりたいことなんだ〜!っていう感じはそもそもスタッフやキャストがシナリオで読み取ってくれるから、今はシンプルに楽しく現場を過ごすことです。現場の楽しさは本当に映像にも残ると思っているから、それを『台風家族』やその後に撮ったドラマの「サウナ―マン~汗か涙か分からない」(19)では意識していました。

画像5: 左より白石和彌監督、市井昌秀監督

左より白石和彌監督、市井昌秀監督

――最後に、おふたりから、映画監督を目指している人たちにメッセージをお願いします。

白石 映画を作りたいと1ミリでも思ったら、作らないと本当に後悔しますね。僕はそういう意味では20代のときに作っていないので、その反動で、いまは多作と言われるぐらい撮っています。これはもう、撮れなかった20代を取り戻したい一心で撮っている感じで。だから、撮りたいと思う気配がちょっとでもあるんだったら、やっておいた方がいいと思います。で、別に結果プロにならなかったからと言って、無駄になることはないんですよ。やっぱり、人とのコミュニケーションやいろいろな要素が揃わないと例え自主映画でも作れないから、その経験は人生において本当に大切な時間になるはず。なので、ぜひやって欲しいですね。

市井 確かにそうですね。僕は5、6年前から母校のENBUゼミで講師をさせてもらっているんですけど、いまの生徒の作品は上手いけれど体のいい、お行儀のいいものが多いような気がするんです。でも、さっき白石さんが言われた初期衝動じゃないですけど、窮屈で不寛容な世の中で映画だけはものすごく自由に作れるわけだから、本当にムチャクチャやって欲しいなと思いますね。人からどう見られようが、撮りたいものを撮る。そこを自分を信じてやって欲しいなと思います。そういう意味では、それをぶちまけられるPFFの存在意義はとても大きいような気がします。

取材・文:イソガイマサト
撮影:藤島亮

画像6: 左より白石和彌監督、市井昌秀監督

左より白石和彌監督、市井昌秀監督

「PFFアワード2020」作品募集

2020年3月24日(火)締切

https://pff.jp/jp/award/entry/

「第42回ぴあフィルムフェスティバル」
2020年9月12日(土)~26日(土) ※月曜休館
会場:国立映画アーカイブ

白石和彌(しらいし・かずや)
1974年生まれ、北海道出身。若松孝二監督に師事し、フリーの演出部として活動。2010年、初の長編映画監督作品『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で注目を集め、続く『凶悪』(13年)は、13年度新藤兼人賞金賞ほか各映画賞を総嘗めにした。18年、『孤狼の血』で日本アカデミー賞優秀賞最多12部門を受賞。主な作品に『日本で一番悪い奴ら』(16年)、『牝猫たち』『彼女がその名を知らない鳥たち』(17年)、『サニー/32』『止められるか、俺たちを』(18年)、『麻雀放浪記2020』『凪待ち』『ひとよ』(19年)がある。

市井昌秀(いちい・まさひで)
1976年生まれ、富山県出身。漫才グループ「髭男爵」の元メンバー。2006年、初の長編監督作品『隼』が、「PFFアワード2006」で準グランプリと技術賞を受賞。08年、『無防備』が「PFFアワード2008」でグランプリを含む3冠を獲得し、同年の第13回釜山国際映画祭ニューカレンツ部門のグランプリを受賞。翌年の第59回ベルリン国際映画祭に正式出品された。13年、『箱入り息子の恋』で第54回日本映画監督協会新人賞を受賞。主な作品に『僕らのごはんは明日で待ってる』『ハルチカ』(17年)、『台風家族』(19年)がある。

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