まつかわゆまのカレイドシアター No.28
リメイク、リブート作品について---
まずリメイクものから。
『太陽がいっぱい』
一本目は「太陽がいっぱい」。アラン・ドロン主演、監督ルネ・クレマンの1960年フランス映画。ニーノ・ロータ作曲のテーマ曲とともに、とびきり美しかったドロンの姿を思い出す、永遠の青春映画として大切にしている方も多いのではないでしょうか。
ブルジョアの放蕩息子と一夏を過ごす貧しく野心的な青年リプリー。リプリーは彼を殺し入れ替わる計画をたて、実行に移すのですが…。
1999年、リプリー役をマット・デイモン、放蕩息子役をジュード・ロウでリメイクされました。監督はアンソニー・ミンゲラ。「太陽がいっぱい」よりも原作に近い演出がなされ、スター共演の文芸作としては楽しい作品でしたが、オリジナルの美学には及びませんでした。
ラストシーン、引き上げられるヨット、からみついている網からは…
美しい海岸のカフェ、呼び出され何の疑いもなく立ち上がるドロン……
思い出しますねー。サスペンス映画としてもすばらしい作品でした。何回目かのテレビ放映を一緒にみていた小学生の妹が「あー、おもしろかった。ところで犯人はだぁれ」と言ったのはいまでも笑ってしまう思い出です。
『カサブランカ』
次の作品は『カサブランカ」。
「カサブランカ」のリメイクはいろいろありますが、日本では石原裕次郎と朝丘ルリ子の日活映画「夜霧よ今夜もありがとう」が有名でしょう。
設定をそのまま近未来にして、男女の役を入れ替えた「バーブワイヤー」というB級映画もありました。たぶんもうすっかり忘れ去られていると思いますが、私は嫌いじゃなかったなぁ。
1943年公開の「カサブランカ」はフランス領モロッコのカサブランカを舞台にした悲恋もの。ナチスから逃れてきた人々がひしめく町で、なぞめいたアメリカ人バーオーナーのリックと、アメリカに亡命しようとするレジスタンスのリーダーの妻イルザ、かつてパリで恋人だった二人が再会します。イルザを引き留めたいリック、リックをまだ愛しているイルザ、けれどナチスに対抗するためにリーダーである夫をアメリカに連れて行かなくてはいけないイルザ。戦争に翻弄され、信念と愛に引き裂かれる恋人たち。
もちろん当時は敵国であるアメリカの映画など日本で公開されるはずはなく、「カサブランカ」が日本公開されたのは1946年のことでした。
ハンフリー・ボガートのニヒルなかっこよさ、イングリット・バーグマンの美しさ。そして主題歌「時の過ぎゆくまま」。どんなリメイクもかなわない永遠の名作、と言っていい作品です。
『スター誕生』
さて次は「スター誕生」。これも何回もリメイクされている作品です。作品によってスターになる業界は変わりますが、基本的なストーリーは同じ。
スター志願の女性がスターに見いだされ、恋人になり結婚し、スターになっていく。けれどそれと引き替えに男は次第に落ちぶれていってしまう。最後のヒロインの名ゼリフが「I am ミセス・ノーマンメイン」。ノーマンメインというのが夫の名前なんですね。
オリジナルは映画界を舞台にした1937年のジャネット・ゲイナー版、54年にはジュディ・ガーランドでミュージカル映画化してリメイクされ、私の世代では舞台を音楽界にかえてバーブラ・ストライザンドがヒロインを演じていました。1976年の作品です。
『めぐり逢い』
「めぐり逢い」は女性映画の伝説的作品である、とは「めぐり逢えたら」の中で、女性登場人物たちが力説していた説です。たしかにリメイクの多い作品で、そのたびにヒットしています。93年の「めぐり逢えたら」もリメイクの一本と言っていいかもしれません。
オリジナルは1939年のレオ・マッケリー監督の作品。監督自身が57年に俳優を変えてリメイクしたのがケイリー・グラントとデボラ・カー共演の伝説的女性映画です。94年にはウォーレン・ビーティとアネット・ベニングが夫婦共演しています。
ふとしたことで知り合った男女がニューヨークでの再会を約束して別れます。しかし、約束の日に女は現れず、男はあきらめるのですが、その後ふたりが再会したとき、彼女がなぜあの日、約束の場所に現れることができなかったかを男は知るのです。
そして二人は再び愛を確かめあい、ハッピーエンドーーというお話。出会い・燃え上がる恋・別れ・すれ違い・誤解・再会・誤解が解けてハッピーエンド、というメロドラマの王道をいくお話です。
では、リブートものに行きましょうか。
『ハルク』
まず一本目は「ハルク」。「ハルク」はマーベル・シネマスティック・ユニバースの一員で、現在「アベンジャーズ」シリーズにも出ている、緑色の怪人です。マーベルコミックの中では古株で、私の世代にとってはテレビシリーズの「超人ハルク」がおなじみです。
2003年、台湾人のアン・リー監督、「グリーンディスティニー」でアジアの伝統的アクションをデジタルで展開した映像を披露し、アメリカを驚かせた監督が「超人ハルク」の映画化に挑戦しました。CGで描かれたハルクは、どことなくかわいげがあり、移動の仕方もぴょーんぴょーんと跳躍して動くなど、アナログ感があって私は結構好きでした。が、どうもそのアナログ感というか、のんびり感と悲壮感がお客さんの「ハルク」感にあわなかつたようで工業的に惨敗。2008年になって、マーベル・シネマティックユニバースにつながるようにハルクの超人化の原因などを書き直した「インクレディブル・ハルク」として俳優も変えてリブートされました。
しかし、主演したエドワード・ノートンがハルク役の継続を拒否。「ハルク」のシリーズは宙ぶらりんになってしまいます。その後「アベンジャーズ」がシリーズとして始まったとき、ハルクは「インクレディブル・ハルク」の設定のまま、マーク・ラファロにハルク役を引き継いで復活したのです。
『ターミネーター』
「ターミネーター」は1984年ジェームズ・キャメロン監督によって生まれたシリーズです。
日本では1985年に公開されました。
機会に支配された未来から現在に送り込まれた暗殺ロボット・ターミネーターから、暗殺のターゲットととなる未来の反乱軍リーダーの母サラ・コナーを守るため、リーダー ジョン・コナーによって送り込まれた反乱軍兵士カイルの戦いを描きます。
続編「T2」は一作目をしのぐくらいおもしろかったのですが、その先が迷走。T3は監督からも製作からもキャメロンが手を引き、ジョン・コナー役も交替しています。阻止できたかに思えたジャッジメントデイがやはり起きてしまい、三度ジョンの抹殺のために新型ターミネーターが送り込まれてくる、という設定です。同時にジョンを守るためにアーノルド・シュワルツネガーの顔をした改良型ターミネーターも送り込まれ、またターミネーター同士の戦いが始まります。
T3に対しては冷ややかだったキャメロンですが、T4に対しては非公式にアドバイスもしたようです。ただし、シュワちゃんが政界に転身してしまったことなどもあり、シュワちゃんターミネーターなしで物語を続けなくてはいけなくなったのはつらかった。しかも製作会社が倒産してしまったこともあり、いったんターミネーターシリーズは打ち切りとなります。
そして2015年、リブートとして「ターミネーター 新起動ジェニシス】が公開されます。シュワちゃんのターミネーターも大活躍するリブートでしたが、今までのターミネーターの世界観を否定するようなストーリー展開に観客は戸惑い、お金をかけた割にはヒットせず、結局最初のキャメロン&シュワに勝るものなしということを証明することになりました。
『ゴジラ』
さてお次は「シン・ゴジラ」。評判がいいですね。黒沢映画以外で海外の監督たちがリメイクしたがる日本映画といえば「ゴジラ」に尽きるのではないでしょうか。
1954年に誕生したときは、水爆実験のおとし子という設定でした。その設定は変えないまま、ゴジラはリブートされ続けています。日本映画でリブートといえるのはもしかしたらゴジラだけかも。
54年の誕生から「怪獣映画」というジャンルを作り出し、1975年代まで作り続けられたゴジラ映画でしたが、どんどん荒唐無稽に、お子さま向きになり、飽きられてしまいます。この時期のゴジラ映画は昭和ゴジラシリーズと呼ばれています。
それが復活したのが84年の『ゴジラ』を経た89年の「ゴジラ対ビオランテ」でした。このシリーズは平成ゴジラシリーズと呼ばれ、95年まで続きました。
99年ミレニアムゴジラシリーズが始動し、04年「ゴジラ・ファイナル」でいったん終わります。このシリーズはこれまでのゴジラの設定から自由になり、リブート、と言っても良かったかもしれません。
そして今回の「シン・ゴジラ」。12年ぶりのこれも、再リブートと言っていいでしょう。
『マッド・マックス』
昨年の映画界で世界中を驚かせたのは「マッド・マックス」の、監督本人によるリブート「マッド・マックス 怒りのデスロード」登場と世界中での大ヒットでしょう。はっきり言って、どうしてあんなことになったのか、私にはわかりません。冷静にみると今回の「マッド・マックス」マックスはあんまり活躍していませんよね。むしろシャーリーズ・セロンの方が主役だったのではないか、とはもっぱらの評判でした。
そもそも「マッド・マックス」シリーズ自体、一本目は子供を殺された警官とバイク軍団の戦いだったのに、続編になったらいきなり、地球の終わった後の近未来で繰り広げられるサバイバル戦争の話になっていたし…。まじめに考えなくていいのかも。「マッド・マックス」のおかげで世界にオーストラリア映画の存在が知れ渡り、オーストラリア出身のスターが活躍するようになったのですから、まぁ、いいとしましょうか。
『猿の惑星』
リブート作品の中で一番成功したといわれているのが「猿の惑星」です。オリジナルは1968年ですが、その後シリーズ化され、73年まで5本の作品が作られました。一作目のラストの衝撃がめちゃくちゃ大きくて、これで終わりでいい、と思うのですが、猿が人間を支配するという設定が気になったようで、なぜそういうことになったのか、その後どうなるのか、という物語を作り映画化していったわけです。
「最後の猿の惑星」で終わった元のシリーズとは違うものとしてリブートしたのがティム・バートン版の「プラネット・オブ・エイプ」でしたがシリーズ化はならず、これと連動はしない形で再びリブートされたシリーズが2011年に始まった「猿の惑星 創生期」です。ここでは、どのようにして人類を凌駕するような知性を猿たちが持つようになったのか、人類と猿たちが反目するようになったのはなぜかなどのストーリーを、オリジナルの「猿の惑星」にはつながらない、新たな物語として構築し直しました。
すべてを見直して再起動させるという意味では正しいリブーとの方法だと思います。これが成功して「猿の惑星 新世紀」が出来、ヒット。2017年には最終作が公開される予定になっています。
最新作をご紹介する「カミング・スーン」
今週はアニメ「ソングオブザシー」とイタリア映画「神様のおぼしめし」をご紹介しましょう。
まず一本目は「ソング・オブ・ザ・シー」。今年のアカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされたアイルランド・ルクセンブルグ・ベルギー・フランス・デンマークの合作アニメです。
モチーフになっているのは、アイルランドのセルキー伝説。アザラシのような海の妖精セルキーは、海のなかでは朝へ裸子の格好をしていますが、陸に上がるとアザラシの衣を脱いで人間に変身します。人間に衣を隠され、セルキーに戻れなくなり、人間と結婚。子供も産まれますが、衣を見つけて海に帰っていく、という日本の羽衣伝説と似たお話です。
ベンは灯台守のお父さんとお母さんと一緒にアイルランドの小さな島にすんでいます。ベンは新しい赤ちゃんが産まれるのを楽しみにしていますが、その朝ベンが目を覚ますと、小さな妹シアーシャを残してお母さんは海に帰ってしまっていました。貝殻の笛をベンに残して。
やがて月日が流れ、シアーシャの六歳の誕生日がやってきます。シアーシャはまだ言葉をしゃべらず、心配したおばあちゃんは兄弟を町に引き取りたいというのですが、ベンはこの灯台を離れる気はありません。
しかし、その晩、事件が起こります。光に導かれたシアーシャが隠してあったセルキーのコートを見つけ、海に入ったのです。姿を消したシアーシャを探すおとうさん、海でシアーシャを見つけたお父さんは、セルキーのコートを海に投げ捨て、二人の子供をおばあちゃんに預け町に送り出すことを決めてしまいます。
町に着いたベンは、どうしても家に帰りたいとシアーシャとおばあちゃんの家を抜け出します。そんな二人を密かに追いかける三人組の妖精ディーナシー。彼らはフクロウ魔女マカの呪いで石にかえられてしまった妖精たちを、セルキーであるシアーシャに救ってほしいと願っているのです。けれどシアーシャを追いかけていたのはディーナシーだけではなく、フクロウ魔女の使いであるフクロウたちにシァーシャは連れ去られてしまいます。
ベンはシアーシャを探し、妖精たちを救うため、冒険の旅にでます。
アニメーションとデジタル技術を使えば何でもできる時代になった今、アニメーションならではの表現方法というものが問われるようになっています。それは技法やストーリーテリンに対して特に要求されるものになっていると思います。
その点でこの「ソング・オブ・ザ・シー」は、アイルランドの民族伝承物語を軸に、少年の冒険に彼の成長と家族愛の物語をリアルさよりも色と形と光の美しさにこだわって描きだしています。
リアルさを追求するアニメを見慣れた私にとっては新鮮で、優しく怖く、ユニークでなにより美しく、懐かしい感じがしました。
私は大学生の頃、児童文学に凝った時期があり、そのとき珍しく日本の児童文学でおもしろいと思ったのが「銀の炎の国」という作品でした。幼い兄と妹の冒険という点で「ソング・オブ・ザ・シー」とつながり、懐かしく思い出してしまいました。
お子さんやお孫さんと一緒にだけではなく、大人が見ても、その美しさにうっとりできる作品だと思います。
8/20から恵比寿ガーデンシネマで公開です。
『神様の思し召し』
二本目は「神様の思し召し」。こちらはイタリアの人情喜劇です。昨年の東京国際映画祭で観客賞を受賞しました。
一般のお客さんが鑑賞できる仕組みの映画祭で、観客賞を穫る、ということは、映画のプロである審査員たちが選ぶコンペティションの賞とは違い、一般のお客さんが一番楽しかったとお墨付きをもらう、ということです。
主人公はローマに住む心臓外科医トンマーゾ。その腕の確かさは折り紙付きで、何人もの患者をその手術で救ってきた名医です。が、人間としてはかなり、難あり。
合理主義者、無神論者、自己中心的で自信満々。絶対自分は失敗しないと考えていて、スタッフを家来のように扱います。家では、リベラルで理解のある親を演じていますが、実は家父長主義的で、妻や子供たちの本音をおもんぱかったことすら、たぶんない、という人物です。
そんなトンマーゾに思いもかけない災難がふりかかります。医学生で自分の跡を継ぐであろうと期待している息子アンドレアが、突然、神父になる、といいだしたのです。
まさに、青天の霹靂!! トンマーゾは驚き、怒り、息子に走られないよう息子の心変わりの原因を探り始めます。
そして突き止めたのが、カリスマ的な神父ピエトロの存在でした。若くハンサムでセクシーなこのピエトロ神父。派手なパフォーマンスと分かりやすい説教で多くの若い信者を集めています。ピエトロ神父の集会に密かに出席したトンマーゾは、ピエトロ神父に何となく胡散臭さを感じます。
なにせ、町の名士のトンマーゾですから、警察署長だってお友達。早速ピエトロ神父の過去を調べあげます。なんと、ピエトロ神父は前科者。刑務所の中で信仰に目覚め、出所して神学校にいき神父になったという変わり種だったのです。
それを知ったトンマーゾは、まだ続けているに違いないピエトロ神父の悪事を暴き、息子の目を覚めさせようと考えます。身分を隠し、失業中で家族の問題も抱え自殺したい哀れな男と偽ってピエトロ神父に近づくのですが!?
設定やストーリーの流れ、キャラクター設定などは定石で、新しいことはあまりないのですが、それでも心地よく笑ってしまうのは、ツボを丁寧に押さえた演出と役者たちの的確な演技のおかげでしょう。
イタリア映画界では有名な俳優たちですが、いつもの役柄とは反対の役を演じさせたそうです。ブルジョワ青年の役が多い二枚目アレッサンドロ・ガスマンにピエトロを、庶民役の多いマルコ・ジャリーニにトンマーゾをという具合。トンマーゾの妻、今は有閑マダムだけれど、この騒動をきっかけに本当の自分はこんなはずじゃなかったと、昔穫った杵柄、大学生たちの先頭に立って反権力闘争を率いる闘士に変身してしまうカルラに、「息子の部屋」のラウラ・モランテというキャスティングも意外です。
そしてこの騒動、思いがけない結末を迎えるのですが、そのオープンエンディング、見る人に結末を想像してもらおうという終わり方に、ただの人情コメディではないな、やるな、お主、と思ってしまいました。そこが、観客賞の由縁、なのかもしれませんね。
8/27より、新宿シネマカリテ で上映されます。