‘I’m Nobody! Who are you?’

I’m Nobody! Who are you?
Are you ― Nobody ― Too?
Then there’s a pair of us?
Don’t tell! they’d advertise ― you know!

How dreary ― to be ― Somebody!
How public ― like a Frog ―
To tell one’s name ― the livelong June ―
To an admiring Bog!

「私は誰でもない! あなたは誰?」

私は誰でもない! あなたは誰?
あなたも――誰でもない――の?
じゃあ私たち二人一組じゃない?
人に言っちゃだめ! 言いふらされるから――ね!

なんて退屈――誰かになるなんて!
公然と――蛙みたいに――
自分の名前を――永い六月のあいだ――
聞き惚れる沼に告げるなんて!

(エミリー・ディキンソン ‘I’m Nobody! Who are you?’)

「よう、ろくでなし(You’re nothing)」と、90歳の現実主義者ラッキーは開口一番、行きつけのダイナーの店主に言い放つ。返す刀で「そっちこそ」と応える店主ジョー。「ありがとよ」とラッキーが受け入れて閉じられるいつもの挨拶。これは本作『ラッキー』が最後の主演作となった俳優ハリー・ディーン・スタントンが、実際によく通っていた店のボーイや友人たちとの間で交わしていたやりとりだという。

「nothing」。つまらない、取るに足らぬ人。無価値で、どうでもいい、いてもいなくても変わらない人間。この中心にある空っぽの「無」を縁どり、輪郭の備わった形相のことを「nobody」と言い換えるなら、この90歳の老俳優と無名のままにひっそりと世を去ったひとりの詩人が、時を越えて互いの魂の奥底で共鳴していることに気づかされる。

画像1: (c) 2016 FILM TROOPE, LLC All Rights Reserved

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独立宣言の起草者のひとりであり、「建国の父」として讃えられるベンジャミン・フランクリンの『フランクリン自伝』にも明らかなように、アメリカという国を動かしているのは、個人の絶えざる自己変革の意志だ。自己啓発本の元祖ともいわれるこの自己創造と成功の夢の系譜には、例えば一介の田舎者から「華麗なる」変身を遂げたジミー・ギャッツという人物もまた入るだろう。「アメリカ人の人生に第二幕はない」。「Self-made man(腕一本で叩き上げた人間、裸一貫から出世した人間)」というアメリカ生まれの表現が示すとおり、アメリカでは自らをつくっていく意志と人間こそが貴ばれ、そこに至上の価値が与えられる。

だが、ひそひそと大人たちの知らぬ秘密の合言葉を交わして楽しむ子どもたちのように、エミリー・ディキンソンの詩はこの「誰かであらねばならない」という息苦しい呪縛からは自由だ。そしてハリー・ディーン・スタントンという俳優もまた、このアメリカ的自己創造や成功の夢とは無縁の「誰でもない」人間を演じ続けてきた。つけ加えるならば、「DON’T TRY(頑張るなよ)」と自らの墓碑銘に刻み、世俗にまみれた野性のディキンソンとでもいうような、もうひとりの現代詩人にして酔人チャールズ・ブコウスキーがこの俳優の親しい友人であったのも、決して偶然とはいえまい。

「11年間この仕事をしてきて、いいことは何ひとつなかった」とつぶやき、ごみ屑のように死んでいく『レポマン』。

大恐慌時代にもうひとつのアメリカの夢を追い求めたデリンジャー一味のなかで、たったひとり場違いに空回りし、皆の失笑にも気づかない男ホーマーを演じた『デリンジャー』。ギャングの誰もがその疾走する生に比例する壮絶な死を迎えるなかで、大学生の若者から奪った車を奪い返され、「ツイてねえ」という口癖とともに蜂の巣にされ死んでいくその哀れ。

自らの眼を潰すことに挫折し、盲目のふりをして神の言葉を説く巡回説教師ホークスを演じた『賢い血』。自身に打ち克つことのできない意志の弱さ、それゆえの人間味。

荒野の寂れたモーテルの一室を舞台に、時代に取り残されたカウボーイと若い女の間を彷徨う、見えない亡霊のような老人を演じた『フール・フォア・ラブ』。

一人娘を愛しながらも、あぶれた職と別れた妻を忘れられずに、毎日路上をあてどなく探し歩いている父親ジャックを演じた『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』。娘に説教される不甲斐ない父親の姿はしかし、現実を受け入れられないこともまた、紛れもないひとつの現実なのだと私たちに示してくれる。

画像2: (c) 2016 FILM TROOPE, LLC All Rights Reserved

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そしていま、90歳を迎えたハリー・ディーン・スタントンは子どもたちの前でマリアッチを歌うラッキーとしてスクリーンに映し出される。人生の終わりを感じている彼の歌声には、何者でもないがゆえに何の打算も見返りもない。そこにはただ、いまを生きる者たちへの祝福があるだけだ。それはまた、ラッキーという人物を通じた二人の脚本家と監督ジョン・キャロル・リンチによるハリー・ディーンへの祝福でもある。誰もが死=nothingを迎える者であり、何者でもない=nobody。たまたま今ここにいることの僥倖を受け入れること。戦争の影を背負いながら、人間の弱さや醜悪さを傍で見つめ、また自ら演じてきた男は、誰よりも暗闇の深さを知っている。しかしだからこそ、そこに身を委ねることなく、陽光の下で歌い、微笑むのだ。幸運な人生などありはしない。ただ人生という幸運を力の限り生きぬくのだと。

『エイリアン』において、宇宙貨物船ノストロモ号内で迷い猫となったジョーンズが見ていたのは、ハリー・ディーン・スタントン演じる眼前の機関士ブレットではなく、背後にいたエイリアンだった。『パリ、テキサス』でナスターシャ・キンスキー演じるジェーンが見つめていたのは、かつて愛した夫トラヴィスではなく、眼前のマジックミラーに映る自らの姿だった。1950年代から今日に至るまで、200本以上の映画に出演してきたハリー・ディーン・スタントンは、映画という虚構のなかにいながら、つねに「よそもの」であり続けた。映画から疎外された見えない人間。何者でもない人間とはつまり、映画の外部=現実に生きる人間のことだ。華々しいスターや美しいヒロインを横目にしながら、ときに悪態をつき、嫉妬にかられ、こんなはずではなかったと落胆する。そう、それは映画のなかでは生きることのできない、このうんざりするような現実を生きる私たちのことなのだ。

Jane : You. . . just disappeared. Now I’m working here. I hear your voice all the time. Every man has your voice.

ジェーン:あなたは…まったく消えてしまった。こうして今ここで働いているけれど、あなたの声はいつも聞こえるわ。どの男の声もあなたなの。

(ヴィム・ヴェンダース監督、サム・シェパード脚本『パリ、テキサス』より)

名優ハリー・ディーン・スタントン最後の主演作『ラッキー』

画像: 名優ハリー・ディーン・スタントン最後の主演作『ラッキー』予告 youtu.be

名優ハリー・ディーン・スタントン最後の主演作『ラッキー』予告

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【ストーリー】
銀行強盗もしない、飛行機から飛び降りもしない、人助けもしない。
「人生の終わり」にファンファーレは鳴り響かない――

全ての者に訪れる「死」――。
90歳の気難しい現実主義者ラッキーのたどり着いた、ある答え。

神など信じずに生きてきた90歳のラッキーは、今日もひとりで住むアパートで目を覚まし、コーヒーを飲みタバコをふかす。いつものバーでブラッディ・マリアを飲み、馴染み客たちと過ごす。そんな毎日の中でふと、人生の終わりが近づいていることを思い知らされた彼は、「死」について考え始める。子供の頃怖かった暗闇、去っていった100歳の亀、“エサ”として売られるコオロギ――小さな街の、風変わりな人々との会話の中で、ラッキーは「それ」を悟っていく。

名バイプレイヤーとして知られるジョン・キャロル・リンチが、全ての者に訪れる人生の終わりについて、2017年9月に亡くなったハリー・ディーン・スタントン自身の人生にもなぞらえて描いた、ラブレターともいえる初監督作品。ラッキーの友人役としてこれまでにハリー・ディーンの出演作を何本も監督してきたデヴィッド・リンチが出演している。

監督:ジョン・キャロル・リンチ(『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』出演)
出演:ハリー・ディーン・スタントン(『パリ、テキサス』『レポマン』『ツイン・ピークス The Return』)、デヴィッド・リンチ(『インランド・エンパイア』『ツイン・ピークス』監督)、ロン・リビングストン(『セックス・アンド・ザ・シティ』)、エド・ベグリー・ジュニア、トム・スケリット、べス・グラント、ジェイムズ・ダレン、バリー・シャバカ・ヘンリー
配給・宣伝:アップリンク
2017/アメリカ/88分/英語/シネスコ/5.1ch/DCP

2018年3月17日(土)、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク渋谷ほか全国順次公開

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