小さな像に盛り込まれた快慶の華麗な到達点
この地蔵菩薩立像、実はかなり小さな像だ。
快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館 重要文化財
このサイズでこれだけ細部まで徹底して、緻密で端正な表現が盛り込まれているのは、ますます驚異だ。
蓮台の花弁の先端から水滴の形に磨かれた水晶が垂れ下がっていたり、袈裟の上部のドレープがより深く折れ重なっているところや、袖の衣と袈裟の複雑な重なり、足の甲にかかった衣の優雅な曲面など、単に彩色や截金が華やかさが残っていることに留まらず、彫り方そのものでも装飾性が際立った像でもある。
もちろん見るからに煌びやかに見えるのは保存状態がいいからであって、本来なら仏像とはこのように華やかなものだった、というのもある程度は言える。
永い歳月に渡って寺の中で見える場所に安置され続けた仏像は、当然ながら環境の影響を受けて来た。表面は褪色・剥落し、埃だけでなく蝋燭やお香、密教なら護摩炊きのススで真っ黒になったり、本来の輝きが失われるのがほとんどだ。
快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館(部分) 重要文化財
ここまで保存状態がいいのは、「秘仏」のような形でふだんはずっと厨子に収められていたのだろうか?だとしてもキクイムシのような害虫に食われてしまったりすることもなく、800年この美しさが保たれたのは奇跡だ。
そうは言っても、この像がやはり造られた時点で特別なものだったと思わせるのは…陰になっていたり背中側だったりは「手を抜く」とまでは言わないが、よく見えないところでは文様を大ぶりに処理するのが普通だろう。
だいたいこの像の正面腹部の袈裟の深いひだのような彫り方は、後から彩色したり截金を施すことまで考えると大変なことになるから避けるだろう。ところがこの像では深いドレープの奥や袖の裏側や奥まった部分まで文様で覆われているのはすでに述べて来た通りだし、掲載した写真を見てもよく分かる。
袈裟の下の衣にもびっしりと截金の文様。足の甲にかかった裾の優雅な曲面の巧みさも、いかにも快慶らしい。
さらに展示では見えないが、背中側まで均一に微細な截金が施されているそうだ。
袈裟の下に見える巻きスカート状の衣の裾は正方形状の渦巻き文様にびっしり覆われているが、一部の隙もないような丁寧な緻密さは、めったに見られることがない背中側でも同じだという。
この保存状態は800年間置かれて来た状況も大きいのだろうが、こうも経年劣化が少ないのは、彩色の顔料などにもより良質で高価なものを用いているのかも知れない。
快慶は慶派に属し、東大寺の復興事業で南大門の金剛力士像を棟梁の運慶と共作したこともあるが、しかしその作風は康慶・運慶父子の慶派の嫡流、特に見るから力強さを強調した運慶のスタイルとは一線を画している。
参考)運慶・快慶 金剛力士立像 鎌倉時代・建仁3年(1203年)奈良・東大寺(南大門安置)国宝
上が阿形、下が吽形。高さ8.4m弱の巨像2体がわずか69日間で同寺進行で造像されたと伝わり、修理に伴って取り出された胎内文書から運慶と快慶の他にも運慶の息子の湛慶と、定覚が指揮したことが判明した。
東大寺の金剛力士のような、いかにも「慶派の迫力!鎌倉時代!武士の時代の力強さ!」という表現もやろうと思えばできたが、快慶の作風は運慶的な誇張されたデフォルメよりはシンメトリーのようなバランス感覚と端正さや緻密さを重視し、優美で奥ゆかしい、その意味では運慶の分かり易さと対照的なものだ。
そして中期から後期へと、快慶の表現は洗練された装飾性を増していく。
木造金彩阿弥陀如来立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館
藤田美術館には、快慶作と特定できる根拠はないが、快慶が確立し流行させた「安阿弥様」の様式(阿弥陀信仰が篤い快慶が初期に使っていた号「安阿弥陀仏」に由来)の、快慶の初期とほぼ同時代と考えられる阿弥陀如来立像がある。
この阿弥陀如来立像も前傾姿勢でこちらは左足を若干踏み出し、蓮台の台座も前方に傾斜している
端正にバランスが取れた、左右対称のシンメトリーを意識した造形で、いささか吊り目気味な眼や、片足を少し踏み出して救済に向かう動きを表し、横から見ると前傾姿勢であること、衣を覆う繊細な截金の文様など、地蔵菩薩立像と共通する特徴も多い。
木造金彩阿弥陀如来立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館(部分)
衣の全体に細かく施された截金の紋様。左足を踏み出している
一方で、背面の衣の裾の処理で快慶の真作と確定している像に見られる折り返しがなかったり、足周りの巻きスカート状の裾の合わせの位置が快慶はたいてい中心に来ているのがこの像では違うなど、快慶らしくない部分もあるという研究者の指摘もある。
背面も截金の紋様がびっしり施されている。上衣の左側の裾に、快慶の真作と確定している同様の像では折り返しがあるのが、この像にはない。
もちろん快慶がいつもと違うことをやってみた、工房製作なのでそこは弟子の自由に任せたというのもあり得るし、快慶のスタイルが流行していたので他の仏師が模倣したのかも知れない。
このストレートに処理された左の裾部分や、その下の蛇腹状の衣のつなぎが、研究者によれば快慶らしくない、という。
この像では、大きくはだけて胸を見せる衣の前面の合わせは緩やかなV字でシンプルにまとめられている。同時代と考えられる快慶の初期の「安阿弥様」の阿弥陀如来立像なども、衣の胸の部分は同様にすっきり処理されている。
木造金彩阿弥陀如来立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館(部分)
快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館(部分) 重要文化財
比較すると地蔵菩薩立像は右胸の衣が垂れ下がって、より装飾的な表現が加わっている。
これは快慶の中期の特徴と言われ、地蔵菩薩の場合は僧侶の姿なので左胸に袈裟が吊るされるが、後期の如来像では左胸にも右と同様の衣の弛みが表現されるようになる。
地蔵菩薩でも、快慶作品の中期に属する東大寺の像では、袈裟を吊るして折り返した部分は比較的おとなしく処理されていたが、藤田美術館の像では折り返した袈裟がひらひらと、華やかに、胴体から遊離する形ではね上がっている。
この袈裟の薄さも、いかにも布のリアルな表現、と言いたくなるが、よく考えると実際の布ではこんなふうに重力に逆らった複雑で華やかな曲面にはならない。
いかにも装飾的な美しさを探求した快慶の、それも円熟期から晩年らしい表現なのではないか? 仏が美しく夢のように煌びやかであることにこそ、中世の決して平安ではなかった時代の人々は救済を感じ、快慶はその望みに応えたのではないか?
阿字義 平安時代・12世紀 藤田美術館 重要文化財
密教において世界の中心であり根本原理の大日如来を表す梵字の「阿」を想起することで真理に近づこうとする観想の修行の実践マニュアル。
漢字に読み仮名がふられていることから、女性のために書かれたと思われる。色を染めて金銀を散らした料紙の非常に豪華な一巻
※快慶作 木造地蔵菩薩立像の展示は1月31日まで