デヴィッドが来日する時には必ず会う、それも信ちゃん(夫)と一緒に。そんな縁がしばらく続きましたが、いつの間にか疎遠になりました。
最後に会ったのは2004年の武道館でのコンサート終了後の楽屋でした。
とても疲れていて、椅子に座ってお互い「久しぶり」と言う言葉さえもほとんど交わすことなく、静かにわずかな二人だけの時間を共有しました。
NYには仕事で何度も行きましたが、特に連絡を取ることはしませんでした。
”Let"s Dance"の世界的な大ヒット以降は取り巻きが増えて、気付いたらデヴィッドのそばの居心地が悪くなっていました。
今回信ちゃんに、デヴィッドに最初に会った時の事を覚えている?と聞くと、
「よく覚えているよ。NHKの正面玄関だった。いつものように仕事終わりののりちゃんを迎えに行って、車の前で立っていたら、デヴィッドの方から近づいてきて、彼の方から手を差し出して握手をした。それがとても自然で、ちょっと驚いた。結構小柄だったこともね」
80年代の頃はまだのんびりしたもので、セキュリティも緩やかなものでした。
今では彼ほどのアーチストだと、ボディガードなしで原宿を歩くなど考えられませんが、ある晩、二人で表参道から原宿まで歩き、途中で小料理屋に入りました。
ここでいいかな、という気持ちで振り返ると、デヴィッドはいつものように中を覗き、頷きました。
ジョン・ウェイン主演の西部劇『アラモ』は、メキシコからの独立を目指しテキサス軍が全国から集まった義勇兵と砦に篭り、200人が全滅した史実物語。
義勇兵にはデビー・クロケットや、デヴィッドがボウイの名を貰ったという、ジム・ボウイが居ました。
ジムを演じたリチャード・ウィドマークのファンだった私は、ジムについても、そして彼の名前を有名にしたボウイ・ナイフにしても、そこそこの知識を持っていました。
カウンターに並んで座り多少お酒が入ったところで、以前から確かめたいと思っていた事を切り出しました。
「ジム・ボウイのナイフは両刃ですよね」
「よく知っているね」
「ということは、あなたは両刀使い?」
なんてあからさま事は、聞けませんでしたし、もちろん聞きませんでしたが、何か、それに近いようなことをもぐもぐ、酒の勢いで言ってのけた記憶があります。
デヴィッドは否定しませんでした。自分は、あらゆる関係やチャンスをembraceする。と答えてくれたような…。
情けない事に彼がどのような表現を使ったかをはっきりと覚えていません。
ただ、だから私もそんな彼の大きな世界に張り付いていられるのだと、とても嬉しかった。幸せでした。
夫婦でデヴィッドの思い出を貰ったこと、心から感謝しています。ありがとう。(終わり)
デビッド・ボウイと仲良かった、カメラマンの鋤田正義さんや、スタイリストの高橋靖子さん、そして、衣装を担当したファッションデザイナーの山本寛斎さんブログや記事。
各々が、思い出を語っています。