画像: (「東京国立博物館に掲げられた会場を告げる大きなポスター」)

(「東京国立博物館に掲げられた会場を告げる大きなポスター」)

画像: (「玄関を入るとエスカレーターが会場へと案内してくれる」)

(「玄関を入るとエスカレーターが会場へと案内してくれる」)

東京国立博物館の平成館では、2024年7月17日(水)から9月8日(日)まで、創建1200年記念の特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」を開催します。

画像: (会場に入ると迎える「神護寺 高雄山弘岳書」の書跡)

(会場に入ると迎える「神護寺 高雄山弘岳書」の書跡)

高尾の神護寺は、1200年以上の歴史を持っています。最澄、空海、明恵上人、文覚上人で知られる寺です。その前身は、和気清麻呂が建立した高雄山寺と神願寺です。

京都の西北、愛宕山を中心とした山岳宗教の聖地である三尾の地に、明恵上人で知られる高山寺、西明寺、そして清滝川の流れる高雄にあるのが神護寺です。

会場では、4m四方の国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」の空海が生きた時代を感じさせる名品や、神護寺三像(国宝「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」)と本尊で国宝の「薬師如来立像」や五体が揃う現存最古の国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」など、神護寺にまつられている多くの品々を間近でご覧いただけます。

画像: (運慶の模刻像「二天王立像(左・増長天、右・持国天)」平安時代 12世紀 京都・神護寺)

(運慶の模刻像「二天王立像(左・増長天、右・持国天)」平安時代 12世紀 京都・神護寺)

この寺は、紅葉の名所としても国宝「観楓図屏風」(狩野秀頼筆 室町〜安土桃山時代 16世紀 東京国立博物館 前期展示)に象徴されるように、古くから知られてきました。

かつて鎌倉で食事をしたおりに、食前のつめたい京番茶をふるまわれたことがある。いらい冬でも夏でも、この燻製の味がする香ばしい京の番茶をかかしたことがない。京都の寺町にある老舗「一保堂」の京番茶は東京でも手にはいるが、当地では滋養があるので、京番茶は高齢の方や子どもたちもよく飲んでいる。

お茶といえば、『喫茶養生記』を書いた臨済宗の栄西や御茶師上林家でしられる宇治の地名がひきあいにだされる。鎌倉の国宝館で、寿福寺でなくなった栄西の書いた直筆の『喫茶養生記』を見た。日本では、お茶の発祥の地は、紅葉の名所である京都西北の三尾であることを知るひとは意外に少ない。三尾というのは、栂尾山高山寺、槙尾山西明寺、高尾山神護寺をさす。いちばん奥深いところに位置している栂尾山高山寺は、栄西禅師から茶種をおくられた明恵上人と、後鳥羽院から学問所としてたまわった国宝の石水院の建物で知られる寺である。栂尾は本茶であるが、それがすたれると茶の産地は、宇治に移っている。

三尾は、清滝川が流れ、周山街道をはさんで杉や楓が山々全体をおおっていた。ここで思い出すのは、「北山杉は、じつにこずえの方まで、枝打ちしてあって、千重子には、木末に少し、まるく残した葉が、青い地味な冬の花と見えた。」という川端康成の小説『古都』である。小説は、捨子の千重子と双子で北山杉の里でそだった苗子が、祇園祭の夜にであう物語である。どうしたことか、中学校時代、引っ越してきた友人が、いつもこの小説の話をしていた。

画像: (国宝「灌頂暦名」空海筆 平安時代 弘仁3年(812) 京都・神護寺)8月25日まで [珠三1]

(国宝「灌頂暦名」空海筆 平安時代 弘仁3年(812) 京都・神護寺)8月25日まで
[珠三1]

神護寺を語る時、強烈な個性を持った四人の人物について語らなければなりません。

和気清麻呂と伝教大師最澄、弘法大師空海、そして文覚上人である。

国宝の「灌頂暦名」は空海の自筆であるが、日常の書風をうかがうことのできる密教儀礼・灌頂の受法者名簿である。そのほか、「風信帖」(京都・東寺蔵)をはじめとする空海自筆の書や高雄を舞台に空海と交流した最澄自筆の手紙の「尺牘(久隔帖)」(奈良国立博物館蔵)など、空海が生きた時代をじかに感じさせる名品が紹介されている。

京都から乗ったバスは、一時間ばかり走り続けた。停留所に着くとバスをおりる。いったんは参道までもどってきて、入り口らしいところに立つと、石の寺標が見えた。「栂尾山高山寺」という文字は、富岡鉄斎の揮毫によるものだ。鉄斎は、ブルーノ・タウトによってセザンヌに比された文人画である。小林秀雄がいくつものエッセイを書いている。私も、鉄斎の画帳などを多く集めた。木々におおわれた細くなだらかな参道をのぼっていくと、右側に茶園がひろがり、さらにすすんでいくと石垣とその奥に石水院の入り口がある。この寺も、室町時代になると、山名軍と細川軍の争いで、金堂などが焼失している。

画像: (右より「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」 鎌倉時代 13世紀 京都・神護寺)すべて8月12日まで

(右より「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」 鎌倉時代 13世紀 京都・神護寺)すべて8月12日まで

画像: (内覧される「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」と「両界曼荼羅」の「金剛界」風景)

(内覧される「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」と「両界曼荼羅」の「金剛界」風景)

明恵上人の略年譜を見ると、わずか8歳の正月で母を亡くし、その年の九月には父の平重国が関東の上総で戦死している。翌年の秋には、神護寺に入山していた。その後、源頼朝の支援を得た文覚上人から神護寺の復興を託される。最晩年、神護寺の講堂供養の導師を勤めている。

頼朝と平重盛は、ともに神護寺の復興に尽力した人物である。

教科書に紹介された「伝源頼朝像」をはじめ、「伝平重盛像」「伝藤原光能像」は、等身大の迫力でせまる日本肖像画の傑作といわれている。

高山寺は、平成六年に「世界文化遺産」に登録されていた。イタリアのウンブリア地方のアッシジの町にある聖フランチェスコ教会と兄弟関係にある。それは、「樹上座禅像」に見る明恵上人と小鳥に説法する聖フランチェスコとが、ともに十三世紀を生きた同時代人であるだけでなく、東西のふたりの純真な信仰態度が比肩される証左でもある。

石水院の建物の近くには、リスや鳥がやってくる。弟子の描いた縦長の「樹上座禅図」には、小さなリスや鳥が描かれ、明恵上人は、草履を脱ぎ、枝の別れた幅広のところで座禅している。明恵上人の「阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)」には、「人は阿留辺幾夜宇和という七文字を持つべきなり。僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり」と書かれている。最澄の「一隅を照らす」の言葉とともに、信仰者の出発点であると同時に到達点である。

明恵上人は、和歌山に生まれ、真言と華厳を双修している。白洲正子も熱い思いで語る僧侶である。裏山には、明恵上人の墓といわれる五輪塔がある。華厳の教えは、仏陀の沈黙の内観の世界を、「一即一切、一切一即」として開顕するものである。一微塵は全世界を写つし、一瞬のなかに永遠を含みこんでいるという宇宙観・・・。「あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月」という川端康成が『美しい日本の私』のなかで引用している有名な歌には、「光の仏」の原語的な意味をもつ華厳的宇宙(自然)が、中世的な自然法爾と日本的アニミズム思想とともに表象されている。

画像: (国宝「伝源頼朝像」鎌倉時代 13世紀 京都・神護寺)8月12日まで

(国宝「伝源頼朝像」鎌倉時代 13世紀 京都・神護寺)8月12日まで

 

高山寺を背に、しばらく歩いていくと、清滝川ぞいに何軒もの旅館が見えてくる。橋をわたり、腰をおるようにして磨滅した乱種の石段をのぼっていくと、そこには木々の梢のあいだからのぞくように、神護寺の山門がたっている。

画像: (国宝「五大虚空蔵菩薩座像」のうちの中央に法界虚空蔵を据えた配置」平安時代 9世紀)

(国宝「五大虚空蔵菩薩座像」のうちの中央に法界虚空蔵を据えた配置」平安時代 9世紀)

高雄山神護寺は、空海も最澄も関係した真言宗の名刹である。

境内に立ってみれば、この寺の寺域がとても広いことに気づく。薬師如来立像や多宝塔内の五大虚空像菩薩像、源頼朝や平重盛の肖像画で知られるこの寺は、一時衰退していたが、頼朝の庇護をうけた文覚上人によって再興されている。成田山新勝寺の不動明王は、この神護寺から借り出されたものである。おもしろいことには、不動明王は平将門の乱に功徳があったからといって、そのまま関東の成田山に今もとどめおかれている。

画像: (左に「法界虚空菩薩像」中央に「宝光虚空蔵菩薩像」 平安時代 9世紀 京都・神護寺)

(左に「法界虚空菩薩像」中央に「宝光虚空蔵菩薩像」 平安時代 9世紀 京都・神護寺)

弟子の真済が空海の構想を実現させた五体の虚空像菩薩坐像は、「金剛虚空蔵」「業用虚空蔵」「法界虚空蔵」「蓮華虚空蔵」「宝光虚空蔵」からなる坐像です。

これらは今は横並びで並べられているが、本来は多宝塔の一階に「法界虚空蔵」を中心にして、東に「金剛」、南に「宝光」、西に「蓮華」、北に「業用」の位置に置かれていた。今回の展示では、本来の姿による五体の原風景を取り戻すように配置されている。

また、ここに展示されている両界曼荼羅(高尾曼荼羅)は、修復がなされたばかりだが、空海が唐から直接請来した曼荼羅をもとに制作された。

画像: (「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」の「胎蔵界」 平安時代 9世紀 京都・神護寺)8月12日まで。8月14日より、「金剛界」が公開される

(「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」の「胎蔵界」 平安時代 9世紀 京都・神護寺)8月12日まで。8月14日より、「金剛界」が公開される

画像: (「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」の左「金剛界」右「胎蔵界」 平安時代 9世紀 京都・神護寺)

(「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」の左「金剛界」右「胎蔵界」 平安時代 9世紀 京都・神護寺)

平安時代初期に活躍した空海は、最新の密教を求めて渡唐。そこで、青龍寺(しょうりょうじ)の恵果から「金剛界曼陀羅」と「胎蔵界曼荼羅」の「両部曼荼羅」の体系的な密教を持ち帰りました。かつて最澄も神護寺の地で和気氏の保護のもとに活動していましたが、唐から帰国した空海は、帰朝後にはここを活動の拠点としたことによって、ここからこの地は真言密教のはじまりの地となりました。最澄と空海との関係は、神護寺での活動や密教経典の貸与と弟子の泰範の行動を含めて、司馬遼太郎の『空海の風景』に詳細に描かれている。

思えば晩年の栄西が、鎌倉に寿福寺を建て、洛中の建仁寺を創建したように、南禅寺を頂点とする京都五山も鎌倉五山もともに臨済禅によるものである。これらの寺は、墨蹟や漢詩文によって、中世文化のひとつの中心をなしている。林屋辰三郎氏は、名著『京都』のなかで、ここ洛西の三尾の地を「京都における鎌倉的中世世界」と考え、それにたいする南西の桂離宮の世界を近世江戸の時代を今日に伝えるものとして

画像: (「神護寺絵図」 鎌倉時代 寛喜2年(1230) 京都・神護寺)8月12日まで

(「神護寺絵図」 鎌倉時代 寛喜2年(1230) 京都・神護寺)8月12日まで

神護寺は、愛宕山山系につらなる三尾の地にある。上流にある高山寺と西明寺からおりてくると、そこに清滝川が瀬音を立てて流れている。

高雄橋を渡って、いくつもの石の階段を登ってたどり着くと、楼門が見える。寺域内の地図を見れば、楼門の右手には書院と茶室があり、山の奥には和気清麻呂公の墓がある。正面には、宝蔵と和気公霊廟があり、続いて明王堂、毘沙門堂、五大堂、太子堂が見える。右手の階段を上り詰めると、そこは本堂の金堂である。さらに左手の道を登っていくと、竜王堂、多宝塔があり、その上の方には、性仁法親王の墓と文覚上人の墓がある。

金堂から下っていくと閼伽井があり、細い道をどんどん先にすすんでいくと、そこには地蔵院があり、展望台には下方の杉林や清滝川に向かってかわらけ投げをする場所がある。

画像: (「蓮華虚空像菩薩」平安時代 9世紀 京都・神護寺)

(「蓮華虚空像菩薩」平安時代 9世紀 京都・神護寺)

神護寺との深い関係を持っているのが、文覚上人である。神護寺の後ろの山にその墓がある。文覚の生没年は不詳だが、若き日には、遠藤盛遠という上西門院の北面武士であった。ところが、源渡の妻に恋をし、誤って渡と思い身代わりとなった袈裟御前を殺害してしまった。その後、懺悔し出家すると、諸国で厳しい修行をして、真言宗の僧となる。この文覚上人と西行の出会いもよく知られ物語られるが、神護寺の復興に尽くしたことで、藤原隆信の「文覚上人」の肖像画として残されている。

文覚上人による神護寺の復興後、弟子の上覚や明恵によって伽藍の整備が進められた。後白河法皇や源頼朝から荘園も寄進され、中世の神護寺はさらなる復興隆盛して整備される。

ここでは、灌頂の場で用いられた、現存する最古のやまと絵屏風である国宝の「山水屏風」(鎌倉時代 13世紀 後期展示)や「十二天屏風」など、密教空間を彩る美術工芸品も、ご覧いただけます。

画像: (「尊勝曼荼羅」 鎌倉時代 13世紀 京都・神護寺)

(「尊勝曼荼羅」 鎌倉時代 13世紀 京都・神護寺)

画像: (左「尊勝曼荼羅」・右「両界曼荼羅」の「胎蔵界」 鎌倉時代 13世紀 京都・神護寺 8月12日まで。8月14日より「金剛界」を展示)

(左「尊勝曼荼羅」・右「両界曼荼羅」の「胎蔵界」 鎌倉時代 13世紀 京都・神護寺 8月12日まで。8月14日より「金剛界」を展示)

虚空蔵菩薩とは、虚空のごとく無量の智慧や功徳を蔵する菩薩であり、増益、息災、所望、冨貴を求める修法の本尊である。胎蔵界曼荼羅では虚空蔵院の主尊、金剛界曼荼羅では賢刧十六尊にあたる。この虚空蔵菩薩の真言を何度も唱えて修行するのが、若い日の空海が行っていた求聞持法である。その内容には、『三教指帰』に書かれているように、密教の一種の記憶力増進法があるらしい。その本尊も、虚空蔵菩薩である。

後期の展示では、彩色の団花文にきらめく、截金文様の平安仏画の名品として名高い国宝「釈迦如来像」(平安時代 12世紀 京都・神護寺 後期展示)も見られます。

画像: (国宝「薬師如来立像」平安時代 8~9世紀 京都・神護寺)

(国宝「薬師如来立像」平安時代 8~9世紀 京都・神護寺)

本尊の薬師如来像は、ヒノキ材の一木造りである。

秀でた眉と鋭い目、への字に突き出た唇、太い腕。

平安初期の厳しく堂々とした姿の霊像だ。

画像: (国宝「薬師如来立像」の全体像 平安時代 8~9世紀 京都・神護寺)

(国宝「薬師如来立像」の全体像 平安時代 8~9世紀 京都・神護寺)

「薬師瑠璃光如来」は、東方の浄瑠璃世界の教主である。

12の大願を発して、衆生の病苦を除き、安楽を与える現世利益をもたらす仏である。

画像: (国宝「薬師如来立像」の脇侍の「日光菩薩像立像」と「月光菩薩立像」平安時代 9世紀京都・神護寺)

(国宝「薬師如来立像」の脇侍の「日光菩薩像立像」と「月光菩薩立像」平安時代 9世紀京都・神護寺)

この薬師如来像は、「薬師三尊」として日光菩薩と月光菩薩を脇侍とし、十二神将を眷属として従えている。空海がこの地に来るよりも早い時期に、高尾山寺をルーツにもつ神護寺のもうひとつのルーツである神願寺から持ち寄られた。もちろん、薬師如来と日光・月光は同じ時代の制作であるが、作者は違うらしく、後の時代にこうした三尊の形となった。

画像: (国宝「薬師如来立像」の脇侍の「日光菩薩像立像」と「月光菩薩立像」 平安時代 9世紀 京都・神護寺 奥に見えるのは「四天王立像」のうちの「広目天」と「増長天」 大黒屋長右衛門作 江戸時代 17世紀 京都・神護寺)

(国宝「薬師如来立像」の脇侍の「日光菩薩像立像」と「月光菩薩立像」 平安時代 9世紀 京都・神護寺 奥に見えるのは「四天王立像」のうちの「広目天」と「増長天」 大黒屋長右衛門作 江戸時代 17世紀 京都・神護寺)

遠方からやってきて、この仏像に祈願する。そのことによって、どれだけ多くの人が、みずからの心身の病弊から救われた経験を持ってきたことだろうか。

画像: (左に「多聞天」奥には「十二神将像」 吉野右京、大橋作衛門等作 江戸時代 17世紀京都・神護寺)

(左に「多聞天」奥には「十二神将像」 吉野右京、大橋作衛門等作 江戸時代 17世紀京都・神護寺)

変化に富んだ「四天王立像」や「十二神将像」が一堂に展示されている。

その他、運慶の孫である康円作の「愛染明王坐像」(鎌倉時代 文永12年(1175) 京都・神護寺)も魅力ある逸品である。

画像: (「十二神将像」前の内覧者 吉野右京・大橋作衛門等作 江戸時代 17世紀 京都・神護寺)

(「十二神将像」前の内覧者 吉野右京・大橋作衛門等作 江戸時代 17世紀 京都・神護寺)

画像: (「神護寺や空海や密教に関する充実したグッズコーナー」)

(「神護寺や空海や密教に関する充実したグッズコーナー」)

●「空海」についての読み物のご紹介。

%%**・梅原猛『京都発見』「7空海と真言密教」(新潮社)。

・司馬遼太郎『空海 上・下』(新潮文庫)。

・宮坂宥勝『空海』(ちくま学芸文庫)。

・竹村牧男『空海の哲学』(講談社現代新書)。

・「空海」の言葉のアンソロジーとして、原文・読み下し文・現代語訳・解説文が写真と言葉の交感する『空海 言葉の輝き』(パイ・インターナショナル・竹内信夫・長坂嘉光・高岡一弥)。

・白州正子『明恵上人』(講談社文芸文庫)。**%%green

画像: (「東京国立博物館の入り口から見た外観」)

(「東京国立博物館の入り口から見た外観」)

◉開催概要

創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」

Special Exhibition Commemorating the 1,200th Anniversary of Jingoji Temple’s Founding Jingoji: The Dawn of Shingon Buddhism

2024年7月17日(水)~9月8日(日)
月曜日(ただし8月12日は開館)、8月13日(火)(総合文化展は8月13日開館)

午前9時30分~午後5時
※金曜・土曜日は午後7時まで(ただし8月30日・31日は除く)
※入館は閉館の30分前まで

会場 東京国立博物館 平成館

主催 東京国立博物館、高雄山神護寺、読売新聞社、NHK、NHKプロモーション

特別協力 文化庁050-5541-8600(
ハローダイヤル) https://tsumugu.yomiuri.co.jp/jingoji/

以上の内容は、内覧会当日の「ニュースリリース」および『図録 創建1200年 特別展 神護寺 空海と真言密教のはじまり』(展覧会公式図録)その他を参考に作成いたしました。

岡本勝人記

詩人・文芸評論家。評論集に『海への巡礼』『1920年代の東京 高村光太郎、横光利一、堀辰雄』『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』(ともに、左右社)のほか、『仏教者柳宗悦 浄土信仰と美』(佼成出版社)がある。また詩集に『都市の詩学』『古都巡礼のカルテット』『ナポリの春』(ともに、思潮社)などがある。各紙に書評などを執筆している。

  

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