2022年、ピンク映画は60周年を迎える。 しかしながら、現在成人映画館は全国20数館にまで減少し、新作は月一本程度にまで落ち込み、今や、興行的にも文化的にもいよいよ、終焉に向かってる。
かつて性を描く、裸を描くことはダブーであり、タブーを犯す危うさこそがピンク映画の魅力であった。ライトな作風の”ソフトエロス”が主流となった今、時代の中で役割を終えたと言える。
昭和から平成へと移り変わる時に生まれた”ピンク四天王”。
1989年、サトウ トシキ、瀬々敬久、佐野和宏、85年にデビューした佐藤寿保と共に、作家性に満ちた先鋭的な作品を作り続け、映画ファンからも注目を集めていく。そして、監督自らアテネフラン セで「新・日本作家主義列伝」(1993年、11月)を企画、枠をはみ出し、やがて海外映画祭への出品やミニシアター上映などに発展し、ピンク映画の認知と評価を拡大させることに成功する。まさに、あれから30数年、四天王が持つタブーに挑む表現のパワーは、一般映画へ進出しても彼らがずっと持ち続けているものである。時代を撃ち、時代を作った彼らの”源流と不変”を今こそ感じて欲しい
今回は四天王の各監督自薦のピンク時代の作品から現代にいたる、
蠢く奇作・快作・傑作 群全23作品一挙上映。
ほか、今回の封印記念に伝説のドキュメンタリー「ラストショー亀有名画座」(1999年)、テレビドキュメンタリー「ピンク四天王~Hと哲学の交錯~(NONFIX)(1998年)を参考上映するのも話題です。
監督自ら四天王を封印する怒涛のラストショー!**
四天王・監督コメント
佐藤寿保
1959年、静岡県出身。
1985年『狂った触覚(公開題:激愛!ロリータ密猟)』で監督デビュー。
◎閉塞感ただようイマをブチ破る! そんな時代にジャストフィット!!
過去から未来をも予見している、新たな世界がアナタを誘う...。
瞠目してご覧下され!!!
サトウトシキ
1961 年、福島県出身。
1989 年『夢の女(公開題:獣―けだもの―』で監督デビュー。
◎「ピンク四天王ですよね」と若者に今も聞かれる。「確かに。以前ピンク四天王に属してました」 てのも正確さに欠けるし変だ。4監督の映画を気楽に観てもらえたらありがたい。
佐野和宏
1956年、静岡県出身。
1989年『最後の弾丸(公開題:監禁 ワイセツな前戯)』で監督デビュー。
◎何故、今更ピンク四天王か...。
企画意図も知らされぬまま片足を突っ込んでしまったが、こうして想い出していただけるだけ で有り難いと思わなければいけないんでしょうね。感謝!
瀬々敬久
1960年、大分県出身。
1989年『羽田に行ってみろ そこには海賊になったガキどもが今やと出発を待っている(公 開題:課外授業 暴行)』で監督デビュー。
◎還暦過ぎたジジイたちの映画を今さら見てどうするんだ。
何をなし何が出来なかった。そして、これから。