日本で封印され続けた伝説の映画が、ついにスクリーンへ

ポール・シュレイダー監督『MISHIMA』と公開を阻んだ「暗黙の了解」

10月27日から11月5日まで開催される今年の第38回東京国際映画祭が発表したラインナップの中でひときわ注目を集めたのが、ポール・シュレイダー監督作『MISHIMA』(原題『Mishima: A Life in Four Chapters』)である。1985年に制作されたにもかかわらず、日本ではこれまで一度も正式上映されなかったこの作品が、三島由紀夫生誕100年を記念した特集の一環として、ついに日本初上映を迎えることになった。

本作は1985年のカンヌ国際映画祭で芸術貢献賞を受賞するなど、世界各国で高い評価を獲得。IndieWireが選ぶ「1980年代ベスト映画ランキング」では、スパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)に次ぐ第2位に選出され、揺るぎない地位を確立している。では、なぜこれほどの名作が40年近くにわたり日本で封印されてきたのか。

画像1: © 1985 The M Film Company

© 1985 The M Film Company

「上映禁止」ではなく「暗黙の了解」

結論から言えば、『MISHIMA』は日本で法的に上映禁止とされたことはない。存在していたのは、映画を公開しないという「口頭の合意」、いわば暗黙の了解である。

作品製作当時、三島由紀夫は文化人という枠を超え、右翼思想の象徴的存在であった。彼は敗戦後の民主憲法と天皇制の変容を強く批判し、自らの信念を示すべく1970年には市ヶ谷駐屯地で自衛隊員にクーデターを呼びかけ、切腹自決に至った。その劇的な最期は日本社会に衝撃を与え、彼は右翼にとって「英雄」であり続けた。

アメリカ人監督であるシュレイダーが、その英雄の生涯と死を映画化する――この企画は、日本の保守派にとって到底受け入れられるものではなかった。製作を担当したのはフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカスらが立ち上げた製作会社「アメリカン・ゾエトロープ」で、撮影は東宝スタジオで行われた。だが右翼からの圧力は激しく、東宝東和は公式には出資を否定しつつも、実際には製作に関わっていた。最終的に東宝東和は「日本国内で上映しない」という約束を条件に妨害を免れ、作品は完成したが、日本のスクリーンからは姿を消したのである。

画像2: © 1985 The M Film Company

© 1985 The M Film Company

撮影現場に漂う緊張感

シュレイダー監督自身も当時を振り返り、「撮影開始直後、防弾チョッキを着用しながら現場に立たざるを得なかったほどだ」と、そのただならぬ緊張感を回想している。製作陣でさえ「撮影が中止されるのでは」と恐れるなか、辛うじて企画は進行した。

映画人のネットワークでも、彼と共にいるところを見られるのを避ける者がいたという。完成後も東宝は公式には「無関係」を装い、事実上の「日本非公開」が維持され続けた。こうした経緯から、『MISHIMA』は日本において長らく“幻の映画”と化していた。

画像: ポール・シュレイダー監督

ポール・シュレイダー監督

40年を経て「歴史」へ

では、なぜいま日本上映が可能になったのか。シュレイダー監督はインタビューで「40年が経ち、関係者はすでに他界し、三島ももはや熱烈な政治的対象ではなく“歴史”となった」と語っている。つまり、かつてのように上映が社会的混乱を招く恐れは小さくなったということだ。もっとも、上映に際しては三島の遺族の意向を重視し、彼らが反対しないという条件で進められてきた。映画祭の担当者によると、今回の公式上映はアメリカン・ゾエトロープから映画祭側に要請があり、上映することが決まったという。

三島の像=イメージをどう見るか

『MISHIMA』は単なる伝記映画ではない。シュレイダーは三島の小説を劇化した幻想的シーンと、現実の人生を対比させることで、芸術と肉体、言葉と行動、そして美と死という作家の核心を描き出した。音楽を担当したのはフィリップ・グラス、撮影にはジョン・ベイリー、プロダクション・デザインには石岡瑛子が参加し、きわめて国際色豊かな製作体制によって完成した本作は、三島を文学史的・芸術史的アイコンとして普遍化している。

日本で上映されなかった40年の空白は、政治的圧力の影で生まれた。しかし今、この映画はようやく観客の前に立ち上がり、三島のイメージを日本人自身が再検証する機会を与えるだろう。

画像3: © 1985 The M Film Company

© 1985 The M Film Company

『MISHIMA』が制作された1985年、日本社会はまだ三島由紀夫の死の衝撃を生々しく抱えていた。だからこそ「非公式の上映禁止」という前例のない形で封じ込められたのだ。だが40年後のいま、同作は「歴史」として、芸術作品として、初めて正面から受け止められる。

生誕100年の節目に、日本のスクリーンに姿を現す『MISHIMA』。その瞬間は映画と政治、そして記憶の複雑な絡み合いがほどけていく歴史的転機となるに違いない。『MISHIMA』の上映は30日午前11時50分から、ヒューリックホール東京で行われる。

『Mishima: A Life in Four Chapters』海外版予告編

画像: - YouTube youtu.be

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参考:Indiewire “‘Mishima’ Was Unofficially Banned in Japan, but the Tokyo Film Festival Will Premiere It There This Fall”

第38回東京国際映画祭 開催概要

▪️開催期間:2025年10月27日(月)~11月5日(水)
▪️会場:日比谷・有楽町・丸の内・銀座地区
▪️公式サイト:www.tiff-jp.net

日本映画クラシックス
生誕100年三島由紀夫特集
『MISHIMA』(原題『Mishima: A Life in Four Chapters』)

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