1月28日より30年ぶりの公開となる映画『ゴンドラ』。
何回か、シネフィルでもご紹介しましたが、公開前日となる、27日にTOHJIROこと伊藤智生監督より、公開前の”決意”としてのメッセージが送られてきました。
以下全文となります。
いよいよだぜ!!
28日(土)PM9:00 渋谷ユーロスペースで、28年ぶりに「ゴンドラ」がリバイバル公開される。
みんな、信じられるかい。 これは夢じゃなくて、現実なんだ!!
これだから人生って奴は面白すぎる。
「ゴンドラ」を撮ったのは、30歳の時だった。
それから俺は、映画の世界を離れて、28年間も何故かAVを全力で撮ってきた。
名前も伊藤智生からTOHJIROに変えてさ。
最初は、ペイントレスラーみたいで、しっくりこなかったけれど、28年間も呼ばれ続けると、
TOHJIROが本名みたいになった。
AVとかエロってさ、世間的にはいつも次元の低いモノみたいに扱われ、何だかとっても悪いこと、
してるみたいに思われることが多いけれどさ、本当にそうなんだろうか!!
映像だけで人を興奮させる事って、実は一番難しい事なんだ。
みんなが思っているほど簡単に出来るインスタント食品じゃないぜ!!
昨年、ちょうど60歳になった俺は、だいぶ時間がかかったけれど、2本目の映画を撮ることを決心した。
男も女も自分の全てをさらけ出すエロの世界で、28年間学んだことが無駄でもバカでもなかったことを、
証明するためにさ。
60歳の映画監督ルーキーに戻ります!!あれから30年経った今、形だけで緩くなった日本映画界に、
本物のリアルを叩きつけるために!!
リバイバル上映する「ゴンドラ」は俺の原点です。
是非、観に来てください!!TOHJIRO
監督プロフィール
<伊藤智生(TOHJIRO)プロフィール>
本名/伊藤裕一(ひろかず)〔監督名 伊藤智生(ちしょう)〕
監督 伊藤智生(TOHJIRO)
1956年、東京、六本木に生まれ育つ。区立城南中学在学中から映画監督を志し、明大付属中野高校夜間部在学中に、「働かせてくれ」と円谷プロ門前に座り込み、美術部で働かせてもらう。1974年4月、夜間部から普通部に転入。1975年3月、同校卒業。
1975年4月、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に第一期生として入学。
1976年~1977年、ATG・馬場プロ作品 森崎東監督「黒木太郎の愛と冒険」製作参加。伊藤は、森崎監督との脚本から参加し、そして自らをモチーフにした映画監督志望の青年役を自身で演じた。この作品で森崎監督は、ドラマの中にドキュメントをちりばめた“ドキュメラマ”という新機軸に挑戦した。この試みは、「ゴンドラ」にも静かに影響を与えている。
横浜放送映画専門学院を卒業後、数々のアルバイト、8mm習作制作を重ねる。
1979年7月、「ゴンドラ」のプロデューサー貞末麻哉子とともに、creative space OM(オム)を六本木に設立。12月、仲代達矢・隆巴主宰〈無名塾〉の公演「渋谷怪談」で演出助手。1980年、「ソルネス」で演出助手。1983年8月OMにて「駆込み訴え」演出。10月、再演。12月、六本木WAVE館オープニングイベントのためのイメージビデオ「ドアを開ければ」監督。
1984年、第一回監督作品『ゴンドラ』着手。1986年4月、完成。
国内での劇場公開の壁には阻まれたが、世界各地の映画祭では評価を得て、1987年10月、渋谷・東邦生命ホールを借りて特別先行上映を敢行。多くの良識ある観客の声援を得て、『ゴンドラ』は、完成より2年を経て1988年4月、テアトル新宿でロードショー公開を果たす。
1989年、外資系の会社からオファーがあり、2本目の映画のコンセプト作り、シナリオ、ロケハンティングで真冬の北海道の紋別に行く。流氷が来る街を舞台にし、親に棄てられ、祖父と暮らす聾唖の少年と、東京から来た踊れなくなったダンサーの女との歪んだ愛の形を描いた「冬の女 winter woman」のシナリオを作成するが、出資する会社との軋轢によりこの企画は空中分解する。この時つくづく「映画は自分の金で撮らないとダメだ!!スポンサーが付く、イコール口が出る」ことを伊藤は思い知る。
1989年、知り合いの紹介で初めてAVを撮る事になり、AV監督TOHJIROが誕生する。
AVの世界は、この時まだキャスティング権はなかったが、伊藤は自ら女優と面接して全て自分のやりたい企画で制作し、メーカーからは一切口出しがなかった。限られた予算だったが、とにかく実験的な事を含め、思うようにやりたい放題に撮りまくった。気がつくと「最初は食うため、ゴンドラで作った借金の返済のため」と思って始めたアダルトビデオの世界に、伊藤はどんどん夢中になっていった。
1997年、レンタル中心だったAVに、セルビデオという新しい流通が現れ、戦場をレンタルからセルビデオに移し、更に伊藤は暴れまくり、AV監督TOHJIROの名を業界で不動のものにした。
2001年、自社AVメーカー「Dogma (ドグマ)」を設立。以後、15年間、自ら精力的に作品を作り続けながら、次世代のAV監督を育ててきた。
2016年、還暦を迎えた。丁度、ゴンドラから30年・・・ついに、2本目となる本編(一般映画)を撮る決意を固め、「ゴンドラ」のデジタルリマスター化を、自らの覚悟の証とした。そんな矢先、今回のゴンドラリバイバル上映のチャンスを頂いた。
1987年 OCIC日本カトリック映画賞 大賞受賞
1988年 オーストリア・ブルーデンツ国際映画祭 審査員特別賞受賞
1987年 トロント国際映画祭正式招待
1987年 ウィーン・シネアジア映画祭正式招待
1987年 ハワイ国際映画祭正式出品
1987年 香港 第2回ジャパン・インディペンデント・フィルムフェスティバル正式招待
1987年 第1回清水映画祭正式招待
1987年 第2回東京立川映画祭 特別奨励賞(プロデューサー個人賞)受賞
1987年 第9回ヨコハマ映画祭 新人監督賞・撮影賞受賞
1988年 インド国際映画祭正式出品
1988年 ニュージーランド現代日本映画祭参加
1988年 ポルトガル青少年国際映画祭正式出品
1988年 メルボルン映画祭正式招待
1989年 東京国際映画祭正式招待
30年ぶりの上映となる『ゴンドラ』デジタルリマスター予告
完成から30年を経て今、美しい映像と幻想的な色彩に透明なメッセージを封印して、ひとりの少女の“心の対話の物語”を刻みこんだこの作品のリバイバル上映が決定!
ストーリー
都会― そびえ立つコンクリートの群れ。
熱を帯びたアスファルト。
無表情に流れてゆく雑踏。
無機質で膨大な顔をもつ空間。
しかし、そんなとかに一角にも、
ひとりの人間と、ひとりの人間との、
小さな小さな世界が無数に散らばっている。
父親は夢に追われた少年― 母親は女。
彼らもかつてここで出逢い、愛し、
一つの生命を宿した。
が、二人の心が別々に歩き出したとき、
引き裂かれた幼い魂は、
どこを彷徨うのか・・・・・・
出演
上村佳子・界 健太(新人)
木内みどり・出門 英
佐々木すみ江・佐藤英夫
鈴木正幸・長谷川初範(友情出演)
奥西純子・木村吉邦
原案・脚本 伊藤智生 棗 耶子
撮影 瓜生敏彦
照明 渡辺 生
編集 掛須秀一
音楽 吉田 智
音響 松浦典良
効果 今野康之
録音 大塚晴寿
助監督 長村雅文 飯田譲治
ネガ編集 小野寺桂子
衣装 藤井 操
美術装置 張ケ谷 実
メイク 立川須美子
アニメーション制作 スタジオぎゃろっぷ
制作進行 四海 満 小宮 真
プロデューサー 貞末麻哉子
監督 伊藤智生(TOHJIRO)