90年代、Vシネマで大ヒットとなった『湾岸ミッドナイト』を生み出し、昨年も映画『ばあばは、だいじょうぶ』では、11歳の寺田心、『兄、消える』では87歳の柳澤愼一を映画に出演させ、変幻自在にインディペンデント系の映像から音楽まで幅広く取り扱えるプロデューサー新田博邦さんに聞いた、日本映画の過去と現在。そして未来。

新田博邦さんへの質問 
「映画への思い」 過去。現在。未来ー。

生年月日はいつですか?

1955年5月1日生まれです。

映画を製作するようになったキッカケは何ですか?

東京生まれで、元々音楽が一番好きで、学生時代から音楽は色々やっていて、大学を卒業する時に「音楽に関わる仕事をしようかな」とは考えたんだけど、結局「自分が一番好きなことを仕事にするのはやめよう」と思った。音楽を仕事にすれば、ストレスとか色々嫌なこともあるだろうと想像出来たからね。好きな音楽で苦労するのは不本意だと思った。じゃあ、二番目に好きなことをやろうと思って、選んだのが演劇だとか、映画だったんです。それで、演劇の制作をやろうかなと思って、いわゆる新劇団の制作部に入ろうと…そういう古典的な考えだったわけですよ。それで色々探して、最終的には当時青年座の制作部長でいられた金井彰久さんに劇団青俳という所を紹介されるのだけど、製作部は今欠員がないので、映画放送部の方でやってくれないかということになって、いわゆるマネージャーというのをやるようになるわけです。木村功さんとか織本順吉さんとか在籍していた老舗劇団ですね。半年後にその劇団が倒産して、さあどうしたもんかと思って…暫く劇団の映画放送部所属だった下條アトムさんのパーソナルマネージャーをやるのだけど、その後、縁があって津川雅彦さん、朝丘雪路さんのところで仕事をするようになるわけです。それはまた新劇の世界とは全く違って、ザ・芸能界だから色々な意味で驚くことは沢山ありました。津川さんの言葉「新劇というのはアマチュアだから1ヵ月も2カ月も稽古するんだろうけど、俺ら商業演劇はプロだから1週間で幕を上げなくちゃならないんだ」とか…。

それで33歳の時に自分の会社を作るんだけど、やっぱり自分はマネージャーだったので、タレント・マネージメントの会社を作るわけです。そこで最初にスターになったのが大鶴義丹です。彼は元々車が好きで、自ら車をいじって走ったりしていた。それである時彼から「『湾岸ミッドナイト』という面白い漫画原作があるから、それを映像化しませんか」という企画を持ちかけられた。それで僕も漫画を読んだら、ただの車ものとは違って、走りに対するカタルシスのようなものが描かれていた。これは面白いかなと思って、当時の大映、徳間大映に企画を持ち込んで、徳間大映とビデオ映画を製作することになった。それが1991年、いわゆるVシネマ、オリジナルビデオ映画ですね。今でこそ1作、1000万円以下で映画を作ったりしていますが、当時オリジナルビデオ映画でも1作8000万円くらい予算があったんですよ。今考えると凄いなと思うんだけど、それでも赤字を出した。原作に日産のS30Zを600馬力までチュンーアップした車が出てくるのだけれど、撮影用に本当に600馬力のS30Zを作っちゃうわけ。でもそんなレーシングカーみたいな車は、撮影現場に持って来て走らせようと思っても、なかなかまともに走らないわけですよ。そんなことで撮影中止になったりだとか、雨が続いて中止になったりとかで、2000万円位の赤字を出したんだけど、ビデオは売れたわけです。最低1万本は売れる、当時はTSUTAYAとか町のレンタル屋さんに1本1万円で卸すんですよ。そうすると、それだけでも1億円の売り上げが見込める、当時は、そんなものか…と思ったんだけど、今から見ると、夢のような世界だったわけで、レンタルビデオで1億円というのは、今なら売上目標としても立てようがありませんから。結局「湾岸ミッドナイト」は2~3万本売れて、「湾岸ミッドナイト」シリーズは、2、3、4~と制作され、メーカーを変えて「新湾岸ミッドナイト」をやったり「湾岸ミッドナイト リターンズ」というのをやったり、結局、10作以上作りました。

画像: 大ヒットとなった『湾岸ミッドナイト』のビデオやDVDパッケージ

大ヒットとなった『湾岸ミッドナイト』のビデオやDVDパッケージ

それぞれに売上の数字も良いからメーカーから文句も出ないで、好きなようにやらせてもらいましたね。その後、2008年にエイベックスが「まとめてボックスにしませんか」という話があり、全作まとめて38000円で売ったんですが、これが売れたんですよ。たしかその年のエイベックスの映像部で売上達成率ナンバー1でした。配信でも「湾岸ミッドナイト」はいまだによく稼いでくれますよ。

「湾岸ミッドナイト」場面より

勿論120%の安全管理体制の基、高速道路で撮影するのだけど(高速道路は撮影許可がおりない)、映画だからそれなりの無茶をしなくてはならない時もある。ハリウッドの「ワイルドスピード」のスタッフは公道バトル物の金字塔として「湾岸ミッドナイト」を参考にしたという事です。〝TOKYO DRIFT〟では湾岸ミッドナイトのスタッフも参加しています。

 徳間大映とは「湾岸ミッドナイト」が当ったので、その後、我々が提案するものを結構やらせてもらいましたね。その中で「キャンプで逢いましょう」というを後藤久美子さんが主演の映画があるのだけど、当時、雑誌でもなんでもキャンプブーム、アウトドアブームで、田中律子さんが書いた「キャンプで逢いましょう」というエッセイ集があって、あっ、これは映画になると思った。僕は「私をスキーに連れてって」という映画は自分にとってエポックな作品で、「ああこういう映画が出来る時代になったんだ」って思ってました。「キャンプで逢いましょう」は資金集めから自分でやって、「この映画はアウトドア版『私をスキーに連れてって』です」というのが売り文句でした。「私をスキーに連れてって」なら音楽はユーミンしかないなと思って、お願いして新曲も書き下ろしてもらったんですよ。「ミッドナイトスケアクロウ」という曲で、実は、松任谷由実さんは映画のために新曲を書き下ろしたのはこの映画が初めてなんです。その他にも「青春のリグレット」とか既存の曲も何曲か使わせていただいて、試写に松任谷由実さんが来てくださった時に「自分の曲を丁寧に使ってもらっていて嬉しかった」とおっしゃってくださいました。結局、徳間大映で製作して、東宝で公開となるのだけど、劇場数をちょっと開け過ぎたということもあって、大ヒットには繋がらなかったのだけど、評価はされました。大映作品は今、角川映画になっているけど、早くDVDにならないかなと思って待ってます。

「キャンプで逢いましょう」

印象に残っている映画は何ですか?

昨年、「兄、消える」という作品と「ばあばは、だいじょうぶ」の2作品が公開となったのですが、「兄、消える」は主演が柳澤愼一さん、俳優であり、ボードビリアンである人で、子供心に「こんな軽妙洒脱な芝居をする人が日本にもいるんだ」と思ってました。前から一度一緒に仕事をしたかった人で、87歳で60年振りに主演をしてくださいました。もう一方の「ばあばは、だいじょうぶ」は冨士眞奈美さんと寺田心君が出演していて、これは認知症になったおばあちゃんを思う孫の話で、元々、絵本が原作の話で横浜の本屋でこの絵本を見つけました。寺田心君が11歳、それでミラノ国際映画祭で最年少で主演男優賞を受賞ということになるんだけども、たまたま自分が企画製作した作品が、1本が最年長主演映画、もう1本が最年少主演映画で、この2作品が同じ年に公開されたのは縁があって面白いなと思っています。「兄、消える」は皆さんも良く御存知の「八月の鯨」という映画を観た時から、「いつかこんな映画を作りたいなぁ」と考えていて、時間をかけて台本まで作っていたのですが、なかなかそれが具現化出来なくて…。そういった企画はよくあるんだけど、ある時、「御婆さんさんではなくて、お爺さんでやったらどうなのか?」と思い、爺さん版「八月の鯨」にしようと思ったわけですよ。そしたら、話がトントンと進んで、監督は文学座で同期だった日本を代表する演出家の西川信廣さんにお願いして、脚本もまた文学座の代表であり「女の一生」などの演出家戌井一郎さんのお孫さんで文学賞作家の戌井昭人にお願い出来ました。共演も弟役の高橋長英さんを始め文学座のベテランメンバーという錚々たる顔ぶれが揃いました。

画像: 「ばあばは、だいじょうぶ」

「ばあばは、だいじょうぶ」

画像: 「兄、消える」

「兄、消える」

片や、寺田心という俳優もさすが天才なんですよ。オーディションだったんだけど、正直最初はその中からフレッシュな子役を抜擢してもいいかなと思っていてね。それで寺田心君はオーディションで一番最後だったのだけど、30人位見たかな…。一番最後に入って来て「寺田心です!」と挨拶した瞬間に「この子しかいない!」と思ったね。そういうものだよ、物事が決まる時は。スターから出るオーラとかに、こちらが圧倒されてしまってね。寺田心君は現場に入ってからも天才と言われているだけの事はあると思いましたね。演技者としては、いわゆる子役芝居ではないかなり質の高い演技をしていますから。

冨士眞奈美さんは心君のおばあさんで認知症になる役で、当初から「この人しかいない」と思っていたのだけど、出演をお願いした時は、最初は戸惑っていらしたと言うか、腰が重いという感じだったんです。前から大御所の方は結論が出るまで時間がかかるのは、まあそれも仕方ないかなと思っていたんだけれど、最近わかったことは、やはり皆さん責任感があるんだよね。「この役を受けてちゃんと最後まで全う出来るか、現場に迷惑をかけないか」ということを考える訳ですよ。自分のプロフィールもあるし、自分のプロフィールに傷が付かないかとも考える訳ですよ。そんな流れもあって最終的には冨士さんに「この役をやってみましょうか」との決断をしていただけました。海外の賞には冨士眞奈美さんもノミネートされていたんですよ。「ミラノに行ってもらえませんか?」とお願いしたんですが、「ちょっと海外は自信が無い」ということで、僕もそういうことで負担をかけるのは良くないと断念しました。

 カンヌというのが凄いなと思うのは、オフィシャルの前に「兄、消える」の文字データを向こうに送ったら、ぜひ観たいという話があったんですよね。その時に、京都国際映画祭の特別招待作品に選ばれていて、カンヌはワールドプレミアなので結局出品せずに終わったのだけども。まあ、一昨年は自分が納得できる映画を2本製作することが出来ました。

もう1つ自分が作った映画の中で「そうかもしれない」という映画があって、原作は耕治人という人で、保坂延彦さんという人が脚本を書いて監督をして、僕は未だに保坂さんは映画の脚本を書いたら日本一だと思っています。

「そうかもしれない」

ある人の紹介で保坂さんに会うんだけど、その時に「そうかもしれない」という脚本を渡されて、読んだらなかなか面白いんですよ。上手く書けた脚本でね。僕は原作は読んでいなかったのだけど、ちゃんと泣かせるしね、ちゃんとエンタテイメントになっているし、いいなと思ったんですね。それから保坂さんが会社に毎日来られるんですよ。それで何の話をするわけでもなく、「どうですか?」という位の話で、こちらも相手が監督だから、それなりにちゃんと対応しなくてはいけないなと思い、1週間とか10日位だったのかな…。保坂さんの風情をみていて、「この人はちゃんと映画を撮るんじゃないかな」と思い、「じゃあ監督、やりましょうか」ということになって、それで撮影が始まるんです。貧しくも真面目に生きていく夫婦の話で、ある時、奥さんが認知症になっちゃうんだよね。それでその後に御主人も癌になって、それで御主人の病院へ認知症になった奥さんが施設からお見舞いに行くわけです。それで看護婦さんが「ご主人ですよ、わかるでしょう」と言うと、奥さんが、しばらくの間があって「そうかもしれない…」と言う、それがタイトルの「そうかもしれない」になるんだけど、東京国際映画祭の特別招待作品になったり、色々な賞もいただきました。主演が雪村いづみさんで相手役が桂春團治さんで、大阪まで行って出演をお願いすると、桂春團治さんが「東京にそんなに長く行ったことはない」と言うのだけど、「師匠、1週間だけ東京に来てください、ホテルが嫌だったら家を借りてもいいですから」って、それで糖尿病の持病もあるからっていうことなら、こちらのお医者さんでちゃんとケアしますからって。それでも大坂まで2、3回行きましたかね。それで、「わかった、東京に行こう」ということで奥さんも一緒に来てくださいました。それでやっぱり桂春團治さんは素晴らしいお仕事をしてくださった。歌手として世の中に名を残す人と、噺家として世の中に名を残す人が、共演してくれて、やっぱりそういう人達は凄いんだなと思いました。この映画は又公開したいなと思って準備しているんですけど、皆さんに観ていただきたいですね。

映画を製作されている時に意識されていることはありますか?

 最近、日本映画に対して思っていることは、何しろ俳優が上手くなったね、特に男優が。昔は男優は上手くなくて女優の方が上手くて、男の俳優はこんなもんかと思っていたけど、最近の男優はいいですね。特に若手から30代40代が、菅田、山田、長谷川…キリがない。昔からハリウッド映画に比べて日本映画は予算が違うとか撮影の規模が違うとか言っているけれど、一番肝心なのは俳優の力が違うなと思っていたんだよね。そこで負けていると思っていました。日本映画が面白くなってきたのは、やはり俳優の力だと思いますね。「カメラを止めるな!」なんかを観ても、俳優が男も女も皆上手いんだよね。北野武監督がこの作品を観て「役者がダメで…」みたいな事を言っていたけど、この発言を聞いて、北野組も賞味期限を過ぎたような気がした。

僕はむしろ俳優よりプロデューサーや監督の方が不勉強というか、未だに古い事を言っている気がしますね。最近気になるのが若い監督が映画を安く作るのが自慢になっていること。やれ300万で作ったとか、100万で作ったとか。

確かに昔なら7、8000万円で作るところが、ある時から5000万円とか3000万円で作ることが出来るようになった。映画の製作費で映画の公開規模が決まるということが無くなった事もとても良いと思っています。それでもやっぱり映画というのは、「億という金を使って作る物だ」と、そこが原点というかね、若い人達にもそういう志は持っていて欲しいなと思いますよね。1000万円とか2000万円で作られる映画は、どこかで誰かが泣いているわけだから、今と10年前はスタッフのギャラは殆ど変わらないですからね。勿論、デジタルの進歩で昔よりは色々安く出来るようになりましたよ。昔は編集だって現像所で、いわゆるオーバーラップとかオプチカルをすると、1回やるのに3万円とか5万円、監督が「もう少しゆっくり」とか言うと10回やり直して、それで50万円ですよ。それで現像所から何百万単位の請求書が、あっという間に来たりするわけです。今はパソコン上で、「じゃあ、もうちょっとゆっくりOLしましょうか」ということが出来てしまう訳じゃないですか。そういった意味ではフィルム代もかからなくなったし、照明も昔よりも規模が小さくなって予算が格段にかからなくなったということも勿論あるんだけども、それとは別にちゃんとお金をかけなくてはいけないというところがあるわけで、そこらへんの心意気というか、〝心は錦〟というか、そういう意識を持って作っていきたいですよね。ただ、無駄な金は絶対使いたくないから、現場で弁当が5個以上残っていたら怒りますよ。何で制作部はちゃんと数を読んでやらないんだってね。僕らのようなインディペンデントのプロデューサーは、700円の弁当を600円にしろとかね、撮影も終盤に差し掛かって予算が底をついてきた頃には「牛丼にしよう」とかまで指示を出しますから。

 僕のことを〝日本のロジャー・コーマン〟だって言う人がいるんだけども、ロジャー・コーマンは向こうの〝B級映画の帝王〟と言われている人で、B級映画=低予算ではないけれど、予算がないから良いと思えることもある訳です。ピンク映画とかは、最初から支給されるフィルムが何フィートと決まっている訳でしょ。その現場の緊張感がいいなと思うね。今はデジタル化が進んでいるので、結論を先延ばしに出来るわけですよね。フィルム代がかからないから、「一応撮っておきましょう」「後でどっちか選びましょう」みたいな、現場で結論を出さなくていい訳ですよ。音楽なんかもマルチ録音が出来るようになって、ミュージシャンが間違えても、そこだけ差し替えますみたいな、せーのでやる2チャンネルで録音する緊張感みたいなものがないわけです。低予算というのは、予算の中で仕上げなくてはいけないので、緊張感もあるし、知恵を絞らなくてはならないことも沢山あるわけで、普通の現場だったら1ヵ月かけるところを15日くらいで撮影したりね。そこで知恵を絞った緊張感というか集中力みたいなものが画面の中で、力強さというか説得力になるという事はあるね。僕が作る2~3000万円の映画は、大手が作ると5~6000万円かかるんだろうけど、一見同じように見えて、厳密にいうと違ったテイストになりますね。

「兄、消える」は長野県の上田市で、上田市の施設を色々借りてね、現場のスタッフは20日間くらい寝泊まりして作った作品なんだけども、そういった中で主人公が87歳と77歳という、かなりご高齢な方でありながらも、それだけ集中力を持って短期間で撮ったということで、あの穏やかな映像が出来たと思うね。あれが撮影に2カ月も3ヵ月もかけていたら、ああはならなかった。
そういうところでロジャー・コーマンと言われるなら勲章だね。 
「潜伏 senpuku」という土屋貴子さんが主演の映画なんだけど、これはオウムの菊地直子をモチーフにしたフィクションで、一緒に暮らした男がなだぎ武さん。これなんかは、当時、菊地直子を描くということで相当エグい企画だけど、結果として全く別の文芸作品になっている。低予算故に文芸作品にしないと映画として成立しないという事もあるからね、

「潜伏 senpuku」

今後の予定を教えてください。

前にも話したように音楽が一番好きだから、音楽もの、アーティストものはやりたいなと思っています。最近で言ったら「クレージー・ハート」とか、ミュージシャンではなかったけど「ラスト・ムービースター」みたいなものをやってみたいと思っていて、演るのならこの人しかいないと思っている俳優というかアーティストがいるんだけど、今はそればかり考えていますよね。

大手のアイドルものをやるという話もあるんですけども、自分の中のバランス感覚だから、こういったものをやったら、こういう文芸作品をやりたいとか、後何本出来るかわからないけどもね。映画というのは、少なくとも100年先に残すものだから、僕らも100年前の作品を散々観ている訳で、そういった意味では、そういった気持ちでやっていきたいですよね。100年先の人が観たら、どう思うんだろうなというのが楽しみなわけです。映画は観た人が、笑ったり、怒ったり、泣いたり、その場の感情を露わにしてくれないと面白くないわけで、別に自分が観た生涯のナンバー1の作品にしてくれなくていいけど、何か1つのセリフでも憶えていてくれてね、「あの映画はあのシーンは馬鹿々々しいけど面白かったな」と言ってくれればいいですね。いつもそんな映画を作りたいと思ってます。

新田博邦

新田博邦 プロフィール
1955年東京生まれ。
現在、インディペンデント系の、映像から音楽まで幅広く取り扱えるプロデューサーとして独自のポジションを築いている。
アーティスティックな世界からエンタテインメントまで、そのプロデューサーとしてのバランス感覚は、ジャンルを超えて定評がある。
〔主な製作作品〕
「そうかもしれない」(2005) 第18回東京国際映画祭特別招待作品
「潜伏 senpuku」(2013) 第1回新人監督映画祭 主演女優賞受賞
「キセキの葉書」(2017) マドリード国際映画祭 外国映画 主演女優賞受賞
「兄消える」(2018) 京都国際映画祭2018特別招待作品
「ばあばは、だいじょうぶ」(2018) ミラノ国際映画際 主演男優賞 監督賞受賞
〔音楽プロデュースした主なアーティスト〕
 荒木一郎、雪村いづみ、朝丘雪路、真由子

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