スポットライト 世紀のスクープ

アカデミー賞作品賞と脚本賞を受賞した「スポットライト 世紀のスクープ」をご紹介しましょう。本作はアカデミー賞の作品・監督・助演男優・助演女優・脚本・編集にノミネートされました。
2014年4月、バチカンのフランシスコ法王が、カソリック聖職者による子供などに対する性的虐待を、正式に認め、謝罪し、虐待を犯した者を処罰すると発表して、世界的に大きな話題になりましたが、「スポットライト」はこの事件を公にすることになったきっかけである、アメリカにおける聖職者の性的虐待を告発した新聞記者たちの物語です。記事の掲載は2002年。映画は2001年りの夏に調査・取材を始めるところからスタートします。
聖職者による性的虐待を描く映画は、スペインのペドロ・アルモドバル監督の「バッド・エデュケーション」などもありますが、事実をもとに、記者たちに取材してドキュメンタリータッチで描かれた劇映画は初めてかもしれません。もっとも、聖職者による性的虐待ということ自体は、歴史的にも非常に古くからある問題であることは確かです。ただ、この新聞ボストングローブ紙による告発記事がもとで、その対処が公に求められていくことになったところが、社会的にも重要なのですね。
さらに、この作品は事件自体もショッキングなものですが、それを隠蔽した教会や、軽視したマスコミなどの罪を問うべきではなかったかという、大きな問題を問いかけてきます。私たち日本人にとっては、キリスト教会のことはなんとなく他人事のように思っているかもしれませんが、この映画で描かれるのは、それだけではありません。大きな権力による事件の隠ぺいや、事件の存在を知りながらそれを軽視したり無視したりして、多くの人々に事件の存在を知らせるという責任をはたさないことは、報道機関として許されることなのだろうか、という問いを含んでいるのです。
 
今年はアメリカ大統領選の年です。そのためだと私は思うのですが、今年のアカデミー賞の受賞作や、受賞者たちは、何かしら社会的なメッセージを持っている作品や人が選ばれたような気がしています。
 映画は娯楽だけではなく、社会にコミットすることができるし、しなくてはいけないメディアであると今年のアカデミーは考えているのではないでしょうか。それが映画がしなくてはいけないことだし、その力があるのだ、と示したいのではないかと思いました。
 
そういう意味で、作品賞ノミネート作品の中で一番直接に、メディアの責任、というものを問いかけたのがこの「スポットライト 世紀のスクープ」でした。
欧米社会にとっては、報道機関のなかでも新聞の地位は高く、しばしば権力に対抗するメディアとして描かれ、新聞記者たちは民主主義を守るヒーローとして描かれます。その流れを汲んだ、「新聞社もの映画」としてもすぐれた作品であると思います。
アカデミー賞の演技賞部門では記者を演じたマーク・ラファロとレイチェル・マクアダムスがそれぞれ助演賞の候補になりました。が、この作品についてはチーム演技が評されるべきでしょう。ロビーを演じたマイケル・キートンも、バロン役のリーブ・シュレイバーも今までにない役をリアルに、そして力強く信念を持って演じています。
監督は「扉をたたく人」のトム・マッカーシー。俳優や脚本家としても活躍する人で、今回が初めての作品・監督賞ノミネート、脚本賞では二回目のノミネートになっています。アカデミー賞の作品賞はプロデューサーに与えられる賞ですが、マッカーシー監督は脚本も手掛けているため脚本賞のオスカーを持ち帰ることができたわけです。アカデミーの授賞式では、最期に発表された作品賞の舞台に全員が勢ぞろいして喜んでいたのが微笑ましく思いました。当日はロビーのモデルになった本人も登壇、実際に彼らの成し遂げたことを讃え、調査報道の大切さを訴えるコメントも素晴らしいものでした。

http://www.fm856.co.jp/index.html

This article is a sponsored article by
''.