シャンソン歌手で作家としても活躍した戸川昌子(とがわ・まさこ)さんが26日、胃がんのため静岡県内の病院で亡くなった。85歳。
東京・銀座にあったシャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」で1957年に歌手デビューし、下積み時代に書いた小説「大いなる幻影」が62年に江戸川乱歩賞。そして、翌年発表した「猟人日記」は直木賞候補になった。
ションソンを歌う作家として、活躍。自ら「青い部屋」というお店を長年経営し、数多くの著名文化人とも交友を重ねた。
原作を書いた映画作品としては、中平康監督の『猟人日記』などがある。(本人が出演)
下記、息子のNEROからのFBでの報告
青い部屋企画事務所より、戸川昌子ファンの皆様へ。
4月26日、午前5時47分。戸川昌子が永眠いたしました。死因は胃がんでした。
皆様には生前、戸川昌子のことを愛してくださり、心より感謝しております。
癌の痛みと闘いながらも、最期は安らかに眠るように永眠致しました。
NEROより
「最愛の母、戸川昌子が今朝旅立ちました。
5年前に末期癌の宣告を受け、家族二人で何度も話し合った結果、最後までステージで歌い続け、戸川昌子らしく生きたいとの本人の意向を受け活動しておりました。
その意志通り、母が入院する前日まで、共に「青い部屋 月曜シャンソンコンサート」のステージに立ち、一緒に歌って来れました。
戸川昌子の生き様を最後まで貫いた、立派な人生だったと思います。
母でありシャンソンの師であり、また仲間のようでもあった母の旅立ち。
その魂は僕の、そして皆様の心の中で生き続けることでしょう。
今は心からの感謝を込めて、送ってあげたい。
ありがとう、僕のママン。」
以下、オフィシャルの訃報としてお送りさせて頂きます。
戸川昌子は5年前に末期癌の宣告を受け、それを押して活動してまいりましたが、今年1月から痛みを発するようになり、病院にて緩和ケア治療に取り組んでまいりましたが、本日永眠いたしました。
この5年間、人生の総仕上げ、そして次世代にそのスピリッツを継承するべく活動を続け、NEROと共に「遺歌」として2枚のシャンソン=唄アルバムを発表。
1967年に創業した伝説のサロン「青い部屋」のマダム
としてのエピソードをYOUTUBEで配信するなど、精力的な活動を行っておりました。
女流作家、歌手、サロンのマダム…様々な顔を持って活動してきた戸川昌子。
どうぞ皆様、戸川の遺した彼女らしいメッセージを受け取っていただければ幸いです。
戸川昌子を応援し、愛してくださった世界中のファンの皆様に心から感謝を。
なお、葬儀や告別式などの日程は追って発表をいたしますので、よろしくお願いいたします。
青い部屋企画事務所
シャンソン歌手としての戸川昌子
数多くの文化人との交流を息子NEROと語っているYOU TUBE番組
だいたい、後半15分過ぎに、交流のエピソードが語られています。