韓国・北朝鮮の他に、もう一つ存在する「中国朝鮮民族」。彼らの多くが韓国へ憧れ、韓国へ出稼ぎに行く。今まで注目されて来なかった中国朝鮮民族を、「父と子」という個人的な物語で取り上げた、世界初のドキュメンタリー作品、カナザワ映画祭2019「期待の新人監督」グランプリを受賞した『血筋』が、3月28日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開となります。

画像1: ⒸRyuichi

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この度、シネフィルでは角田龍一監督の独占インタビューを掲載いたします。

『血筋』角田龍一監督インタビュー

*『血筋』を撮ろうとしたキッカケは何ですか?

例えば美味しいものを食べると僕はいつも自分で再現してみたくなるんです。レストランで食べたときの感動をひとつひとつ思い出しながら、フライパン内で再現できないか試行錯誤してみるのが好きです。

映画も全く同じ理屈です。在学中はろくに勉強せずにずっと家のアパートに籠って映画を観ていました。幸いにも新潟には「ほんぽーと」という図書館がありまして、信じられないくらいの映像資料がそろっていました。レンタルビデオ屋やネット配信系ではなかなか観れない名作映画を無料で観ることが出来たのは大きかったです。エリックロメールや黒澤明、キシェロフスキなど、良作を欲望のおもむくままにたくさん観て、たくさんの感動と出会うことができました。蓄積していった感動が結果的に『血筋』を作ることへ向かわせたと思います。

もう一つは内的な事情です。僕は10歳のとき中国から日本へ移住したのですが、10歳までは祖父母に育てられていました。なので移住してからも祖父母に会いに中国へ戻っていました。帰るたびに祖父母の老け込みようが尋常じゃなかった。孫である僕がいなくなって、老夫婦二人で生活するようになると、まるで「玉手箱」をあけたように老いが加速化していきました。

そして帰るたびに老いてゆく祖父母を見るのが億劫でした。ろれつもだんだん回らなくなり、足腰もどんどん弱くなって思うように動けない。だからといって、僕は日本で学校に通っているわけだし、これと言って特にできることは何もない。現実から目を背ける自分がいました。それまでは1年に一度帰っていったのが、次第に2年に一回、3年に一回になりました。ますます気が重くなり、心のどこかで「義務的」なニュアンスが生まれていることに気づきました。

今思えば、祖父母の現実を直視させるために映画を作ったとも言えるかもしれません。死へゆっくりと、でも着実に向かう二人を眺めるは苦しかったんです。日本に戻ればもっと華やかな日常が待っているのに、友達もほとんどいない中国での義務的親孝行がきつかったんです。でも育て親である祖父母を直視しなくてはならないという、使命感もある。そんなことがきっかけで「映画」という形式で向き合おうとしたんだと思います。

角田龍一監督

*「カナザワ映画祭」でグランプリを受賞した本作品ですが、一般的に劇映画(フィクション)の出品が多い映画祭へ、『血筋』を出品した理由は何かありますか。

『血筋』の持ち味は僕なりに述べると「胡散臭さ」です。ドキュメンタリスト(ノンフィクション作家)からはエンタメに寄りすぎてて物足りないと評され、劇映画作家(フィクション作家)からはキャラクターに頼りすぎていて「作ってない」と評されています。

どちらもごもっともなご指摘だと思っています。もちろんドキュメンタリー映画と言えども、それはまぎれもなく作り物なので、ある種フィクションとは言えます。

したがって体裁としての区別という前提で僕なりに思うのは、嘘と本当の境界線上にあるのがこの作品の特異性だと思います。嘘でもあり本当でもあるとも言える強みがあるからです。

事実、観客にとって、噓か本当かなんてどうでも良いんです。むしろ面白いか、面白くないのかという視点だけで観ています。学びの有る無しは鑑賞後に副次的に付いてくるものですし、ほとんどの人は「教訓じみたもの」を別に求めていない。映画とは基本的には暇つぶしで観るものなので、暇つぶしを上手に埋めてやるのは僕らの仕事だと思っています。

大学などでも上映会を行ってきました。多分ドキュメンタリー映画を観たことが無い学生からの質問だと思うのですが、「これは事実ですか?演技だとしたら上手すぎます。あっという間の70分でした。」とコメントを貰ったことがあります。僕としては理想的回答でした。「胡散臭い」からこそ人は興味をそそられるんです。

でも日常に置き換えて考えてみると、この種の胡散臭さはかなり一般的だと僕は思っています。例えばある晩、親と何かで言い争いをしたとします。でも翌朝、起きると互いに何事も無かったようなフリをして一日をスタートさせる…この類のことは誰しも経験があると思います。平静を装うという「嘘」が不必要な軋轢を回避していますし、同時にそれが家族関係の「本当」の姿とも言えると思います。子どもなら「学生」、母親なら「主婦」としての役柄を演じることは、日常をスムーズに送るうえで大切な事だと思います。役柄の「胡散臭さ」が互いの傷を癒しているのです。

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*「カナザワ映画」で200万円辞退したとのことですが、その理由は何かありますか。

自分に作る能力が無いと判断したからです。主催者側の要望は「約半年後までに200万円で映画を作ってくれ」ということでした。『血筋』は製作費が300万円、劇場公開に持っていくまで500万円弱かかっています。そして完成まで6年を要したことから考えて、200万円は十分とは言えません。

でも最初はかなり乗り気でした。というのも主催者側が「作家がお金を稼げるシステムを作りたい」と話していたからです。勿論、夢物語なのはわかりますが、心意気が良かったし、諸問題の根本がまさにそこだと僕は思っていたからです。

新人監督たちが映画祭に集うと、監督の間でほぼ必ず毎回「お金」の話になります。製作費はいくらなのか。お金はどうやって調達したのか。表立っては誰も語りたがらないけれど、実は皆さん気になっている所だと思います。驚いたのは『血筋』の製作費300万円はかなり高い方だったこと。劇映画の方が本来もっとお金がかかるはずなのですが、みなさん100万円前後で製作しているようでした。そして自分の生活費は勘定に入れず、役者も基本的にノーギャラだそうです。

では、どうやって調達しているのかと聞くと、クレジットカードを数枚契約して限度額めいいっぱいキャッシングするんだそうです。僕も本当にお金に困ったとき金融機関に問い合わせたのですが、貯金が数百円でも50万円までは貸してくれるんですよね(笑)。一度行ったら戻って来れない恐ろしい世界だなあと思いました(笑)。

話は戻りますが、このような状況なので「200万円」はかなり魅力的な提案でした。そして僕だけに与えられた権利ですから使い方をあれこれ妄想しながらワクワクしていました。ただ話し合いを重ねていくうちに本当の意図は別なところにありました。少なくとも主体が「作家」ではなかった。自分の能力からして生活の破綻は目に見えていました。200万円を受け取ると、今よりさらに貧しくなる可能性の方が高いと判断しました。

大学卒業してから、どこにも所属することなくずっと一人でやってきました。所属することで失われる自由を恐れていたからです。食つなぐために、ありとあらゆるバイトをしました。引っ越し、皿洗い、喫茶店、パチンコ屋、クラブの黒服…。2020年3月までの9か月間働かずに済むように、生活費を逆算して100万円を死ぬ気で貯金しました。僕にとって2019年度というのは、時給約1000円を積み重ねて買った貴重な’’100万円’’の時間でした。そして2020年3月まで、成果を出さなくては後が無いと思いながら生きていました。

でもそこで突然自由度の低い200万円のチャンスが舞い込んだ。喉から手が出るほど欲しかった。9か月間100万円で生きるのはけして楽じゃない。当たり前だけど誰だってお金は欲しい。「食えない」ってどういうことか経験したことが無い人はきっとわからない。何もしなくても常に体脂肪10%ほどなんですよ(笑)。色々交渉はしましたが結果ダメでした。

断るのも非常に精神的なエネルギーがいりました。でもやっぱり’’100万円の時間’’の方が大切と判断し、辞退することにしたのです。

結果的に2020年3月14日から全国劇場公開も果たすことが出来ました。『血筋』も『角田龍一』も覚えてもらえなくても、『200万円を辞退した人』ですぐ覚えてもらえたのは良かったです(笑)。なので幻の200万円を宣伝費に使ったと思うことにしています(笑)。

韓国の『パラサイト』がアカデミー賞を取りましたね。西洋へのバイアスがかかっている状況でアジアの作品が受賞したのは本当に快挙です。作品もさることながら、良い作品を素直に認めるハリウッドは流石世界最高峰の映画工場だなあと思いました。

ただ素地として、これらの国が言っている低予算映画と、日本で言っている低予算は桁が3つ以上違うんです。これらの国と張り合うにはどうすればいいのか。同じスクリーンを取り合うわけですから当然意識すべきです。なのに現場にお金は無く、安請け合いで元々貧しい人達が更に貧しくなるというスパイラル。

その意味でも『血筋』の劇場公開は日本映画界の現状を’’身銭’’を切って知る実験的な意味合いがずっと強いです。映画の流通とは何なのか、劇場公開とは何なのか。全国の劇場で出来る限り毎日舞台挨拶をして、お客さんの顔を伺い、客層を観察し、映画館を観察しています。

*『血筋』を完成させて監督自身は何か変わりましたか?

好き嫌いを越えることかなと思いました。スピリチュアルに聞こえるかもしれませんが、作品のテーマは向こうから僕を探しに来てくれると思っています。『血筋』はまさに映画の方から僕を探しに来てくれました。

それを引き受けるかどうかを「好き嫌い」で決めないということです。所詮人間の好き嫌いなんて、簡単に変わるものですから、いっときのまやかしです。本来すべきことを見失わないことが大切だと思いました。

才能が無いかもしれないとか、お金が無いかもしれないとか、不安はいくらでもあります。でももしかしたら神のような存在の人いて「こんな無能な僕だけど何で選んだんだろう。でも選んでくれたんだから全うしよう」と思うようになりました。これが大きな変化です。逆にいうと、好きだからやるのは限界があります。『血筋』と向き合った6年間の全ての瞬間が好きだったわけではありません。バイトでの時間の切り売りにはいつも口惜しさを感じていたし、大学の同級生が就職してそれなりの生活をしているのを羨ましく思うこともありました。でもそんなことは越えて、僕の手の及ばないところにいる誰かが『血筋』を誕生させるために僕を選んだのです。それを素直に受け入れるべきだと思いました。

仮に出来なくてもいいんです。『血筋』は偶然周りの手助けで花開きましたがその過程そのものが有意義だし、『生きること』そのものかなと思います。

画像2: 角田龍一監督

角田龍一監督

角田龍一 監督/プロデューサー
1993年、中国朝鮮民族自治州・吉林省延吉市生まれ。新潟県立大学卒業。ベルリン国際映画祭正式招待作品『Blue Wind Blows』で助監督を務める。
在学中から、新潟・市民映画館 シネ・ウインドが刊行する映画雑誌で映画紹介文を書く傍ら、長期休暇を利用しては本作品の撮影・制作を行った。途中、資金難に陥るがクラウドファンディングに挑戦し成功。2018年3月から京都・大徳寺で書生として半年間居候しながら本作品を編集し完成させた。
2019年「カナザワ映画祭」にて本作品がグランプリを受賞。

角田龍一監督『血筋』予告編

画像: 『血筋』予告編 youtu.be

『血筋』予告編

youtu.be

STORY
主人公の少年は、中国朝鮮族自治州・延吉で生まれ、10歳のときに日本へ移住する。20歳を迎えたとき過去を振り返るため、画家だった父を探すことを決意する。中国の親戚に父の行方を尋ねるが、誰も消息を知らないうえ、父の話題に触れたがらない。
叔父の助けにより再会を果たした父は、韓国で不法滞在者として日雇い労働をしながら借金取りに追われる日々だった。それでも息子への虚栄心と自己満足的な愛情を「お金」によって表現しようとするが、息子は辟易としてしまう……。

韓国・北朝鮮の他に、もう一つ存在する「中国朝鮮民族」。彼らの多くが韓国へ憧れ、韓国へ出稼ぎに行く。今まで注目されて来なかった中国朝鮮族を、「父と子」という個人的な物語で取り上げた、世界初のドキュメンタリー作品。

監督:角田龍一 
プロデューサー:角田龍一・山賀博之 
音楽:郷古廉

タイトル:『血筋』(韓国題:핏줄、英題:Indelible)言語:朝鮮語、日本語、中国語 上映時間:73分

配給・宣伝:アルミード 
ⒸRyuichi   

3月28日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

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