Cinefil原稿『映画と小説の素敵な関係』
第六回 『幻影師アイゼンハイム』―中編

『幻影師、アイゼンハイム』――この作品は19世紀末のウィーンに突如として現れた「アイゼンハイム」と名乗る謎の奇術師の物語りです。本名はエドゥアルト・アブラモヴィッツという、片田舎の家具職人の息子であるといわれるこの男の、この世のものとは思えぬショーは多くの人々を魅了し、「幻影師」と呼ばれるようになってゆく。しかし、その人気が高まれば高まるほどに、当時の帝国(=王権国家)からは“脅威”と見なされてゆく・・・

画像1: http://blogs.yahoo.co.jp/lechatnoir1896/4096414.html

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この大筋は原作である「小説」、そしてそれを基に作り上げられた「映画」も、共通しています。
小説は、このアイゼンハイムという奇術師の半生を追って描かれています。奇術に魅せられ、まるで取り憑かれたかのようになった男が、どのようにして自分の美学を追い求めていったのか。その姿が、「奇術」の発展とともに描かれてゆくのです。このプロット(構成)はミルハウザーの一つの特徴ともいえ、人々に驚嘆を与えた「からくり」が時代の流れの中で、“脅威”とされたり、あるいは飽きられたり、世間に翻弄されながらも、更にそれを孤独に突き詰めてゆく男の姿を描くのをこの作家は好みます。
それは、時には「狂気性」とも呼べる「純粋性」のもとに描かれてゆくのです。
そんな小説を映画にしたのは、ニール・バーガーという当時まだ無名だった映画作家なのですが、監督と同時に脚色も自分で行っています。因みにニール・バーガーはこの作品で評価を高め、現在では『リミットレス』や『ダイバージェント』といった規模の大きい作品を監督しています。
私は『幻影師アイゼンハイム』を観て以来、ニール・バーガーもまた好きな作家となり、その作品を追いかけて観るようになっていますが、常に冒険的で良質な作品を作っている素敵な監督です。
ニール・バーガーがこの小説を脚色するに当たって施した一番大きな作業として上げられるのが、「ヒロイン」ソフィとの前時代的なラヴ・ロマンスとして仕立て上げたことにあります。それも、家具職人の息子と公爵令嬢との身分違いの禁じられた恋。言うまでもなく、あのウィリアム・シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』をマスターピースとする、普遍的ともいえるラヴ・ロマンスの定型です。
他にも随所にシェイクスピア作品からの引用を匂わせる場面も多く、それがこの作品を非常に面白く彩っています。

画像2: http://blogs.yahoo.co.jp/lechatnoir1896/4096414.html

http://blogs.yahoo.co.jp/lechatnoir1896/4096414.html


実はミルハウザーの作品にはラヴ・ロマンスの要素は殆ど見受けられません。
著作の中には女性主人公のものや、女性のロマンスを描いているものもあることはあるのですが、私の個人的な感想でいうと、そういった作品はとてもぎこちなく、あまり魅力的ではありません。何かに取り憑かれてしまった男の美学を描く時と、まったく変わってしまうのです。そして男の主人公たちは決まって、美学のみに生きようとするのです。
そういったこともあって、小説ではソフィは壮年期にさしかかった頃のアイゼンハイムが公爵令嬢ソフィ(小説ではゾフィーと表記)と恋に落ちたことがあったようだが、身分違いのために別れさせられたようだ、くらいにしか登場して来ないのです。
映画的な言い方をすれば、「ヒロイン」どころか「端役」、よもすれば「エキストラ」のレベルでしかソフィは登場していないのです。
そこを、ニール・バーガーは多くの観客を楽しませる映画にするために、アイゼンハイムとソフィとのラヴ・ロマンスを主軸としてふくらませ、そこから再構築しているのです。
これが、この映画を成功させているのと同時に、アイゼンハイムの「仕掛け」、ひいてはミルハウザーの仕掛ける「からくり」を描く上で、重要なファクターとして作用させることになっているのです。このニール・バーガーの手腕には、感嘆せざるを得ません。
ですから『幻影師アイゼンハイム』は、映画ファンたちを騒がせる、魅力的な映画に仕上がったのです。

 
                                    江面貴亮

The Illusionist [2006] | Trailer

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