7/8(土)から新宿K’scinemaで劇場公開される映画『パロディスター』(長棟航平 監督)にご出演のマッド・アマノさんに独占インタビューを行いました。
フォトモンタージュという技法でパロディアート作品を世の中に次々に送り出し、日本のパロイディ界、著作権の在り方に大きく影響を与えた作家、マッド・アマノ。
フォトモンタージュを始めるきっかけから、映画の話まで、お楽しみください。
フォトモンタージュを始めるきっかけ
大学出てから某企業に宣伝部に入社して働いていたんです。サラリーマンでした。
宣伝部に資料とか図書をおいてあるコーナーがあって、定期購読だったおもいますが「プレイボーイ」や「エクスクワイア」など外国の雑誌が置いてあったんです。
そんな雑誌には、イラストだとか漫画だとか日本にはない新鮮な感覚の作品が多くて、「アメリカの文化、アート」っておもしろいなって思っていました。
日本は高度経済成長期真っただ中、ベトナム戦争や朝鮮戦争のアメリカを日本が助ける、そんな時代だったんです。
そんな時代の中、自分は大企業の宣伝部に勤めて、のほほんと商品を売る、という宣伝の仕事していて、これでいいのかな、という気持ちはふつふつとあったんでしょうね。
社会情勢と自分の働いている場所のずれが大きくなっていって、その差を埋める意味もあり社会を風刺する作品をつくって銀座で個展を開いたんです。1969年と1970年の2回。
その時にベトナム戦争のニクソンを風刺する作品をつくったのがフォトモンタージュ作品発表のきっかけでしょうね。
当時は写真を切ったり貼ったり、そんな感じで作品を仕上げていました。
第一次世界大戦の頃におこった芸術運動で「ダダイズム」というものがあったんすね。これは芸術と政治が合体した大きなうねるがヨーロッパで起きた。
この流れは、その後、ナチスの権力に対してヨーロッパのアーティストたちがフォトモンタージュをつくって声をあげた、そんな風に続くんですね。
残念ながら日本ではこの運動は盛り上がらない、日本では検閲、というものがありましたからね。権力批判なんてあってはならない、ということですからね。
今でも日本の美術界でも積極的にダダイズムを教えることはしないでしょ。
『パロディスター』について
この映画は私が77歳ころに撮影してるんですよね。もう5年前。
出会った頃は監督の長棟航平さんも20代後半、早い話、私の孫みたいな年齢なんですよ。
いきなり紹介されて、映画撮ってます、なんていうんですよ。時代も違うし物の考え方も違うし、一番びっくりしたのはジョン・F・ケネディの話をしたときあんまり知らない、顔と名前も一致しない。彼にとってみれば過去の歴史上の人。その時代を生きてきた私にしてみれば大きな事件でもあるし・・・ありゃまあ、と思ったことがありますよね(笑
最初はね、私の作品とかヒストリーとか、そんな映画になるのかな、と思っていたんです。
でも仕上がった映画は、長棟監督が観た私、マッド・アマノ、という姿を描いている。はあ、面白いなあ、と思いました。
ただ、作品やパロディ裁判のことももう少し掘り下げられてもよかったかな(笑)なんてね。
パロディ裁判は結局、16年の間、裁判して、日本の著作権にも大きく影響を与えたものですからね。
戦争の話
映画の中で栃木県の小山市で撮影をしているんですね。
監督にしては栃木県の小山なんて何の思い入れもないだろうけど、私にしてみれば幼少期に疎開した先。
そこでアメリカ軍のグラマン、戦闘機の機銃掃射にあったし・・・疎開先の2階にいたときにいきなり物凄い音がする、びっくりしましたよね。
その疎開先の家が現存していて、そこに伺って小山で戦争の記録を残している方とお話をさせていただいたんです。
私たちが戦争時代を語ることのできる最後の世代だと思うんですね。そんな話が映画に残ったということがとても価値があると思います。
戦争にあった戦争に負けた、そのことについて学校でもきちんと教えない、社会もできる限り黙殺している、空洞の80年間ですよ、私にしてみれば。
もう日本はその空洞のまま進んできた、そんな感じがしますよね。
これから先の日本を生きる若い世代の方々には、自分の生きる社会がどうなっているのか、権力の在り方がどうなっているのか、自分で考えて調べて咀嚼する、そんなことをしていただくことも大切なのかな、と思っています。
取材写真:岩川雪依
パロディスター|監督:長棟航平|出演:マッド・アマノ|プロデューサー:飯塚冬酒
2022年|日本|73分30秒|ステレオ|16:9
製作:cinefil & GACHINKO Film撮影協力:中田敦樹 / 敦賀零
整音:東遼太郎
音楽:高田風
http://g-film.net/mad/
新宿K's cinema 2023.7.8(土)~7.21(金)