日本は世界で最も多くの映画が公開され、見ることができる国で、年間1300本以上の映画が劇場で公開されるのですから、その中からいい映画を探すのは大変なことです。もちろん007シリーズなどの大作映画や、テレビCMなどで告知されている映画などは、なんとなく見るか見ないかの判断はできるものの、単館上映の映画などは追いきれないのが現実ではないでしょうか。

そんな日本の状況から、見逃してしまいがちな公開作品の中から、これはどうなの?と思う気になる作品を選んで紹介していく、シネフィル新企画です。

まず第一回目に取り上げるのは、つい先日2021年の秋に、渋谷のユーロスペースで一週間だけの上映が終わり、東京では11月1日、2日と二日間の上映があるという、韓国の問題作『赤い原罪』を採り上げます。
まずは、予告をご覧ください。

『赤い原罪』予告編

画像: 韓国映画『赤い原罪』予告編 youtu.be

韓国映画『赤い原罪』予告編

youtu.be

赤い原罪ーーラストまで貫かれる映画的強度

園田恵子

「赤い原罪」は、とある漁村の岬にある教会を訪れる、白髪の女性。女性がその教会に修道女として務めていた40年前の出来事が語られはじめる。
40年前、その村には極貧の身体の不自由な父親と癲癇持ちの娘が住んでいた。働くことのできない父の代わりに、漁師の力仕事などの肉体労働をして生活費を稼ぐまだ幼い娘は、学校にすら通えていない。教会の援助も断り続けていると言う。
他人に頼らず生きようとする父娘に、手を差し伸べようとする修道女。
その修道女が父娘のもとに通ううちに、村と父娘の秘密と罪があらわになっていく。
神を呪う父と、神を追う娘、修道女が最後にとった選択は…

キリスト教を題材にした映画で思い出されるのは、イングマール・ベルイマンの『処女の泉』(1960)、アンナ・カリーナ主演の映画で、女子修道院の腐敗を告発する小説を映画化したことで、発表当時は上映禁止となったジャック・リヴェット『修道女』(1966製作/1996日本公開)、ロベルト・ロッセリーニの『神の道化師、フランチェスコ』(1950年/1991年日本公開)と言う、シネフィルなら必ず観ている有名な傑作3作がありますが、3作とも私の世代ではリアルタイムで見られず、ずいぶん後年になってからの日本公開時に見ることができた作品です。
その他にはマーティン・スコセッシ『沈黙-サイレンス-』(2017)、公開当時に物議をかもし、論争を巻き起こして日本劇場未公開ですが、ダーレン・アロノフスキー『マザー』(2017)などがあります。
近年では、モノクロで撮られた宗教ものの傑作として、パヴェル・パウリコフスキ『イーダ』(2013)が思い出されますが、この『赤い原罪』は、キリスト教信者の多い韓国でも、まともな評価を受けるどころか、ほぼ興行的にも抹殺された映画であったらしいのです。
そんな映画が日本においては「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2019」では審査員特別賞を受賞しています。

一見シンプルに見えた映画のプロットは、私には理解しがたいもので、映画は様々な問題提起を投げかけています。
神学的映画と言っていいのか、主人公を通して宗教、神、そして人間が生きる上での罪を問いかけてくる、重い映画です。
ムン・シング監督は、実際に数年間牧師をしていた経歴もあり、本作について、
「神はいない。もし神がいて私を審判するなら私はその神を審判したい」
と、挑戦的な発言をしています。

キリスト教の教義に疎い私には、わかり難い部分が多くあります。逆さ十字の恐ろしさは知識としては知っていたものの、この映画で描かれる悪魔に取り憑かれたかのような凄まじい描かれ方、登場人物たちのまるで火山が噴火するかのような激情の表出、映像の強度には驚かされました。
理想に燃えて岬にある教会へやってきた、一人の若い尼僧が、貧しい親子を見て、目の前にいる1人の羊を救えと言う聖書の教えに素直に従って、親子に救いの手を差し伸べようとします。
あの親子にだけは関わるなと言う神父の諌めを振り切って、どんどん親子に介入して行きます。

映画は結局尼僧が介入することで、親子が唯一黙っていた最後の防波堤のようなプライドすら打ち砕いてしまい、予想もしない展開を迎えて行きますーー。
誰の世話にもならず援助を受けずに生きていくという唯一のプライドすら打ち砕き、人には知られたくなかったプライバシーに土足で踏み込むことになってしまい、救おうとしたはずが帰って家族を追い込んでいくことに…。
ステレオタイプな貧困ではなく、映画を見るものや尼僧の予想、尼僧の思い込みを遥かに超えた、恐ろしい現実が語られていきます。

究極の格差社会を映像的に描ききるかのように、淡々と、文字通り地をはうように生きている父親と娘、そして失踪した母親の悪魔に魅入られたかのような生活ぶり、無駄のないカット割りと、すさまじい人物描写は、キム・ギヨン監督の「下女」を思い出させます。
そして村の人々からも疎まれる存在でしかない父親を、ひたすら支えて、自己犠牲しながらひたむきに生きようとする娘の姿は、韓国版・少女ムシェットと呼びたいほどに、痛々しさに満ちています。

映画全編に漂う不穏な空気、救いようのない究極の貧困と、ある種の凄まじいほどの激しさが、少しもその強度を弱めることなく、ラストまで貫かれて行きます。
映画を見た直後には嫌悪感すら沸き起こっていましたが、時間が経つにつれて、映画のどの場面も印象深く刻印されるかのように刻み付けられているということに気づき、もしかしたら「赤い原罪」は傑作かもしれない、と思いはじめています。

園田恵子
詩人、シネフィル発行人兼編集長

画像: 『赤い原罪』予告編

■STAFF

監督:ムン・シング(文信久)
プロデューサー:クォン・ミョンファン(權明煥)

撮影監督:チョン・ジェ・スン/照明:ミン・ドクギ/美術:イ・ヨンガプ/サウンド:スタジオ87 /
編集:カン・ヒチャン/音楽:パク・ソンフン/デジタルインターミディエイト:カン・ヒチャン

赤い原罪(原題『ORIGINAL SIN』)|2017年|韓国|102分

宣伝:配給:ガチンコ・フィルム

11月1日(月)、2日(火) 代官山シアターギルド にて上映

This article is a sponsored article by
''.