騎馬武者の一団が、左へと画面が伸びる方向に進もうとしている。平安時代に都の治安維持・警備を担当していた検非違使たちだが、どうも馬がなにを恐れているのか、暴れ出してなかなか進めない。彼らを通り越して画面が伸びてゆく方向の左へと目を移すと、水干や袍、僧形など様々な服装の、身分が高くはなさそうな人々が左へと走っていく。衣服がたなびいたり、かぶりものの烏帽子が飛ばされそうになって押さえているのは、ただ走っているからだけでなく、ときおり画面右から強い風が吹いているからのようだ。

無地の背景に、走る人たちと時折地面だけが目に入り、強い風に吹き飛ばされそうな人物がそれでも走っていくその先に、朱塗りの門が見える。

石段を駆け上ったり、基壇によじ登る人たちを追ってその門を抜けると、群衆の中に画面のさらに左を見つめていたり、逆にそこから恐れおののいて逃げようとする人もいる。よく見るとその左の方から右に向かっては赤い火の粉が飛んで来ていて、門の屋根に降り注いでいる。

視点の先、つまり画面のさらに左から、もうもうたる黒煙が強い風に乗ってこちらへと向かって来る。黒の濃淡にはところどころ赤い火の粉が混じり、さらにその先、画面左へと観進めると、壮絶な紅蓮の炎の中に建物の屋根が見え隠れしている。

炎上しているのは内裏・御所に入る二つ目の門、応天門だ。

絵巻物の世界、あるいは「映画的表現」の誕生

平安時代・12世紀の絵巻物である。国宝「伴大納言絵巻」巻上*。

*東京・出光美術館蔵 展示期間 10月11日(水)〜22日(日)

この1巻目には絵に挟まれる地の文の詞書は一切なく、視覚情報だけですべてが語られる。その視覚情報の展開は絵巻物の約束として右から左へと観進める視線の動き(映画ならキャメラ移動)が左へと走る人々のアクションと一体化して、実のところ絵巻物だから右から左へ見ていく(縦書きの日本語や漢文が右から左へと読んでいくのと同じ)というルールを知らなくても、人物の運動を追うことで自然と視線がアクションによって誘導されてより多くの視覚情報が目に入って来ると同時に、物語の時間軸も空間の中の視点の移動と一致して展開している。

その左に向かう移動に伴う時間経過と、左に走るメインのアクションの流れに逆らうように、時折吹く強い風や火の粉、もくもくと上がる黒煙が、左から右へと流れて行く。この運動の衝突とスピード感の緩急のリズムの恐ろしいほどの完成度の高さは音楽的であり、そして映画的ではないか?

炎上する応天門の先のもうひとつの門の前にも人だかりがしていて、彼らの視線は風上である画面左から右に向かい、巨大な炎を見ている。物見高く猛火に近づき過ぎて熱さに手で顔をおおう者もいれば、黒く細かな紋様の入った豪勢な袍を着ていたり冠をかぶった、上級貴族らしき者たちも目に入り、上級貴族だけに神経がか細いのか、気を失って倒れそうになって支えられていたり、落胆のあまり背を向けて崩れ落ちそうな者もいる。

平安京の都市設計は真南から天皇の住む禁裏へと向かう一直線の朱雀大路を中心軸に構成され、その先の一直線上に並ぶ三つの門が、ここまでに描かれている三つの建造物だ。つまり一直線の横長の画面がそのまま一直線の目抜通りに一致していることが、最小限の背景描写と人々のアクションに集中する視点によって、なんら余計な説明を加えることなく明瞭に示されてもいる。

この圧巻のスピード感の展開と、アクションを生き生きと捉えた緻密な描写のリアリズム、なによりも視線の動きとアクションと、時間と物語の展開の一致を、「映画」と言わずしてなんと言おう? 「映画」はミシンを応用した機械仕掛けと光化学反応による写真映像記録という近代文明の発明ではなかったのではないか? むしろ「映画的表現」でしか表現できないストーリーを見せたい、そんな欲求がずっと前から人類にあって、たまたまそのニーズを合理的かつ簡単に満たすことができる機械仕掛けが、19世紀の末にたまたまアメリカやフランスで作られただけなのではないか?

時間と空間とアクションの推移によって何かを語りたい、というか見せたいという映画の欲望を、機械の発明の700年も800年も前から絵画の形ながら具現化していたのが平安時代の日本人で、その精華が「絵巻物」なのではないか?

国宝「伴大納言絵巻」巻上がそう確信させるのは、野次馬が集う三つ目の門を超えたその先の描写だ。

ここからは昇殿を許された一定以上の身分の者しか入ることができない内裏なので画面は一転して無人になり、霞で覆われた俯瞰の全景に建物の瓦屋根が朧げに浮かび上がる静かな空間があって、その先に透けた黒い布の袍の下に赤い衣が見える豪華な束帯の男の後ろ姿がある。彼は静かに、落ち着いて、なにか確信を秘めたような佇まいで、燃え上がる応天門の方を見つめている。

ストーリー上は、この絵巻は平安時代前期・貞観8(866)年に起きた「応天門の変」の実録もので、記録では応天門が炎上したのは大納言・伴善男の陰謀とされている。左大臣・源信に放火の濡れ衣を着せて失脚させようとしたことが発覚して処断され、流刑となった。だとすると、この黒衣の下に赤が透けて見える後ろ姿の男は、炎上事件の首謀者とされ、タイトルロールでもある伴大納言、伴善男その人だろうか?

ただし記録に書かれている事実関係には、なにやら胡散臭さがないわけでもない。現に歴史学者の多くが伴善男こそが濡れ衣で失脚したのであって、藤原氏の北家が権力を独占するためだったのではないかと考えている。いずれにせよ応天門炎上事件を描くこの巻には詞書、つまり言葉での説明は一切ないので、黒衣の後ろ姿の男の内面の心理も、彼が伴大納言なのかも含め、解釈は自由だ。

さらに左に見進める=時間が経過すると、画面の左端は屋内で、左で床に入って右を向いた天皇が、右に控える人物の話を聞いている。史実を参照するなら若き清和天皇と、太政大臣・藤原良房だろう。その良房の部分はなぜか痛みが激しく、衣がほとんど剥落している。まるで誰かが「こいつこそが…」と指差して、何度も触ったかのようだ。

この宮中の天皇の御座所の手前、つまり画面のすぐ右の建物の外の縁先では、黒い袍から下の赤い衣が透けて見える衣冠束帯の男が、内部で交わされる会話に耳をそば立てている。先ほどの後ろ姿の男と同じ服装なので、つまり一人物なのだろうか。

この最も左、一巻の終幕の舞台が天皇の座所であるということは、左に見進めることが単に時間の経過を表しているだけでなく、視点(映画ならキャメラ)も空間的にも内裏のより奥に移動したこと、つまり時間経過と空間移動の一致がここでも続いていて、一直線に長く伸びた絵巻の展開が空間的には完全に平安京の目抜通りである朱雀大路から内裏までの一直線の都市構造に沿っていることも意味する。

まるで見事な横移動、長大なトラベリングで捉えた、まるで溝口健二かテオ・アンゲロプロスの大作のようなワンショット・ワンシークエンスが、この絵巻には演出されているのだ。