11 月 12 日(金)より渋谷ユーロスペース、池袋シネマ・ロサ、キネカ大森、 イオンシネマ他にて全国順次公開となる仲村トオル×杉野希妃×斎藤工×中村ゆり等の出演、鬼才・万田邦敏監督待望の新作となる『愛のまなざしを』。
この度、公開にあたって、今作の脚本を手がけられた万田珠実さんによる集中連載が、「シネフィル」で掲載されることとなりました。
制作の裏側などを交えた、公開までの制作日誌となります。
第五回 撮休
2019年9月5日(木)
この日は1日限りの撮休日でした。といっても、家にいるのは監督と脚本家(と猫3匹)。貴志目線での物語の捉え直しと、ラストの再考という懸案事項が待っています。体は休めても頭は休んでいられません。
昼過ぎ、スクリプターの小出豊さんから、「ラッシュを送ったので見てください」というLINEが来ました。自分たちの頭の整理をするにはもってこいとばかりに、小出さんにもしばらくの間、ラストシーンについて意見交換に付き合っていただきました。監督と小出さんの付き合いは長く、また彼は『接吻』の時にも監督の間近でいろいろ見聞きしていたので、私たちの嗜好や考えそうなことがわかっていて、話がしやすいのです。しかも、“万田らしさ”とはどこにあるかについて、案外私たちよりも理解している節があります。小出さん曰く、「通常、男女間の距離がなくなるのは幸福なことなのですが、万田邦敏・珠実作品の距離ゼロは、愛の始まりではなく不幸の始まり」と。なるほど。
実は脚本に関しては、他にも問題を感じていました。脚本が完成した後も、監督は綾子の弱さを気にしていたのです。それに対して私は、綾子の人間としての弱さがこの物語を展開させているのだから、そこをいじるのは無理だと、つっぱねていました。しかし、貴志のキャラクターが変わったのだから、それに合わせて綾子も変わるはず。真面目で誠実だと思っていた貴志が実は狂っていたのだから、狂っていて弱い人間だと思っていた綾子を、実は芯のある強い人間に変えることは理にかなっている。ならばここで、綾子を『UNloved』の光子や『接吻』の京子と同様に自我や意志の強い人物にすると、どういうラストを迎えるだろうか…。その着眼点に、小出さんの言う“私たちらしさ“を加えて、改めて物語の全体像を見直すことで、私の頭の中では一気に目指すべき方向が見えてきました。鍵は、綾子が何を考えて、そのような結末を選んだのか、です。
この時点での新たな視点に沿ってなんとか脚本を直し終えた時、私の中でこの物語は、大きな変身を遂げていました。とは言うものの、やはりラストをどう描くかは決めきれず、さらに問題なのは、既に撮影2日目に、ラストの一つ前のシーンを撮り終えていたことです。撮ってしまったシーンは変えられないのにラストを変えてしまって、果たしてつながるのかどうか…。
いやいや、この他にも懸案事項はまだあって、実は映画のタイトルも二転三転、いやそれ以上に度々変わりました。もともと私は仮タイトルを『そして、死が迎えにくる』としていたのですが、ネガティブな感じもあって周囲にウケがよくありませんでした。3日目の昼休憩で、ラストを変えたいという話をした時に、仲村さんから「『セカンド・セッション』という題名はどうですか」という提案がありました。結果はご存知の通りそうならなかったのですが、この言葉には色々な意味が隠れています。二度目の結婚以外にも、この物語にはどんなセカンドが隠れていたか。映画をご覧になった方はいくつ見つかるか、数えてみてください。
「愛のまなざしを」予告編
【STORY】
亡くなった妻に囚われ、夜ごと精神安定剤を服用する精神科医・貴志のもとに現れたのは、モラハラの恋人に連れられ患者としてやってきた綾子。恋人との関係に疲弊し、肉親の愛に飢えていた彼女は、貴志の寄り添った診察に救われたことで、彼に愛を求める。いっぽう妻の死に罪悪感をいだき、心を閉ざしてきた貴志は、綾子の救済者となることで、自らも救われ、その愛に溺れていく…。しかし、二人のはぐくむ愛は執着と嫉妬にまみれ始めるのだった――。
出演:
仲村トオル 杉野希妃 斎藤工 中村ゆり 藤原大祐
万田祐介 松林うらら
ベンガル 森口瑤子 片桐はいり
監督:万田邦敏
脚本:万田珠実 万田邦敏
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