大量生産・大量消費の新しい文明を支える「デザイン」

香水テスターケース「コティの香水」コティ社 ルネ・ラリック製の金属プレート付 1911年

そうした独創性へのこだわりと大量生産消費社会への適合の両立は、ラリックのガラス工芸における事実上のデビューが香水瓶だったところから、すでに始まっているのかも知れない。

百貨店(デパート)と言う新たな商業形態が生まれ、それまでは匂いの見本を使って液体そのものを売っていた香水が、匂いそのものではなくパッケージのイメージで売られるようになったのも近現代の現象だ。香水メーカーはそのための魅力的なイメージを持つ瓶を製造販売業者が必要としていた。そのニーズに適確に応えられたことが、ガラスにおけるラリックの始まりだった。

ラリック製ガラス・プレート付香水瓶「レフルール」コティ社(瓶はバカラ社製)1908年 北澤美術館蔵

同じ香水メーカーならその統一的なブランド・イメージが必要な一方で、全部がまったく同じイメージに見えてしまうと、今度は個々の商品の魅力が伝わらない。規格化された同一性と個性の差異という一見相矛盾した双方のニーズを満たさなければいけないのが近代のデザインだ。

むろん香水と言うのは本来、時と場所柄やその日の気分で使い分けるものだ。個々の香りに応じたイメージを瓶で作り出さなければならなくなったのも、近現代の大量生産・消費文明的な現象だろう。それ以前の社会では、香水は液体そのものが売られ、容れ物はそれぞれの顧客がずっと持っていて、自分でどの瓶にどの香水を入れるのかを選ぶものだった。

ルネ・ラリック 香水瓶「シクラメン」コティ社 1909年 北澤美術館蔵

先端科学技術を駆使して人工的かつ大量生産される商品の魅力は、その生み出した流行のデザインの結果、みんなが同じものを持つことにもなり、すると途端に平凡化してしまう。

つまり成功したデザインほど、その美的な付加価値が今度は低下してしまいかねず、デザインそのものの意匠や構成とは全く別個の意味づけがされてしまう場合も多い。アール・デコと同時代のドイツのバウハウスやロシア構成主義の辿った運命がこれだった。

ルネ・ラリック 香水瓶「二つの花」1933年 北澤美術館蔵

今日でも東ベルリンには、20世紀初頭から30年代頃までのデザインの労働者向け集合住宅が多数残っている。実は建築的に非常に魅力的だし住み心地もいい。社会主義時代に建てられた集合住宅もまた、建築としては優れたものだ。あるいはそのドイツのフォルクスワーゲンやフランスのシトロエンの大衆向け2CVの自動車や、日本で特にピンと来る実例といえば「団地」であるとか、あるいはラムネのガラス瓶やヤクルトのプラスチック瓶はいずれも、実は美的にも優れたモダン・デザインだが、そこに付加価値を見出す価値観は今ではほとんどなく、「ありふれた安物」のようにしか見られていない。

ルネ・ラリック 花瓶「フォルモーズ」黒、グレー、オパルセント・グリーン、オパルセント・イエロー、赤、いずれも1924年 大ヒットしたこの形の花瓶は様々な色のバリエーションで製造・販売された 北澤美術館蔵

パリにあるアール・デコ時代の建築やアパートは、今日でも(立地が高級住宅街である16区などに多いせいもあって)お洒落でモダンなものとして見られている。フォルクスワーゲンの通称「カブト虫」はとっくに生産停止だが、同じポルシェ博士のデザインに基づくポルシェ・ブランドの自動車は超高級車として同じデザインの系譜が踏襲されているし、「ポルシェ・デザイン」も高級ブランド化していて、ポルシェ博士のデザインが元々はナチス政権の政策ニーズに応じて生まれた「国策」だったことも忘れられている。

むしろ機能を度外視さえした過剰な部分、カスタマイズの個性や希少性こそが、資本主義の中での消費の欲望をもっとも刺激する。その最たるものが高級ブランド・メーカーの「一点もの」だろう。

大量生産・大量販売の時代だからこそ際立つ「一点もの」の誘惑

香水瓶を皮切りに先端技術で美を大量生産する商品で成功したラリックが、そこをちゃんと理解して抑えていたと分かるのは、スピードが売り物の自動車の先頭の飾りをわざわざ壊れ易いガラスで作ったことだけではない。フランス語でシール・ペルデュ cire perdu、直訳すれば「失われるロウ」という意味になるガラス器がある。

ルネ・ラリック シール・ペルデュ花瓶「ユーカリ」 1923年 北澤美術館蔵

金属の金型や素焼きなどの耐久性がある鋳型ではなく、ロウで原型を作って耐火粘土や耐火石膏で覆い、加熱してロウを溶かして外に出し、中にできた空洞を鋳型にして、その空洞にガラスを流し込む。原型の素材も鋳型の材質も、硬くスベスベした質感にはならないので、繊細で柔らかな風合いが生まれ、手作り感たっぷりだし、原型のロウについた指紋がそのまま作品に残っている場合もある。

ルネ・ラリック シール・ペルデュ花瓶「子供の円舞」 1913年 北澤美術館蔵

流し込んだガラスが固まったら素焼きや石膏の鋳型を壊して製品を取り出すので、一点しか作れない代わりに、通常の鋳型では不可能な、入り組んだ造形も可能だ。

もともと金属加工の技術で、複数回使いまわされる鋳型では不可能な表現も可能になり、希少性の高いものだが、ラリックはジュエリー製作でこれをマスターしていたのを、ガラスに応用したのだ。

ルネ・ラリック シール・ペルデュ水差「小さな牧神の顔」 1922年 北澤美術館蔵

またそんな希少な一点もの、それもとくに凝ったデザインでクオリティの高いものを多数揃えていることからも、北澤美術館のガラス・コレクションのレベルの高さが分かる。

ルネ・ラリック シール・ペルデュ蓋付花瓶「バラ」1921年 北澤美術館蔵