第59回ロンドン映画祭で、名作『ローマの休日』で知られる脚本家、ダルトン・トランボの実話を基にして描かれた、『トランボ(原題) / Trumbo』の会見が行われた。
第2次世界大戦後にアメリカで起こった、赤狩りの標的とされて、ブラックリストに載せられてしまうという、悲運の人生を送ったトランボ。
数々の名作を世の中に残した彼だが、やがて投獄されることになり、釈放後も仕事を干されてしまった。
その為、他の脚本家の名前を借りて発表した『ローマの休日』が、アカデミー賞を受賞することになったが、それがトランボの作品だと認められたのは、彼の死後のことであった。
なお、第59回ロンドン映画祭は現地時間10月18日まで、開催されている。
xiaosong@シネフィル編集部
脚本家のダルトン・トランボ(Dalton Trumbo)は、1905年12月9日生まれ。
アメリカ合衆国・コロラド州出身。
1976年9月10日に逝去している。
南カリフォルニア大学を卒業。
一時は雑誌の記者や編集者を務め、やがて脚本家としての道を歩むようになる。
初めて映画の脚本を書いたのは、37年公開の『潜水艦SOS』で、
40年には『恋愛手帖』で、アカデミー脚本賞にノミネートされている。
しかし、その後アメリカを吹き荒れる赤狩りの標的となってしまい、
ハリウッドの表舞台を追われることになる、、、。
友人の名前でしか発表できなかった『ローマの休日』ほか、名作の数々がある。
稀有な才能をもちながら、脚本家がたどった、数奇な運命、、、。
名作『ローマの休日』で知られる脚本家、ダルトン・トランボの実話を基にして描かれた、『トランボ(原題) / Trumbo』は、とても楽しみな作品だ。
島津香蘭@シネフィル編集部
1953年のアカデミー賞で、ローマの休日は最優秀原案賞に選ばれる。
授賞式では壇上に立ったのは、トランボの親友だった、脚本家のイアン・マクレラン・ハンター。
彼の名前を借りなければ、かの名作が、ハリウッドの頂点に立つことが無かったというのは、何とも皮肉な話と言えるだろう。
その後は、56年にロバート・リッチの名義を借りて発表した『黒い牡牛』が、アカデミー原案賞を受賞。
1960年公開の『栄光への脱出』で、公式にハリウッドへと復帰すると、71年には自らが監督・脚本を手掛けた『ジョニーは戦場へ行った』を発表した。これは、第2次世界大戦が勃発した39年に発刊した自身の小説を映像化したもので、戦争によって五感も手足も失った男を主人公とすることにより、当時ベトナム戦争に参加していた政府を、痛烈に批判する内容となっている。
発表されるとたちまち話題となり、カンヌ国際映画祭では審査員特別グランプリなど、数々の賞を受賞した。
やがて、トロンボは73年公開の『ダラスの熱い日』で脚本を手掛けると、その3年後の76年に逝去。
彼の死後にローマの休日による一連の裏事情が明らかになると、93年にはアカデミー原案賞が改めてトロンボに与えられている。
《HEW》