映画を演出することは難しい

高校から大学にかけて、8ミリフィルムで映画を撮っていた。その時は、いつも絵コンテを描いて、撮影に臨んでいた。大抵は脚本も自分で書くから、文字の脚本ではなく、いきなり絵コンテで脚本を書くという、まるでアニメ演出家のようなこともしていた。

しかし、『また逢いましょう』では、絵コンテを全く描かなかった。信頼している藍河兼一という撮影監督だからというのも大きいが、絵コンテというものに縛られることも嫌だった。

ただ、絵コンテなしで現場に臨むと、困ったことが続出した。撮影場所のどこに俳優を立たせて芝居をしてもらうかというところで迷いが生じた。介護施設ハレルヤの主舞台であるホールは、100人が収容できるほどの広さで、そこにせいぜい十数人の俳優を配置するということが多かった。ここで還暦の新人監督はおろおろするのだ。

低予算であるし、施設を借りられる時間は限られているので、考える時間もない。そこで編み出されたのは、何か。助監督たちにまず考えてもらうことだ。現場経験が少ない私と違い、演出部の皆は経験がある。いろんなアイデアを出してくれる。そこで俳優さんたちに動いてもらい、監督である私はそれを修正していく。そして、撮影監督がまず考えたキャメラアングルをモニターで見て、私は修正していく。
元になったものを修正していく。これは、脚本についても同じで、梶原阿貴さんという優秀な脚本家が書いてくれた脚本をどう撮るかを考えて、解釈していく。解釈して、修正していくのが監督の仕事なのではないか。
もしかするとだけれども。
先日、自分がパーソナリティをしているラジオ番組「映画京地帯」で、ゲストに出てくれた石川なっと役の加茂美穂子さんが言ってくれたのだが、西田監督の撮りたい絵のために皆が真剣に目を見えるように協力するような関係ができていた、と。

美術も衣裳もメイクも、全てのスタッフが集中して、どのようにすれば良い映画が撮れるかに集中する。そういう現場であったし、過度な自己主張は誰もしないし、誰も怒鳴ったりしない。淡々としながらも、静かな熱のある現場だったと思う。

とは言え、今回の反省もあって、次は絵コンテを描いて現場に臨み、それを叩いてみたいなとも思うのである。

This article is a sponsored article by
''.