9月上旬、新作「残された者-北の極地-」のプロモツアーで来日していたマッツ・ミケルセンの2005年出演作『アダムズ・アップル』がようやく日本公開される。
デンマークとドイツの合作映画だが、15年前の映画なのに、すこしも古さを感じさない。観客の予想を裏切り続けるすっとぼけたストーリー、俳優の自然な演技が不条理さを自然なものとし、手際のいい画面つなぎも秀逸。オリジナル性にとみ、パッショネートさ満点の異色作だ。
スキンヘッドにカギ十字の刺青を腕に入れているアダムが、何もなさそうな野原の真ん中の停留所でバスを降りる。鍵を取り出し、出発するバスの車体にあてたので、ビーッとペンキがはがれていく。開巻冒頭、やばい奴が出てきたなと思っていると、中古の自動車で黒い袖なし僧服と半ズボンのイヴァン牧師がやってくる。手を差し出しても無視するアダムに怒るでもなく、同乗させると教会に向かう。どうやら、教会は仮釈放された罪人を引き取り、社会に戻る前の更生プログラムの一環を担っているらしい。庭にはリンゴの木が植わっていたが、「ここで何したい」と聞かれて、「アップルケーキを作る」と答えた。いかにも適当なその場限りの嘘っぽさが感じられる返事だが、イヴァンは感にいったような表情を見せる。
冒頭部分の紹介だけでも奇抜さがうかがえるが、それは序の口に過ぎなかった。中東系移民の強盗犯カリドと肥満男グナーという二人の仮釈放犯も一筋縄ではいかなそうだが、なんといってもイヴァンの異常さにはぶっとぶ。自己中心的と言うか、狂信的と言うか。説教するさいの聴衆への態度、障害のある子が生まれる可能性ありと診断されて出産の是非について相談しに来た妊婦への返答……その言動はあれれっと思うことばかり。アダムの方も、寝ているときに入ってきて泥棒したグナーをぶっ飛ばしたり、昔の仲間が訪ねてきても嬉しがるでもない。
なぜか“神の裁きやサタン”が出てくる聖書ヨブ記のページが決まって開いたり、映画の題名にもあるように創世記の有名なリンゴのエピソードを織り込みつつ、とんでもハップンな出来事があれよあれよと続き、なんとなくハッピーエンディングとなる結末には唖然とするほかはない。
世の中に異色作と銘打つ作品は数多けれど、真に異色作と言えるのはほんのわずか、本作は異色作と呼ぶにふさわしい出来栄えだ。
宣伝では「マッツ・ミケルセン主演!知られざる傑作ついに解禁!!」とあるが、ミケルセン扮するイヴァンは準主演で、本当の主役はウルリッヒ・トムセン扮するアダムの方だった。普通なら悪役、敵役であるネオナチ男が一番まともに見えるのがおかしい。
監督は米アカデミー賞外国語映画賞を得た「未来を生きる君たちへ」の脚本を書いたアナス・トマス・イェンセンで、自ら脚本も書いている。
北島明弘
長崎県佐世保市生まれ。大学ではジャーナリズムを専攻し、1974年から十五年間、映画雑誌「キネマ旬報」や映画書籍の編集に携わる。以後、さまざまな雑誌や書籍に執筆。
著書に「世界SF映画全史」(愛育社)、「世界ミステリー映画大全」(愛育社)、「アメリカ映画100年帝国」(近代映画社)、訳書に「フレッド・ジンネマン自伝」(キネマ旬報社)などがある。
『アダムズ・アップル』予告編
STORY
ある日、仮釈放されたスキンヘッドの男アダムが更生施設を兼ねる田舎の教会へ送り込まれてくる。指導役の聖職者イヴァンは快く迎えるが、ネオナチ思想に染まったアダムは神も人の情けも信じていない。目標をイヴァンに問われたアダムは、「庭のリンゴを収穫してアップルケーキを作る」と適当な答え。しかし、この教会はどこかおかしい。同じ境遇にある中東系移民のカリドとメタボ男のグナーは、更生するどころか暴力とアルコールに蝕まれている。聖職者のイヴァンですら過酷な現実から逃避し、妄信的に神を愛することで自分を守ろうとしている。それを知ったアダムは執拗にイヴァンの自己欺瞞を暴こうとするが、時同じくしてアダムのアップルケーキ作りを妨害するかのように奇怪な災いが次々と降りかかる。それは悪魔の仕業か? それとも神が人間に与えた試練なのか......。
監督・脚本:アナス・トマス・イェンセン
出演:マッツ・ミケルセン(イヴァン)、ウルリッヒ・トムセン(アダム)、パプリカ・スティーン(サラ) 配給:アダムズ・アップル LLP
2005 年 / デンマーク・ドイツ合作 / デンマーク語 /94 分 / 原題:Adams æbler 英題:Adam’ s Apples
www.facebook.com/adamsapplesjapan
https://twitter.com/AdamsApplesJ