「エンタメ通訳の独り言」(その三)
麗しのキム・ノヴァック(前編)---小林禮子
カンヌ映画祭のジル・ジャコブ氏のように、名だたる映画祭には必ず名物プログラミング・ディレクターが居て、そのとてつもない映画への愛情がそれぞれの映画祭の個性を築いたとみなさんも思われていると思いますが、ゆうばり映画祭にも、小松沢陽一という名物プロデューサーが居ました。
ロバート・ワイズ監督にロジェ・ヴァディム監督、シャルル・アズナブールにジョルジュ・ムスタキ、そしてミレーヌ・ドモンジョ、アンナ・カリーナ、レスリー・キャロンに加えてキム・ノヴァックという多くの往年の大スターや大監督が夕張に初期の頃に審査員長としてやって来たのはひとえに、小松沢さんが自分が会いたいと思う相手を見極め直撃して、巌をも通す情熱でくどいたからに違いありません。
キムに会うまで、いわゆるハリウッドの大スターと言われる女優さんとは、一人しか仕事をした事がありませんでした。「私一人」という自伝書の宣伝に来日したローレン・バコールです。
当時、五木 寛之さんが著名人と対談するというシリーズが、女性誌で掲載されていました。
私は幸運なことに担当編集者と懇意にしていたので対談のアシスタントをさせて頂き、五木さんと写真家のアベドンやジャンヌ・モローなどとの対談の現場に立ち合わせてもらいました。
そんな現場の一つが五木さんとローレン・バコールとのホテル・オークラでの席でした。彼女からのリクエストで、隣室に同時通訳の設備をセッティングして、通訳者二人を介して二人の対談が始まりました。
五木さんが「すばらしい記憶力ですね。作家でもこれほど幼児期の事をきちんと覚えていることは難しいのに、バコールさんは女優でいらっしゃる」と褒め言葉として言われたものを、同時通訳者は「even you are a mere actress」と訳したようでした。私の手元には同時通訳を聞く機器がなかったので正確な事は分かりません。ただ、バコールは通訳者の言葉を聞くと突然イヤホンを耳からはずし、"Am I a mere actress? Are you saying that I am a mere actress?" と大声で言うと、今にも五木さんに襲い掛かりそうな勢いで立ち上がりました。
mereを辞書で引くと「単なる、-に過ぎない」と書いてあります。五木さんは何が起こったのかと座ったまま彼女を見上げ、その直後、隣室から通訳会社の人が飛び込んで来て、平謝りに謝りました。
バコール女史の話が長くなりましたが、要は、ハリウッドの往年の大物女優というのはなかなか一筋縄では行かない人々だと私の心深くに刻まれ、次にハリウッドの往年の大スターに会うときにはくれぐれも言葉に気をつけなければと、肝に銘じさせてくれたエピソードでした。
ですので、夕張で最初にキムに会う前、自分でも「おや」と思うほど緊張していました。第一、リアルタイムでは見れませんでしたが、名画座やTVではそれこそ何度も見た『めまい』、『ピクニック』そして大好きな『愛情物語』に主演した麗しのキム・ノヴァックですから。
(後編に続く)
キム・ノヴァック
チェコ系米国人。両親はともに教師をしていたことがある。モデル時代にスカウトされ、コロムビア映画の徹底した管理のもと、ダイエットや歯の矯正を行い、その妖艶な美貌で人気を集めた。1950年代に多くの映画に主演し、『ピクニック』(1955)、『愛情物語』(1956)、アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』(1958)などの作品は日本でも大ヒットした。その後ギャラをめぐる対立から専属だったコロムビア映画を離れる。1960年代以降は次第に出演作が減っていくが、ビリー・ワイルダー監督の『ねえ! キスしてよ』(1964)、アガサ・クリスティ原作の『クリスタル殺人事件』(1980)などでは、得がたい存在感を示した。1991年を最後に女優業を引退。2007年のインタビューでは、良い役があればまた演じる可能性があると語っている"。
現在は、絵なども描いている。https://www.facebook.com/KimNovakActress