脚本と上映のあいだに展示を置く
「シーヴァス」(2014年)という映画を見せていただいた。
トルコの映画監督カアン・ミュジデジの長編デビュー作。ヴィクトル・エリセやアッバース・キアロスタミの系譜と宣伝されていた。
たしかに、愛すべき小さなお話の雰囲気はある。
最近だと「ハックル」(パールフィ・ジョルジ、2002年)や「4つの命」(ミケランジェロ・フランマルティーノ、2010年)らの雰囲気。
トルコ東部、アナタミア地方。クーデター失敗など変化の只中にある21世紀のトルコにぜんっぜん見えない荒涼とした大地。そして旧態然とした男の世界の物語でもあった。
闘犬と少年。その少年アスラン役のドアン君は地元の学校に通うごく普通の子。激昂するときもあれば甘えん坊な一面も見せる、まさに怪演だった。そして、その様子はまさに監督の顔そのものだったのだ。
トーキョーアーツアンドスペース(旧トーキョーワンダーサイト本郷)の企画展「行為の編集」の出品作家の一人がカアン・ミュジデジである。
2017年にトーキョーアーツアンドスペースでレジデンスを行い、京都のゲーテ・インスティテュート・ヴィラ鴨川でも滞在制作された彼のインスタレーション作品を展示している。「IGUANA TOKYO prologue」と題した作品は、暗闇の空間にスポットライトで寓意的な部屋の箱型模型と、新作映画「IGUANA TOKYO」のスクリプトの一部が照らされている。始終、重低音がくり返し再生される。これはなんなのだろう。
オープニングで監督と短い会話ができた。
ーなぜこの展示を映画の”プロローグ”としたのか
脚本と映画のあいだに展示を置いてみたんだ。いずれ、映画が撮り終わったら"エピローグ"の展示もやってみたい。だからトータルな「IGUANA TOKYO」体験の一つがこのプロローグなんだ。こういうスタイルを採用するのは今回がはじめてだよ。もちろん美術展示もはじめて。映画のストーリーを說明することを、違ったやり方で試したかった。
ーこの展示で観客が自由に映画の脚本を読み解いてほしいのか。それが映画に影響しうるのか。
あるかもしれないけど、あくまでも映画の說明として見せている。今の時点ではそれほど現代美術に強く惹かれていない。でも展示をすることで脚本を膨らますことができた。僕は、まだ名前のついていないかもしれないあたらしいやり方を探しているだけ。
ーおもしろいね。
自分は脚本の中に住んでいると思っている。脚本の中で生きていたけども、展示を作って頭の中を外に出してみたんだ。現代美術の多様なアプローチにあまり興味はない。映画は手に取れる物でなくフィーリングを生み出しているということが僕にとって重要。それが見たい。
ー東京の映画のための展示を東京でやっていることは大事?
もちろん!東京で脚本を書いていて、東京のフィーリングというものが僕には必用。2017年のトーキョーアーツアンドスペースでの滞在でこの脚本製作を始めた。今回その成果を東京で見せて、東京で撮影して… というのが一番だ。
ー何度も聞かれてるとは思うんだけど、なぜ東京なの?
いろいろあるんだけど、「IGUANA TOKYO」は時間と空間の物語で、70年代の「中銀カプセルタワービル」(1972 黒川紀章)を例に取ると、70年代に夢見られてた未来がメタボリズム建築に現れていたが現実はそうでなかった。僕は今、展示で示したゲームの部屋が未来の建築かもしれないと思って作ったんだ。モデルルームだね! 核家族化、情報の氾濫など東京の日常風景は未来の世界の風景だし。ロケハンもいろいろして、秋葉原や清澄庭園や倉庫街など撮りたいところも沢山見つけた。
ーではなぜゲームなの?
ゲームの世界は時間と空間の感覚を変えたりなくしてしまったりするし、ある意味東京の比喩でもあると思う。また、僕にとって東京での生活はプレステやってるみたいだし(笑)
ーありがとう。映画の完成を楽しみにしています。
2018年4月14日 澤隆志(キュレーター)
カアン・ミュジデジ監督 新作映画
『IGUANA TOKYO』
キアラ・マストロヤンニ(チャップリンからの贈り物)
ラース・アイディンガー(ブルーム・オブ・イエスタデー)
ドイツ・日本・トルコ合作
ドイツ法人の東京支社に勤めるベルリン出身のマーティン(48歳)。
彼にはトルコ人の妻チセクと、東京で生まれ、東京以外の都市を知らない一人息子のトーキョーと、とても日本的な住環境の中で暮らしている。
映画はある日マーティンが、偶然知り合ったノルウェー人の旅行者リサを自宅に招き入れたことから、物語が動き始める。
2018年8月クランクイン / 2019年5月リリース予定
トーキョーアーツアンドスペース レジデンス 2018 成果発表
行為の編纂
2018年04月14日(土) - 2018年05月13日(日)
詳細は下記より