何の経験もないくせに、「自分なら、社会の規範に従わずに、何ももたずに、自由に生きられるはず」と、考える傲慢な年頃。17、8の頃に、繰り返し何度も何度も見たのは、この映画が、その考え方で、ふるまった結果、あっさり死んでしまう若い女性を描いているからなのです。わざわざ、冬に、田舎をヒッチハイクしてまわる。何にも囚われず自由そうに見えるけど。心身ともに追い詰められて野垂れ死ます。
主人公のかっこよさに憧れてみるという感情もあったし、最悪の想定として、こわごわ、みるという意味もあったし、あるいは、矛盾多き社会を批判してくれる社会派映画として解釈したかったのかもしれません
しかし、歳をとった今、見返してみると、アニエス・ヴァルダ自身の自己批評のようなものも、多分に感じられるような気もしてくるのです。
不思議と何度も何度も思い出すのは、主人公の女性モナを気まぐれに拾って、面倒を見る、樹木の病気を研究するランディエ教授です。ランディエは、モナを気にいって連れ回すけど、最終的には、猫を捨てるかのように、気まぐれに、道に捨ててしまう。でも、電球を変えようとして、感電して死にそうになったときに。「人生が走馬灯のようにめぐるって本当ね、わたしは、モナを思い出したわ。見捨てるんじゃなかった。彼女を探して」というようなことを助手に語るのです。
あのシーンがなんで印象に残るのかと考えたのですが。あのタイミングだと、ヴァルダは、ある程度キャリアが進んでいて、地位を得ていた。あんな感じで技師を束ねて、映画を作っているわけです。スペシャリストで、権威たっぷりの人。つまり、あの、ランディエ教授のような立場の女性だったからだと思います。
そこに、ヴァルダの自己批評みたいなのが入っていて。だから、何年も何年も心に残り続けたのかと、今は、思うんです。何かを見るってことは、何かから見られてしまうということです。
彼女は、助手たちに、モナを探してほしいと頼みますが、助手たちは、精神を病んで破滅しようとしているモナを見つけて、ぞっとして、声をかけるのをやめてしまいます。教授は、彼女の居場所をしることがない。ここが、運命の分かれ道です。ランディエ教授の支援の手は、届かず、モナは、結局死んでしまう。最初の、ランディエのモナに対する、気まぐれな態度に、助手の、自分の規範にそぐわない女性に対する生理的な強い嫌悪が重なり、さらに、性的搾取しようとする男が、モナにたかっているのです。これでは、助かりようがありません。
彼女は、ワインかけ祭のようなものに、遭遇するのですが。精神的におかしくなっているので、それが祭だと思わず、襲われているのだと、パニックを起こしてしまうのです。悪意のある人間に殺されるのではなく、ただの、祭、風習に、たまたま、通りかかっただけです。それなのに、襲われているという感覚に陥り、逃げて、側溝に落ちて、そのまま凍死してしまう。
この映画は、誰かの悪意によって、撲殺されてしまった、というような女性についての映画ではないんです。偶然が重なって、死んでいくんです。一人の、生き生きと動き回っていた人間が、蝋人形みたいに固まって動かなくなってしまう。
主人公に関わる女性の中には、ヴァルダのように知的な階層にいる女性もいれば、夫に付き従うような雰囲気で子育てしているような女性もいれば、ヒモに利用されている労働者階級の女性もいる、夫を思うように動かすために、外見に気をつかう女性もいる。彼女たちは、主人公に加害するわけじゃないけど、結果的に、主人公を救わない。加害と被害がしっかり別れない、そういう世界。
これは、現実そのもの、世界そのもの。という感じがします。
ヴァルダは、よく、ルイス・ブニュエル監督への憧れを語り、歳をとるにつれて、かいぎゃくの精神には、強い磨きがかかりましたが。かいぎゃくというのは、他者だけじゃなくて、自らの持つ矛盾への、鋭い態度、ですよね。
ヴァルダ監督というのは、映画を撮る時、もし、ルイス・ブニュエル監督だったらどうするかなって。考えながら作ってきたように思えるのです。もちろん、彼女が、ブニュエルの『銀河』や『自由の幻想』『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』などへの傾倒を、インタビューで熱烈に語ったりするのを読んだからですし。私自身が、ルイス・ブニュエルの大ファンだからなのかもしれません。
ネットで流れてきた、ブニュエルが、アルフレッド・ヒッチコックや、ウィリアム・ワイラーたちと写った写真が好きでした。みんな天才で、人間に対して、本当に突き放した目でみることができる、本物の悪意を持っている。だけど、やはり、ブニュエルだけが違う。ブニュエルだけが、どこにも属してない。どこにも属せないような矛盾を抱えているように見えるのです。
どこにも足をつけない人が、どの階層にも、汲みすることのできない人が、居心地悪く、キャメラにおさまっている。
コロナウィルスの流行のごく初期には、わたしはよく、ブニュエルの『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972年、ルイス・ブニュエル監督)のことを思い出しました。
例えば、タイの国王がたくさんの愛人をひきつれて、その時、一番、クリーンで安全に思えたドイツにこもる。奥方は、取り巻きたちと、スイスにこもる。が、国王が退屈したので、ヨーロッパで合流して、帰国した。というニュース。
あるいは、人気歌手の歌う歌を背景に、柔らかそうな白いソファーに腰かけて愛犬と寛いだり、優雅なティーカップで、紅茶を飲んだりする映像をあげた某国の首相。持てざる者から、まあまあ持っている者まで、全ての人が、行動を間違えれば、自分も死ぬかもしれない、という危機に直面する中で、とても、愚かだと思いました。バカじゃないだろうか。でも、同時に、不謹慎かもしれないけど、「自分のことしか考えてない、自分しか大事じゃない、他の人間のことなんて知るかよ」と考えていることが、はっきりとわかって、とても面白いし、自分もどこか、そう思っていることに気づく。この感じ、何かに似ている。あ、ブニュエルだ、と。
『ブルジョワジーの密かな愉しみ』は、食べ物と色ごとにしか興味のないパリの特権階級たちを、まるで、カゴに入れた昆虫を見るように、バカにしながら、眺められる作品です。でも、ただ、バカにできるということじゃなくて、バカにしながら、こちらの気持ちが、しーんとしてくるような、引き裂かれるような、他の作品では得難い快感があります。
自分さえ、コロナウィルスにかからなければ。自分さえ、暖かい屋根の下にいれば、モラルや社会規範の中にいて、まわりに守られるような立場にいられれば。誰かが死んでもかまわない。たいていの人は、そう思うのじゃないでしょうか。そして、ブニュエルは、誰もが持ってしまう、こうした矛盾を、国を飛び越え、階層を飛び越え、年齢を飛び越え、偏執的にといってもいいくらい繰り返し、描き続けた人です。
映画を作るというのは、どこか、自分は権力を持つ側に入るということで、後ろめたいことなんです。そして、もっといえば、生きていること自体が、うしろめたいですよね。どうやったって、どこかでは、誰かを平気で踏んづけていますから。ランディエ教授が、モナに興味をもちながら、気まぐれに道に捨ててしまうシーンも、そのようなことかもしれません。
『ブルジョワジーの密かな愉しみ』の中で、なんの脈絡もなく、唐突に、子供の頃の生々しい記憶、それも、少し後ろめたくて、忘れられないような、記憶を語りだす人物というのが出てきて。それは、誰かの記憶でしかないのに、現実に生きているはずのブルジョワジーたちよりよほど生き生きとしていて、おもわず、ブルジョワジーは聞き入ってしまう。
同じように、この映画に出てくるような、ランディエ教授も含む、さまざまなタイプの女性たちが、死ぬ時に走馬灯のように思い出すのは、自分もかつてそうであった可能性もあるし、自分が見捨てた対象であるかもしれない、何も持たない反抗的な若い女性の姿である可能性。その姿は、もしかすると、自分自身の生よりも、ずっと、生々しい感触に満ちている。
ヴァルダ自身も、そのような予感と感覚の中で、1985年に、この作品を作ったのではないか、という風に思うのです。(終)
木村有理子(きむら・ありこ) 映画監督/映画批評。 主な監督作品に『犬を撃つ』(カンヌ国際映画祭正式出品)、『わたしたちがうたうとき』(ソウル国際女性映画祭招待作品)、『くまのがっこうのみゅーじかるができるまで』(ドキュメンタリー)。
イントロダクション
セルフポートレイトの集大成とも言うべき遺作『アニエスによるヴァルダ』を発表後、2019 年 3 月、生涯現役を貫いて 90 歳で逝った映画作家アニエス・ヴァルダ。劇映画『幸福(しあわせ)』、『5 時から 7 時までのクレオ』『歌う女、歌わない女』、ドキュメンタリー『落穂拾い』『顔たち、ところどころ』...。フィクション、ノンフィクションを自由に行き来して、傑作を数多く遺したヴァルダの、劇映画の最高傑作と言われるのが『冬の旅』である。1985 年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。フランス本国では作品の評価はもちろん、興行面でもヴァルダ最大のヒット作と言われているが、題材の難しさゆえか日本では公開まで 6 年を要し、興行も成功に至らず、作品も正当に評価されたとは言い難かった。しかし 30 年以上の歳月を経て 2022 年 3 月に東京・国立映画アーカイブの特集≪フランス映画を作った女性監督たち―放浪と抵抗の軌跡≫での一度限りの上映は大盛況。死後 3 年を経てミッシングピースを埋めるかのように『冬の旅』再評価の機運が高まっている。
ストーリー
フランス片田舎の畑の側溝で、凍死体が発見された。遺体は、18 歳のモナ(サンドリーヌ・ボネール)という若い女だった。だがそれ以外に、彼女のことを知る由もない。警察は、誤って転落した自然死として片付けようとするが、カメラは、彼女が死に至るまでの数週間の足取りを、彼女が路上で出会った人々の語りから辿っていく—。モナは寝袋とリュックを背負い、着の身着のままヒッチハイクの旅をしていた。見ず知らずの人から飲み水やたばこの火を借りて、日雇いの仕事を探しながら流浪する。ガソリンスタンドで洗車のアルバイトをしたり、道すがら出会った青年と宿を共にしたり。山中でヤギを飼育しながら牧場を営む、元学生運動のリーダーの家族にも出会い、人生を説かれたりもする。出会った人々は、思い思いに彼女について語る。羨ましがる若い女や、蔑む男たち。ある日、病気に罹ったプラタナスの樹の研究をする、ランディエ(マーシャ・メリル)という教授に出会う。不思議と通ずるものがあった二人は打ち解け、モナも自らの過去を少しずつ語りだす。しかしランディエも結局、モナをどうすることもできず、二人の交流も長くは続かなかった。その後も、孤独に旅をするモナ。ある時はブドウ畑で働くチュニジア人と出会い、束の間の休息を得るも、彼の仲間に追い出されてしまう。またある時は、盲目の老婆と親しくコニャックを飲み交わし楽しいひと時を過ごすも、招き入れてくれたはずの家政婦に閉め出されてしまう。モナは次第に荒んでいき、空き家を拠点に盗みやマリファナの売買で生計を立てるグループと行動を共にするようになる。だが、空き家が火事となり、寝ていた彼女は命からがら逃げだすのだったすっかり薄汚れ、食料もなく空腹のまま、身を寄せる家がないモナが辿り着いたのは、ワインの収穫祭さなかの村だった。ワインの澱を投げ合う祭りの狂乱に巻き込まれ、何も知らないモナは恐怖で逃げ惑い、畑に行き着き、そのまま力尽きて路傍に倒れ込んでしまうのだった―。
アニエス・ヴェルダ監督
1928 年 5 月 30 日、ベルギー・ブリュッセル南部生まれ。ギリシャ人の父とフランス人の母をもち、4 人の兄弟と共に育った。第二次世界大戦中の 1940 年、母親の出身地である南仏の港町セートに家族で疎開、船上生活を送る。パリのソルボンヌ大学で文学と心理学を専攻した後、ルーヴル学院で美術史を、写真映画学校の夜間クラスで写真を学ぶ。1947 年、俳優で舞台演出家のジャン・ヴィラールが創設したアヴィニヨン演劇祭の記録写真家としてジェラール・フィリップらを撮影。ヴィールが芸術監督を務める国立民衆劇場(TNP)の専属写真家も務める。1954 年、『ラ・ポワント・クールト』を 26 歳で自主制作し、本作は、ヌーヴェル・ヴァーグに先立つ先駆的な作品として評価され、ヴァルダが「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」と呼ばれるきっかけとなった。1961 年に初の長編商業映画『5 時から 7 時までのクレオ』を発表。翌年、映画監督のジャック・ドゥミと結婚する。1964 年『幸福』でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。その後、ハリウッドに渡るドゥミに同行しヴァルダも渡米する。渡米中もカウンターカルチャーが台頭した 1969 年のハリウッドを舞台にした『ライオンズ・ラブ』や、LA のストリートアートを捉えた『壁画、壁画たち』を発表。フランスに戻った 1972 年、ドゥミとの間に長男マチューを授かり、1975 年、自宅兼事務所を構えるダゲール通りで『ダゲール街の人々』を撮影。子育てという制限がある中で、自宅からつないだ電源ケーブルが届く範囲内で撮影するという、逆転のひらめきから誕生した作品である。その翌年、フェミニズム運動を背景に、二人の女性を描いた『歌う女・歌わない女』を手掛け、1985 年『冬の旅』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。1990 年 10 月 27 日、闘病中だったドゥミが死去。『ジャック・ドゥミの少年期』の撮影終了から 10 日後のことだった。愛する夫の功績を残す活動をする一方で、1994 年には、映画生誕 100 年を記念した映画『百一夜』を制作、2000 年には『落穂拾い』でヨーロッパ映画賞等を受賞し、自身も精力的に活動する。そして 2003 年、写真家、映画作家に続く 3 つ目のキャリア“ビジュアル・アーティスト”としての活動を開始。ヴェネチア・ビエンナーレの「ユートピア・ステーション」でジャガイモをテーマにした「パタテュートピア」を発表。2006 年には、カルティエ現代美術財団の依頼で、展覧会「島と彼女」を手掛ける。最愛の夫ドゥミと過ごした思い出深い島、ノワールムーティエをテーマにした数々のインスタレーションが展示された。2008 年、『アニエスの浜辺』を発表し、セザール賞最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞。2015 年にカンヌ国際映画祭名誉パルムドールを、2018 年に米アカデミー賞名誉賞を受賞する。2017 年に手掛けたフランス人アーティスト JR との共同監督作『顔たち、ところどころ』では、カンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞、トロント国際映画祭観客賞など多数受賞。2019 年、自身の 60 年以上に及ぶ創作の歴史を語りつくしたセルフポートレイト『アニエスによるヴァルダ』を携え 2 月のベルリン国際映画祭に出席し元気な姿を見せるが、翌月の 3 月 29 日、パリの自宅兼事務所で息を引き取る。享年 90 歳と 10 ヶ月。
11月5日(土)より、渋谷イメージフォーラム他 全国順次にて ロードショー!!
http://www.zaziefilms.com/fuyunotabi/
第 42 回ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞・国際映画批評家連盟賞
第 11 回セザール賞 最優秀主演女優賞第
12 回ロサンゼルス映画批評家協会賞 最優秀主演女優賞
第 40 回フランス映画批評家協会賞 ジョルジュ・メリエス賞
[STAFF]
監督・脚本・共同編集:アニエス・ヴァルダ
撮影:パトリック・ブロシェ
音楽:ジョアンナ・ブルゾヴィッチ
[CAST]
サンドリーヌ・ボネール
マーシャ・メリル
ステファン・フレイス
ヨランド・モロー
1985年 /フランス /ヨーロッパ・ビスタ /カラー /105分
原題:SANS TOIT NI LOI (英題: Vagabond)
© 1985 Ciné-Tamaris / films A2
配給:ザジフィルムズ