鎌倉時代の仏師・快慶の作品の中でもとりわけ煌びやかで優雅な像だ。製作年代は西暦1208年(承元2年)以降、快慶の没後と確認される1227年(大治2年)以前と推定される(快慶の詳細な生没年は不明)。
快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館 重要文化財
※展示は1月31日まで
ひとつには圧倒的な保存状態がある。800年以上前に造られたというのに衣の色彩の鮮やかさは、襟が青の衣は青と緑で草花をあしらった優雅な文様も色鮮やかに残り、その青と緑とまばゆいコントラストをなす朱の袈裟の、裏地は緑で、表の朱には小鳥の文様が散らされている。
快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館(部分) 重要文化財
朱に舞う鳥たちは銀のようで、ここはさすがに酸化で黒くなってしまっているが、袈裟の縁は黒に金の亀甲文、朱の部分は金の正方形の菱文でびっしりと飾られ、緑の裏地も金の線で縁取りされている。
金箔を極細に切って貼り付ける截金という技法だ。
衣が大きく開いた胸に垂れる、銅の金具にさまざまな色のガラス玉や石を組み合わせた装飾の瓔珞は、たいていの仏像では永い歳月で欠落してしまうことが多いが、この像には残っている。
いやこんな野暮な解説よりも、まずこの超絶的な華やかな美しさに「はあ・・・」と息を呑むべきなのかも知れない。仏教をまったく知らず、頭を剃った僧形の姿で錫杖を持つのが地蔵菩薩と認識しない、たとえば異なった文化圏の人間でも、この美しさには目を奪われるだろうし、13世紀の作品と聞けばこうした写実性の高い彫刻は15〜16世紀以降のルネサンス期以降のヨーロッパ人などは単純に驚くだろう。
藤田美術館でも展示室の冒頭にこんな開かれたメッセージを投影している。
美術品を「みる」ことに特別な知識は必要ありません
色を親を形を質感を
じっくり時間をかけて眺める
美術品について「きく」とその先が広がります
そのものの歴史、宿る美意識、それを愛した人々
より深い感動がそこにあります
心が動いたことを誰かにはなす
感動はさらに強く心に刻まれ
はなした人とつながることが出来るでしょう
その一助となるために
先人たちが遺したカタチとココロを守り伝えます
カタチとココロを未来へ
快慶の地蔵菩薩立像は、細部に至る装飾と彫刻技巧の緻密さに目が行くのもある意味当然だが、むろんただ派手に飾り立てたから綺麗、というのではない。
この鮮やかな色彩と輝く金が引き立てているのは、快慶の繊細で緻密、なのにあくまで柔らかな彫刻技巧だ。だいたい袈裟の特に腹部の、この艶やかに滑らかな表面は、本当に木彫なのだろうか?
快慶 木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館(部分) 重要文化財
こと腹部から下に向けて広がる袈裟のひだは、キメの細かな柔らかい布のようでもあり、水の波紋の広がりにも見える。間隔がより密な上の方ほど彫りが深く艶やかにひだが折り重なり、下に行くほど浅く静かになって行く、その折り重なったドレープの奥までが綺麗に彫り込まれ、さらに朱と黒の彩色と、截金の文様が施されている。
鎌倉時代における仏像表現の発展で、衣のひだのリアリズムを誇張して深く彫って、うねるような曲面と曲線で魅せる装飾性は重要なみどころのひとつになるが、ドレープが折り重なるその重なりの奥まで深く彫り込んだ像は、さすがに珍しい。
木造金彩阿弥陀如来立像 鎌倉時代・13世紀 藤田美術館
普通は凹凸だけで処理されていて、衣が折れ重なったその奥まで彫り込む、というところまではさすがにやらない。
快慶が完成させた「安阿弥様」と呼ばれる様式の阿弥陀如来の立像の秀作だが、伝来が不明で署名などがないため、作者は分からない。
快慶作の地蔵菩薩立像では、本来なら直線の袈裟の黒のラインが布の折れ曲がりに合わせて上下左右に複雑に入り組み、折り重なったひだの内側にまで自然に(しかしこんなこと自然にできるわけがないので、大変な労力と想像がつかないような工夫で)截金の文様が連続している。
※快慶作 木造地蔵菩薩立像の展示は1月31日まで