わたしたちの心は、もう、そこには、ない。

交通事故で、破損した頭骨に、補強のチタン・プレートを埋め込まれる少女が突然変異を起こしていく映画だ。冷え冷えとした金属の感触と、疼くような炎の暴力性と、劇画すれすれのユーモアに、身体の芯を動かされる。

画像1: わたしたちの心は、もう、そこには、ない。

そういえば、わたしも、この少女のように、身体をひどく破損したことがあったのだったっけ。恐怖で暴れないように、目を塞がれて、肉や血液が飛び散らないように大きなビニールシートで体を覆われる。局部麻酔はきいていたけれど、ドリルが自分の肉と骨を貫通していく振動を感じる。左肘にチタンの棒が通っていく感触。身体は、起こったことを、何もかもを受けいれる。私の身体には、どんなことでも、起こりうる。

チタンの棒は、そのまま、病室のベッドに固定され、その先は、鉛の重りが垂らされる。私の体は、ベッドに寝たまま完全に固定され、身動き一つできない。絶えることのない鈍い痛み。

近づいてくる、あらゆる人が、勝手に私の身体の触りたいところに無断で、触ろうとする。ニヤついた医師、子供がいるであろう装具のサイズを確認する、くたびれた業者、地味で真面目そうなリハビリ技師、みにくいセーターを来て病室におずおずと入ってくる年上のボーイフレンド、ただの友達であるはずの、男の子たち。などからの、度重なる侵犯。あるいは、毎日体をふいてくれる看護士が、わたしの裸の特徴を、人に話し始める。仕事が終わった彼女が、赤い口紅を塗り直し、豹柄のぴったりとしたミニのワンピースとハイヒールで、夜の町に繰り出す姿を病室の窓から見ている。全部が、ひどく醜い。

圧倒的な勾配。私という個体は、その底辺に、固定され、ただの物質であるかのように、私自身の主体というものは非情につぶされていく予感というより確信。あんなに頭が冴え渡ったことはない。「きっと、わたしは、このまま負ける」見境なく、相手をぶち壊したくなる衝動性が立ち上がる。わたしは、何もできなかったけど。この映画の主人公は、無差別に衝動的に人を殺す。そして、人間ではない相手、車に、性的に漲る。

画像2: わたしたちの心は、もう、そこには、ない。

この映画の前半には、あのときの、冷え冷えとした金属の感触とカオティックな暴力性、疼きがある。でも、それだけの映画なら、今までにもあったかもしれない。驚くべきことは、この映画の後半には、驚くような愛が、あふれてくる、ということなのだ。

途中でいきなり、孤独な、老いぼれた消防士が登場する。主人公は、彼の、いなくなった息子に、顔を改造して、なりすまそうとするのだ。彼女は、男性の消防隊員になって父親から愛される。このアイディア!どうやって、このアイディアを、思いつけたんだろ。消防隊員たちは、マッチョなボーイズクラブであると同時に、破滅の一歩手前の人に寄り添い、救おうとする細やかでいて現実的な技能集団でもある。死と隣り合わせの、トラウマを受けやすいポジションにいる彼らの、ケアが、教育が、慈しみが、傷が、彼女の愛を目覚めさせる。偽りの顔面で、本当の感情を生きる。

画像3: わたしたちの心は、もう、そこには、ない。

消防隊員の同僚に、なりすましを疑われ、「お前、ほんとうは、誰なんだ?」と、問われた主人公が、うっかり、無防備に、彼に向かって、ふふっと、笑う瞬間が好きだった。わたしが誰だっていいじゃない。この体には、なんだって起こりうる。そう、誰も私を定義できない。彼女は自由だ。

あの場所に固定されて、死ぬまで侵犯されっぱなしって可能性だってあった。今だって、わたしの実質は、そんなものなのかもしれない。でも、彼女の心も、わたしの心も、もう、そこにはない。わたしたちのお腹には、次の世代の新しいハイブリッドが胎動しつつある。どんな特徴があるのか、ポテンシャルがあるのかどうかすらわからない。誰も推し量れないような、新しいものであるということにこそ意味がある。

映画の中で、老いぼれた消防士の胸に抱かれた彼女の新生児の鈍色の背骨が生々しく動き始めるとき、潔癖な楽観性とでも呼ぶべきものが、画面に漲る。本来は、どの規範からも脱出可能なはずの身体を痛々しくも鮮やかに具現化する。わたしも、あなたも、決して、「負ける」ことなんてない。あなたを、外から定義するものなんて、ほんとうは、何もない。これは、希望。そう、これは、希望についての映画なんだと思う。(終)

木村有理子(きむら ありこ)
映画監督。映画批評。主な監督作品に『犬を撃つ』(カンヌ国際映画祭正式出品)『わたしたちがうたうとき』(ソウル国際女性映画祭正式出品)『くまのがっこうのみゅーじかるができるまで』(ドキュメンタリー)

予告

画像: 『TITANE/チタン』本予告 4.1公開 www.youtube.com

『TITANE/チタン』本予告 4.1公開

www.youtube.com

第74回カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞

全ての価値観が一変した直後の世界で、カンヌ国際映画祭が頂点に選んだのは、突然変異の如く現れたまさに【怪物】。新時代の申し子とも呼ぶべき圧倒的怪作が2022年、遂に日本でも、その全貌を明かす!

監督は鮮烈なるデビュー作『RAW〜少女のめざめ』(16)で、カンヌ国際映画祭フィプレシ(国際映画批評家連盟)賞に輝いた、ジュリア・デュクルノー。そして本作、長編2作目にしてカンヌの最高賞を奪取するという偉業を成し遂げた。さらに75ノミネート21受賞(22/01/ 24時点)と世界各国の映画祭映画賞を席巻!行き先不明の映像体験による困惑と驚愕、感動を超えて、新たな時代を生き抜く存在に、あなた自身が生まれ変わる、未知なる108分の旅。

ストーリー

幼い頃、交通事故により頭蓋骨にチタンプレートが埋め込まれたアレクシア。彼女はそれ以来<車>に対して異常な執着心を抱き、危険な衝動に駆られるようになる。自らの犯した罪により行き場を失った彼女はある日、消防士のヴィンセントと出会う。10年前に息子が行方不明となり、今は、独りで生きる彼に引き取られ、ふたりは奇妙な共同生活を始める。だが、彼女は自らの体にある重大な秘密を抱えていたー。

This article is a sponsored article by
''.