10月11日(金)より全国公開となる是枝裕和監督の最新作『真実』が、韓国南東部の都市釜山にて10月3日(木)~12日(土)まで開催されている第24回釜山国際映画祭で、Gala Presentation部門への出品と、また是枝監督がAsian Filmmaker of the year(今年のアジア映画人賞)を受賞したことを受け、10月5日(土)の授賞式と公式会見、Q&Aに出席いたしました。
以下、レポートとなります。

【『真実』 第24回釜山国際映画祭 概要】

参加者(敬称略) 是枝裕和監督
実施日:10月5日(土)
公式会見 実施時間=15:30~
授賞式 実施時間=19:30~
Q&A 実施時間=21:30~

画像: 参加者(敬称略) 是枝裕和監督 実施日:10月5日(土) 公式会見 実施時間=15:30~ 授賞式 実施時間=19:30~ Q&A 実施時間=21:30~

<Gala Presentation部門 公式会見>

会場には韓国現地の記者に加え、海外から訪れた記者も多数参加。マスコミ席は満席となり、立ち見や、会場に入れない方も出てくるほど大盛況。是枝裕和監督が舞台袖から登場するとスチールからのフラッシュの嵐に包まれました。いざ会見がはじまると、大勢の方から手が挙がり、最新作の『真実』について、監督のこれまでのキャリアについてといった質問が投げかけられました。会見終了の時刻となっても、挙手の手が止まることはなく、是枝監督の最新作への注目度の高さが伝わる会見となりました。

以下、会見のトーク内容書き起こし。

Q:最初の挨拶

こんにちは。
まだちょっと空港ついてここに直行しているので落ち着かない気持ちもあるのですが、このような形でアジア映画人賞頂きまして、今年韓国映画がちょうど100周年ということで本当におめでたい年に、釜山映画祭という僕のデビューとほぼ同じ年を重ねながら、困難を乗り越えながら成熟していった映画祭でこの賞を受賞させて頂くという本当に光栄な時間をここで皆さんと分かち合えることを嬉しく思っています。宜しくお願い致します。

Q:言語の壁についてまた、錚々たるキャスティングについて

コミュニケーションは、最初やはり僕は日本語しかできないのでどういう風に乗り越えていくかというのは最初の課題だったんですけども、とても素晴らしい通訳の方を見つける事ができて、この5年一緒に仕事をしている女性ですけれども、彼女にべたで半年間現場について頂いた、それが本当に大きかったなと思いますし、いつにもましてなるべく、直接言葉が通じないが故にお手紙を書いてスタッフにもキャストにもなるべく僕が何を考えているのかという事を文字にして相手に残るように伝えていこうという、日本でもやるようにしていることではあるのですが、今回は意識的に多くして意思の疎通を図りました。

10年ほど前にペ・ドゥナさんと一緒に映画を作りました。その時ももちろんお互い共通の言語はなかったんですけど、お互いに何を求めているのか、何が欠けているのかというのを、撮影を重ねていくにつれて、言葉がどんどん必要なくなっていきました。カットをかけて次どういう風にするのか、言葉を越えて次に進むべきみちはお互いが歩調をあわせて進めるようになっていきました。今回もそういう事が現場でありました。映画作りの面白さと言うのはそういう言葉を越えたところにあるんじゃないかと今回改めて思いました。

キャスティングは、10年以上前からジュリエット・ビノシュさんとは親しい付き合いがありまして、将来的には何か一緒に映画を作りませんかとオファーを僕が頂いた感じなんですけど。それにこたえる形で今回の話、ストーリーというものを、まだあらすじでしたけど渡したのが2015年。その段階では僕もカトリーヌ・ドヌーヴ、イーサン・ホークという名前をノートに書いていたものですから、3人ありきで考えていたものが、当初の予定通り夢がかなう形で今回作品になった感じです。

Q:家族の映画を作成しようと思った理由は。また俳優へのオマージュというのは意識されましたか。

今回はファミリードラマというよりは、”演じるとは”という問いからスタートしておりまして、女優を主人公にしたものを撮ってみたいというところから一番最初にスタートしました。

その彼女を描くに当たって、じゃあ女優にならなかった娘の存在と若くして亡くなってしまったライバルの存在の二人を登場させて三角形の中で一人の女優を描いてみたいという事です。

オマージュという意識は自分の中にそんなになかったですけども、ただ撮らせて頂いたカトリーヌ・ドヌーヴという、本当に映画史の中で輝いている、しかも今も現役で活躍されている女優さんの魅力を作品の中で出来るだけ多面的に瑞々しく描きたい、そのことをとにかく自分の中の課題という風に考えて作りました。

Q:さまざまな母と娘の形が登場していますが。

映画の中にいろんな母と娘の関係を登場させたいと思いました。それはある時は、立場が逆転して見えたり、ある時は演じている母親が演じることのなかったライバルにみえたり、庭から聞こえてくる言葉が娘のものだと錯覚したり、いろんな場所で母と娘、娘と母というものを重層的に描いてみたいというのは最初からコンセプトにしていました。

それはカトリーヌ・ドヌーヴという女優をいろいろな側面から光を当てて多面的に描く一つの方法だったと思います。あとはやはり、祖母であり、女優であり、母であり、そして娘でもあるそういう事を目指しました。

Q:日本を出て海外で撮影する中で最初にまずどういった点に気を付けましたか。
日本での撮影との違いなど。また海外でも子役の演出はどのように。

自分の知らない、暮らしている場所ではない異国の地で撮影するというのは、いくつか注意しなければいけない事があり、「エッフェル塔」を入れてみたり、「凱旋門」を入れてみたり、絵はがきにうつっている中に人を歩かせりというのをまずはしないようにしようと。日常的な風景の中で、この町で暮らしている人が見ている風景の中で物語を描こうという風に考えたのがまず最初でした。

難しかったのと面白かったのは、選んだあの家とっても広くてですね、日本で撮ると家のなかってだいたいこう、部屋と部屋のあいだを何歩くらいで歩けるかってだいたい感覚的にわかるんですけど、全然違うんですよね。リビングと、ダイニングと、家の中での階段までの距離なんかまるで違っていて。

脚本の完成の前に、あの家に2晩泊まって台本を手に歩きながら、セリフを言い歩いてみたんですけど全然セリフが足りなくて。移動距離というのは、日本で撮るのとは違いました。家の中での撮影が一番海外でした。

あの女の子はオーディションで選んだんですけど、日本と同じやりかたをしようと思って、事前に脚本は渡さずにおばあちゃんちに遊びに来たお話だよってことだけ伝えて、あとはいつも通り現場で僕がささやいてそれを通訳の人にささやいてもらう「ささやき作戦」で全部やりました。

実はもともとの台本では学校でいじめられて不登校になっている女の子の設定だったんですけど、あのクレモンティーヌに会って、非常に勝気な女の子で、衣装合わせで夏休みあけに会った時に、「夏休みどこに遊びに行ったの」って聞いたらすごいめんどくさそうな顔して僕の事みて「あそこのおばさんにさっき話したからあそこのおばさんに聞いてくれ」って。(笑)衣装の担当の方だったんですけど。どうやら海へいったらしいんですけど。
そういう感じが、これはいじめられて不登校じゃなくてまさにおばあちゃんのDNAを受け継いだ孫としての存在として描いた方が面白そうだと思って、そこから脚本を随分変えました。

画像1: <Gala Presentation部門 公式会見>

Q:本作品について

「真実」という嘘にまみれた自伝本があって、そこに娘がやってくるんだけれども、娘にもまだ書かれていない真実のいえない自分史がそこにはあって、その自分史を書きなおしているむしろ、娘があそこにいた1週間の間に母と自分との関係を自分史に書き直している。その為に、お互いがお互いに演技をつかって、マジックを使って。その事で二人がかつて、今もたどり着きたいと思っている真実にちょっとだけ近づくそういうお話になるといいなと思いました。

5年前になるのかな。この映画祭が政治的な圧力を受けて開催が危ぶまれた時期があって、その時に世界中の映画人が釜山映画祭を支えたいという声があがりました。僕も微力ながら声をあげてこの映画祭に対する意思を表明しました。そのことによって、困難な時を乗り越えてこの映画祭が存続し、また僕自身が呼んで頂けるような状況になっていると思います。その時の映画祭の対応は、よく頑張ったな、よく耐えたなと思っていますしそういう形で映画人が、政治が困難に直面して出来ない連帯を、映画と映画人がより豊かにより深く示す事で、逆にこういう形で連帯が出来るという事をみせていくという事が大事なんではないかなと思っています。なので、ここに来ています。そういう映画の力というものを、信じている人たちが、作り手、ジャーナリスト関係なくこの場にいる人たちなのだと信じています。

Q:パルムドール受賞後の作品という事でプレッシャーがあったのか、またどのようにそれを克服されたのか。表現者として新しいものを作る悩みと観客に伝えたいと思った事。

映画自体の企画は2015年に動き始めているので実は、『万引き家族』の前から動き始めているものだったので。『万引き家族』より後に動に始めた企画だったらそういうプレッシャーも感じたかもしれないけど。日ごろからプレッシャーというものを感じないものですから(笑)もちろん今回は受賞直後ニューヨークに行ってイーサンホークに出演交渉した時に、はじめましての挨拶のかわりに「コングラッチュレーション」でこのタイミングだと断りにくいんだよなと言われてパルムドール獲ってよかったなっていう、むしろそういう受賞の恩恵を直に受けたという記憶しか残っていません。

Q:今回の映画はいつもと違って重くない映画ですが意識して作られましたか。

そんなに暗くて重い映画ばっかり作ってきた自覚はないんですけども(笑)、そういう印象が多いのかな。先ほども言いましたが、ドヌーヴが母であり、娘であり、妻であり多角的にどういう風に魅力を引き出すかという事を演出家としても考えましたけど、自分の感覚として外から見た時に、違うところから光を当ててみた時に、自分の中で陰と陽があるとするならば、今回は陽の部分をどういう風に作品に反映していくかというのを、時々考えるのですが、今回は読後感がきちんと明るい着地点にたどり着くもの考えました。

Q:日本人としてフランスで映画を撮ることについて、また映画を撮り続ける理由

あまり普段映画を作っている時には日本映画を撮っているという意識はないですし、今回もフランス映画にしなければというプレッシャーがあったわけではないんですね。とにかくいい映画を作りたいという意識だけで撮ってきている事は事実なんですけれども。それでもやはり自分がこの映画を撮っていて同時代のアジアの監督たち、僕にとってはホウ・シャオシェンさんが大きな存在ですけども。ホウ・シャオシェンさんとか、イ・チャンドン、ジャ・ジャンクー、そういうこう同じ時代に映画を作っているアジアの同志、友人たちに触発されながら、刺激を受けながら自分も彼らに見てもらって恥ずかしくないものを作りたいという風に思いながら25年間やってきたので、そういう意識、ようするにアジアの映画人である意識だけは自分の心の底の方にあるんだろうなという風に思ってましたので、そういう意味でも今回の受賞というのは感慨深いものがあります。

何故撮るのかって言うのは本当に難しい質問なんですけど、今回のように日本を出てフランスでフランスのスタッフ、キャスト、アメリカのキャストと一緒に映画を作ったり、本当に優れた映画祭に招待を受けて参加をしてそこで出会う映画人たちとの交流を通して、それこそ自分が目に見える形で所属をしている国であるとか共同体というものより、もっとはるかに大きな豊かな映画という共同体の中にいさせてもらって、そこでフランスのようなナショナリズムとは無縁の地点で価値観を共有して映画を通して繋がっていけるという、そういう気持ちなんですよね。それは本当に幸せです。そういう時間は僕を映画の作り手としても一人の人間としても成長させてくれると思っているので作り続けます。

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