トラバタンズの庭  今泉力哉

第2章 佐伯美紀子の再婚

 あまりの出来事でちょっとしばらくは立ち直れないかもしれない。今日も相も変わらず9時10時頃家を出て喫茶店で脚本を書こうと思っていた。昨晩も似たような話をしていて、なんだかんだ険悪な空気になったのだからやめておけばよかったのだが、思わずぺらぺらと話してしまう癖がある。そのくらいには自分では面白いと思っていた。現在進行形で一生懸命書いている新作映画の内容を話していた。妻はあるところまで聞き終えて、「大丈夫?今までで一番つまんなくなりそうだけど」と言った。「テーマは?伝えたいことは?」などと言った。ずっと、テーマや伝えたいことなんてない、と言い続けてきた俺に、だ。そして、ああだこうだ揉めた挙げ句、妻は言った。「それじゃ今までと同じになっちゃうよ」「それでいいじゃん。俺は今までの自分の映画、面白いと思ってるよ」「あ、そ」「ていうか、面白がってくれてると思ってたんだけど」「ぜんぜん面白くないじゃん。全部。あ、『足手の繕い』は面白かったけど」と 妻。

 終わったなあ、と思った。道理で最近「バイトしてよ」とよく言うようになったわけだ、と 理解できた。結局、妻にとってはただの才能も何もないただの穀潰しだったのだ。逆に今までよくつきあってくれたと思う。テーマや伝えたいことがあった方がいいのか。そんなものはない方がいいのか。かっとなって俺は「だったら映画じゃなくていいじゃん。そういうの伝えたいなら」とよくわからないことを口走っていた。それにも冷静に妻は返した。「伝えたいことがあったら小説とかそういうものがよくて、伝えたいものとかテーマがないものを映画でやるべきってこと?テーマがある映画はつまらないってこと?」「いや、そうじゃなくて」「私はなんでも伝えたいこととかテーマがあった方がいいと思うけど」と。はなから合わないのだ。テーマなんていうものは先に設定するべきではなくて、製作の過程で自然に発生すべきものだったり、観客が個々に感じ取ればいいものだと、そう思っているので、もうずれにずれている気がした。「だから、今みたいな状況なんじゃないの?」とまで妻は言った。<今みたいな状況>とは食えていない、燻っている、俺の今の状態のことだろうか。じゃあ何か。テーマのある映画をつくれば、俺が食えるようになるとでも思っているのだろうか。甘いわ。そういう話ではない。才能がないのだから。私たちは別れることにした。それがちょうど2年前の話だ。

 つきあいだした当初、妻はでかい映画会社の受付嬢だった。だから、馬鹿なんだろうなと思っていた。見た目だけが魅力の、馬鹿なんだろうなと思っていた。馬鹿じゃなかった。俺より明らかに賢くて、適度に裕福でなく、それはそれはできた人だった。結婚してから、自分の作風や生活、考え方などが、どうこう変わった訳ではないのに、事態は好転していった。低予算ではあるが映画の仕事も増え、年に1本は映画を公開できるようになった。しかし、それで食べられるほどではなく、受付嬢を辞め、自分で新しくIT 的な会社に就職した妻に支えられていた。好転、なのかな。好転と書いたけど、ある種、何もいいことはなかったのかもしれない。 本当に欲しかったものって何だったのだろう。よき理解者が欲しかったのか。それとも妻のように、厳しく「面白いもの」の基準が高いアドバイザーが欲しかったのか。ひとりでいたかったのか。でも、もう正直、映画をつくること自体に限界を感じてもいる。自分でも自分の映画がつまらないことなんてわかっているのだ。それを妻が指摘した。それに耐えられなかった。 なんて小さな男なんだろう。そう思う。

 久々に妻だった女、佐伯美紀子から連絡があった。
「彼氏をつくってもいいですか?」
なんでわざわざ聞いてきたのだろう。いいに決まっている。もうあかの他人なのだから。どんな男とつきあおうがもう俺には関係ない。きっといい男なんだろう。俺よりは間違いなく。あとあと、佐伯はその男と結婚することになる。彼は生まれつき、口がきけない人だった。だからってわけじゃない。だからってわけじゃないけど、佐伯はやっぱりいい女だと思った。でも、 やっぱり別れなきゃよかった、とは微塵も、微塵も思わなかった。微塵も。つきあうって、結婚って、離婚て何なのだろう。あかの他人に戻ったはずの俺と佐伯は「彼氏をつくってもいいですか?」をきっかけに再び連絡を取り合うようになった。今、芝美紀子と俺はよき距離感にある。友達とは呼べないかもしれないけど。

 ちなみに俺は映画監督を続けている。やめるほどの勇気も、ほかに何かできることもなかったから。できることがないっていうのは意外といいことなのかもしれない。選択肢が多いことが昔から嫌いな俺は、佐伯とつきあい始めた頃、IKEAに行って本気で吐きそうになったことがある。佐伯、北野、佐伯、芝。名字が変わるって、どういう感覚なのだろう。結局、俺にとっての彼女はずっと佐伯だったんだなって思う。出会った時から今までずっと<佐伯美紀子>で携帯に登録してあるし。下の名前で呼んだのも佐伯の親族に会った時くらいだ。それって佐伯が聞いたらちょっとは悲しんだりするのかな。選択肢。結婚。あほみたいに溢れる人。自分みたいな男が結婚できたことがやっぱり奇跡だったんだなって思う。芝美紀子。語呂はいいよな。

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