金剛界曼荼羅を立体化した国宝・五大虚空蔵菩薩
世界の中心としての大日如来を八体の仏が取り囲み八葉を成す胎蔵曼荼羅の中央部から、様々な神仏・菩薩たちが化身・分身の体系で広がって世界を埋め尽くすのに対し、九つの区画に分けられた金剛界曼荼羅の中央は悟りの到達点を表す「成身会」で、中心の大日如来の上下左右に四体の如来と、それぞれを取り囲む菩薩や護法神が配置され、周囲を千体仏が囲む。
金剛界曼荼羅の九つの区画のうち八つではこの「成身会」を基本とする、合わせて五体の如来が円相に囲まれる基本パターンが、仏を表す密教法具だったり分身・化身の菩薩や明王だったりで、形を変えて繰り返される。つまり金剛界は、漠然と基本的なことは知識として解っていても、それをいかに真の理解として体得していくのかのプロセスを、右下の区画に始まる反時計周りでいわば双六のように進んでいくものだ。
中心上、出発点から四つ目の「一印会」だけがこの基本構造と異なっていて、全面が大きな大日如来で占められ、大日如来の真理そのものこそがこの世界でありこの世界が究極、大日如来であることを表す。
この五という数字は密教で特に重要な数で、世界を構成する基本の物質も地、水、火、風、空の五大要素だ。密教の真言宗・天台宗で僧侶の墓碑などによく見られる五輪塔は、最下部の四角が地(土)で、下から順にこの五つの要素を表す。
また東西南北の四つの方向に中心を加えても五になり、究極の悟りのプロセスを表す金剛界曼荼羅の基本構成要素となる大日如来・阿閦如来(東)・不空成就如来(北)・宝生如来(南)・阿弥陀如来(西・観自在如來)は究極の真理と叡智への理解の象徴として「五智如来」と呼ばれ、平安時代にはこの五体ワンセットの仏像が盛んに造られた(完全な形で残っているものは貴重で、東寺の立体曼荼羅も中心となる五智如来は江戸時代の再興像)。
その「五」という数を踏襲した五大虚空蔵菩薩の「虚空蔵」とは、虚空つまり広大な空間のように無限の徳や知恵を持つことを意味し、智慧や学習を象徴する菩薩だ。空海がたった六ヶ月で恵果に学んだ密教を奥義に至るまで修得したことから、虚空蔵菩薩求聞持法という修法で驚異的な記憶力を身につけたという伝説ものちに生まれた。
五大虚空蔵菩薩はその知恵の菩薩・虚空蔵の五つの変化身に、金剛界五如來の五智如来の叡智を重ね合わせたもので、現存する作例としては神護寺の他には東寺の観智院に、唐時代の中国から請来された五大虚空蔵菩薩がある(重要文化財)。こちらは元は京都郊外・山科の安祥寺にあったもので(安祥寺には空海からそう下らない時代の大きな五智如来像も伝来し、国宝)、五体がそれぞれに獅子、象、馬、孔雀、迦楼羅に乗った姿で、神護寺の像とはずいぶんスタイルも異なる。
神護寺の国宝の像は空海が入定(空海は高野山の最奥で修行と祈りを続けていると信仰され、朝と夕方に食事も運ばれている)した翌年に、仁明天皇の発願で神護寺に建立された宝塔院の本尊として造られたものだ。
仏塔は既存の仏教では仏舎利(釈迦の遺骨の断片)を奉じ、いわば釈尊のお墓を意味する(塔の語源は卒塔婆、サンスクリット語でストゥーパつまりお墓)のが、密教寺院では大日如来を安置するか、心柱を世界の中心・大日如来に見立てて周囲に五智如来の他の四如来を置き、塔の内部を曼荼羅世界とすることが多い。
ならば神護寺の宝塔院(現在は昭和に再建された多宝塔)には五智如来が安置されておかしくないのが虚空蔵菩薩なのは、五大虚空蔵菩薩を五智如来の分身とみなしてのことだろう。
悟りに到達した如来ではなく修行中の身である菩薩、金剛界曼荼羅で出発点の右下から数えて3番目の、五智如来の代わりに五体の金剛薩埵菩薩が描かれて煩悩愛欲も悟りに近づくひとつの道になり得ることを表す「理趣会」の金剛薩埵菩薩を、虚空蔵菩薩に置き換えているとも解釈できる。だとするならこれは、神護寺が密教を学ぶ修行所であり学問所という位置付けを表す、空海の構想の一貫だったのかも知れない。