塩田明彦監督✖️根岸洋之プロデューサー対談
現在、全国で絶賛公開中の『さよならくちびる』。小松菜奈、門脇麦、成田凌という華と実力を兼ね備えた清々しいキャスト陣による、塩田明彦監督初の音楽映画だ。『ボヘミアン・ラプソディ』(18)や『アリー/ スター誕生』(18)など、近年盛り上がりを見せている音楽映画に、つねに映画の本質を見極め、追求し続ける名手・塩田明彦はどう挑んだのか。
本作のプロデューサーであり、『月光の囁き』以来、塩田監督とタッグを組んでいる盟友・根岸洋之氏との対談は、作品の裏側にある背景やつくり手の思いが伝わる非常に密度の濃いものとなった。「誰にだって訳=歴史がある」ように、映画にもまた辿ってきた運命と歴史がある。2万字以上の大ボリュームでお届けする渾身の対談。読み終わった後には、「残務」に押しつぶされつつある現在の絶望的な状況下で歌い続けるハルレオとシマの3人に思いを馳せつつ、改めて作品を再見したくなるに違いない。
『さよならくちびる』は音楽映画ではない?
根岸洋之(以下、根岸)
『さよならくちびる』が5月末に公開され、ほぼひと月ほど経ちましたが、瀬戸麻里子という当時松竹にいたプロデューサーの方から話をもらったのが、ちょうど2年ぐらい前ですかね。小松菜奈と門脇麦の初共演、誰かしら男も入れ一方通行の三角関係で青春映画をつくれないかというのが最初の打診。結果、監督は塩田明彦となって、3人で一緒に打ち合わせをしていくうち女性同士の恋愛も込みで犯罪絡みのロードムービーという方向も出てきたのだけれど、塩田から解散寸前のフォークデュオのツアー話を撮りたいと、ある日プロットがあがってきた。塩田明彦で音楽映画とは1ミリも発想になかったので、「そうきたか」とワクワクした覚えがありますが、一方で予算がかかるよなと内心思っていた。
塩田明彦(以下、塩田)
僕の取っかかりとしては、音楽映画を撮るという発想ではなかったんだよね。純然たる犯罪劇ではなかったけれど、女性二人の恋愛が絡んだ映画をつくってほしいというオファーがあって、その一例として『テルマ&ルイーズ』(91)などが挙がっていた。それもあって、僕のなかにロードムービーというイメージが残っていたんだと思う。やがて話の起点として、解散寸前のバンドが最後のツアーをやって、その道行きを撮るというアイデアに落ち着いた。だから、そのときには前提となるような音楽映画のイメージがあったわけではまったくなくて。ただ、根岸さんが山下敦弘監督の『リンダ リンダ リンダ』(05)の企画を立ち上げたプロデューサーだし、『味園ユニバース』(15)もあるから、「マッチポイント」の製作で音楽映画であれば、経験者がいるから何とかなるだろうという読みがあったということなんだよね(笑)。
根岸
当然、音楽プロデューサーも必要だろうということで、かなりの初期段階から北原京子さんを入れるというのは僕のなかでは決めていた。
塩田
僕と根岸さんが一緒に『害虫』(02)で仕事をしていたときに、ナンバーガールを推薦してくれたのが北原さん。
根岸
ちょうど『SAPPUKEI』(00)というアルバムが発売されていた頃だったね。
塩田
そう。それで初めて聴いて、僕ものめり込んでいった。今回の新作のネタ自体も、僕たちが『害虫』を撮った直後にナンバーガールが解散したことがもとになっている。僕と根岸さんと北原さんは一緒に解散ライブも行ったんだけど、そのとき僕らとは無関係に、たまたま今回の企画プロデューサーである瀬戸麻里子さんもいちファンとしてその場にいたらしい。不思議な縁だね。
根岸
最初に脚本を読んだときにはまったく意識にのぼらなかったけど、ナンバーガールの解散というのはプロットなりシナリオを起こしていく過程のなかで結構参考にしていたということなの?
塩田
彼らの内情を知らないので直接参考にしたわけではないけれど、当時バンドの解散ツアーというのを目の当たりにして、解散すると宣言をしてから全国を回っていくというその状況に興味を覚えたというのはある。終わりが見えているグループの最後の一週間とか、そういう括りの話がつくれないかなと最初に考えたのがそのときだった。実はそのときに、『カナリア』(04)の咲樹(りょう)と梢(つぐみ)のカップルのスピンオフのような気分で、女性二人が旅をして最後に別れるというような話を考えていたときもあったんだけれど。バンドという形ではない色々な組み合わせをぼちぼちと考えてはいた。
根岸
確かつぐみもギターを弾いていたよね。
塩田
そういえば弾いてたね。今回と繋がってるな。
根岸
ちょうど『さよならくちびる』を撮り終わった頃、久しぶりに『カナリア』を観ていたら、ギターを弾いているし、カメラマンは違うけど、車の撮り方もそっくりだなと思った。ロードムービーでもあるし、作品全体のルックはまったく違うんだけど、細部や構成要素がすごく重なっているなと。『さよならくちびる』でカレーを食べる店の感じと、『カナリア』の主人公が父親に会いに行く直前の店の雰囲気もかなり似ている。
塩田
まあ、同じようなことを繰り返しているというのはあるんだけれど。おそらく『カナリア』と車の撮り方が似ているというのは、風景を写実的に描いていないというか、走っている車を外からあまり撮っていないから。僕は車を撮るときには、いわゆるロードムービーのようには撮らない。今回も真後ろから追っかけで撮るだけで、それは『害虫』の頃から一貫してやっていること。A点からB点まで移動していく感覚はあるんだけど、流れ去っていく景色の印象というのはすごく曖昧で、ただ時間が流れて運ばれていったという感覚を出したいから。
根岸
ヴィム・ヴェンダースなどの撮り方とは違うと。
塩田
全然違う。だから、今回はロードムービーではないという人もいるんだけど、そんなことはなくて、こういうロードムービーもあるということなんだよね。実際に知り合いの音楽家に話を聞くと、車でツアーを回っていると風景の感覚がないし、結局どこの街へ行っても、車の中とハコ(=会場)と、ハコの周辺の楽器屋ぐらいしか行くところがないと言う。その途中のイメージはほとんど残らない。ただひたすら車、ハコ、楽器屋、レコード屋を繰り返していく感じだという話が記憶に残っていて。それもあって、今回は「はい、ここは大阪です」「ここは新潟です」というような風景ショットは撮らないように、かなり意識的に心がけていた。
根岸
今回の撮影を担当した四宮秀俊というカメラマンは非常に優秀だけど、彼はもう少し凝った画を撮りたがっていたということはあったのかな。
塩田
ロードムービーらしい移動感覚に溢れた画、例えば走っている車を様々な角度から客観ショットで撮りたがっているというのはあったけれど、僕が一切やらないので、彼はその点は不満だったかもしれない。ただ、撮っていくうちにそういう狙いを徐々に理解してくれたみたいだけれど。
根岸
逆に最初に映画をつくる上で資金集めだったり、シナリオを色々な配給会社に読んでもらって了解をもらう段階で、これは地味だとか、同じことの繰り返しじゃないかと、今まさに塩田監督が言った狙いのマイナス面も結構指摘はされた。実際に不要な部分もあったとは思うけど、そういうこちらの狙いを理解してくれる出資者が現れるまでかなり時間がかかったというか、二転三転したという面はあった。幸いギャガの依田会長が興味を持ってくれて、うちでやると直電がきて。
塩田
失礼しました(苦笑)。まあでも、反復と変奏ではないけれど、同じ曲でも演奏するごとに聴こえ方は違ってくるわけで。その変化がドラスティックではないぶん、ドラマ性が弱く感じるということはあるだろうね。
70年代アメリカ映画の作劇
根岸
でも先日、立川の極上音響上映で観たときには非常に音が素晴らしくて、この音響に+3Dで観たら観客がそこに参加し、立ち会っている感覚が出るなと思った。だから、最初に脚本を読んだ印象とは違うけど、塩田がエイミー・ワインハウスのドキュメンタリー『AMY エイミー』(15)のような感じもありかなと言っていたことを思い出した。ライブツアーのなかに潜入して撮る、見せられないエピソードも含んだメイキングみたいな面もあるのかなと。
塩田
『AMY エイミー』は自殺して亡くなった若き歌姫のプライベート映像やテレビのフッテージ映像、ライブシーンの映像などを再編集して、2時間ぐらいの人生のドラマとしてまとめた作品。同じように、解散したハルレオに関して残されているフッテージがあって、その残された記録しか素材はないという割り切りのなかで、新たな関係者インタビューなどを付け加えたりせずに、その残されたフッテージだけを編集して、ハルレオのラストツアーを一本の映画にしようとする意図はあったと思う。でもそれ以上に、もっと根源的に僕が作品のとっかかりとしてイメージしていたのは、実は70年代のアメリカ映画の雰囲気なんだよね。具体的にいうと『バニシング・ポイント』(71)や、モンテ・ヘルマンの『断絶』(71)など。『バニシング・ポイント』というのは、東海岸から西海岸まで何時間以内に走って車を届けてみせるという約束をして、ひたすら走り続ける映画。狂ったようにひたすら走り続ける男を交通違反で警官たちが追いかけてくるうちに、どんどん大騒ぎになっていって、やがてはヘリコプターまで登場して、意地でもその車を止めようとする。その状況のなかで、あらゆる検問を突破してただ走り続けるというだけの話。途中途中に男の過去の人生がフラッシュバックのように描写されていくのだけど、その断片化した過去の導入の仕方などが、今回の『さよならくちびる』にも似ているといえば似ている。
70年代といっても必ずしもアメリカン・ニューシネマだけではなく、僕のなかには70年代までは生きていたんだけれども、80年代以降次々に忘れ去られていった作劇のポイントのようなものがある。例えば、登場人物が出てきて喧嘩をするんだけれども、絶対に謝らない。絶対に謝らないけれど、和解をしないわけではなくて、和解をするときには、ほぼ無言で和解をする。これはアメリカ映画の定石なんだよね。この定石は70年代までは普通にあったんだけれど、それ以降に忘れ去られていった。何も言わないことがかっこいいんだ、感動的なんだ、という感覚がなくなってしまって、日本映画やテレビドラマにおいては、むしろ和解の際にいかに涙を流し、感情的に、情緒的に盛り上げるかが勝負、というような真逆の作劇になっている。「私が悪かった」「いや、俺のほうこそ悪かったよ」と、お互いに心が解けて、柔らかくなったその瞬間こそが感動的なのだと。その瞬間をいかにメロドラマチックに盛り上げられるかにかかっているという発想。それに対して、かつてのアメリカ映画はそれこそが最もダサい、つまらない作劇なのだといっていた。そのような泣かせどころの瞬間を無言でさらっとやるのがグッとくるのだ、という感覚が、70年代まではつくり手側だけではなく、観客のあいだにも共有されていた。その感覚を今回の映画では取り戻そうとしている。例えば、新潟でハルがシマと一悶着あって飛び出していって、次の酒田で再会するんだけれども、お互い誰ひとりとして一言も謝らない。だけど一緒にギターのチューニングを始めて、同じ作業をしているところで、ああ、和解したんだなと感じられる。そういう、これ見よがしな演出とは違うところで勝負を仕掛けていて、それが案外、同世代の人たちには伝わるんだと思った。どうも今回、同世代の監督から支持を受けているというか、応援いただけてうれしいんだけれど、それはそうした感覚が伝わっているからなんだなと感じる。逆に、それが批判の対象にもなっているわけだけれど。
根岸
仕上げの過程で、スタッフや出資者のなかにも70年代や昭和っぽいということをさかんに指摘する人はいたよね。ただ、そこはこちらもある程度承知しているところでもあるし、もちろん今の世に出す映画だから、北原さんが狙ってくる「これぞ今」というセンスも取り込んでいるので、バランスはとっているはずなんだけどね。
塩田
結局、僕がひとりで全部決めてしまうと70年代にどんどん偏っていってしまう。だから、別に懐メロをつくろうとしているわけではないので、そうならないようにバランスは取ったつもりなんだけどね。『害虫』以降しばらく離れて、また根岸さんと一緒に仕事をするようになってからつくっている映画は、僕のなかではすべて70年代の感覚が通っている。
根岸
なるほど。たまには今っぽいキラキラ映画もつくりたいですけどね(笑)。
塩田
僕の考える70年代映画の根幹っていうのは何かというと、「残務処理の感覚」なんだよね。つまり、大きな出来事が起こった後の最後に、その後始末の時間を描くということ。60年代のベトナム戦争の後の時代ということもあるんだけれど、それはニューシネマやロードムービー的なものだけではなくて、例えばドン・シーゲルの『ダーティーハリー』(71)のような刑事ものでも、犯人がベトナム戦争が生んだ悪魔のような存在として捉えられている。過去にあった大きな出来事の残響が今ここにあって、それが災いをもたらしているから、その後始末にハリー・キャラハンという男が駆り出されているという感じがある。僕はそういう残務処理の時間のような感覚のなかで育ったので、それが好きだというのもあるし、90年代のバブル崩壊後の日本は今に至るまで、ひたすらその感覚しかないというのもある。社会に新しい何かが生まれてきたという感覚が一切ない、ひたすら引き延ばされた残務処理の時間という感じがあるんだよね。だから、瀬戸康史君と阿部純子さんと一緒につくった『昼も夜も』(14)も、大きな声では語っていないけれど、東日本大震災の後の津波で故郷が押し流されてしまった女性と、遠くにいてその残響を受け止める男性の話だし。
今回もハルレオの結成からの話ではなくて、あくまで最後の終わりの時間をどう描くかというところに焦点を当てている。その終わり方もアメリカ映画的でなければいけないというのが僕のなかにあった。それはつまり、ラストライブをどう描くかということ。ラストだからお涙頂戴で盛り上げなければいけないとか、ハルレオ自身が「これはラストなんだから精一杯思いのすべてを観客に届ける」とか、もっと極端なことをいえば「死んでいったあいつのために俺たちは心を込めて歌うんだ」とか、そういう作劇は一切やらない。そういうのはとてもかっこよくないことであって。アメリカ映画的な発想でいえば、これが最後だけれども、いつもと同じようにやり遂げるんだ、何も変わらない、いつもの私たちのままでこの場をやり終えるんだと。でないと、じゃあ、お前らはこれまでは手抜きしてたのか、最後だけ本気なのかという話になる(笑)。本当はそういうことなのに、それがあたかも感動的であるかのように描く日本的なメンタリティや作劇の思い込みがある。かつてアメリカ映画が洗練されていたのは、そういうのはダサいと撮る側も観る側も思っていたからであって。ファンの人たちはこれが最後だという思い入れがあるかもしれないけれど、ハルレオには私たちはいつもと同じでいい、いつもと同じようにやり遂げることが美しいし、それがハルレオを全うすることなのだという自負がある。もちろん、その結果として、こみ上げてきたりもする。いつもと同じように歌おうとするんだけれど、やはりこみ上げてくるものはいろいろあるし、泣きそうになる瞬間もある、それが美しい。おそらくそうでないと、最後の最後が正当化されない。主人公たちが解散というシチュエーションに自己陶酔してしまうと、もう二度と再結成はない、そういうことは結構考えていたんだよね。
根岸
それでいえば、『リンダ リンダ リンダ』のラストにも通じあうところはあったと思う。文化祭で「リンダリンダ」を歌うわけだけど、最初は観客がいないところから始まり、別の人がつないでくれて、遅れてきたぺ・ドゥナたちが曲を歌うことでめちゃくちゃ盛り上がっていく。そこまで丁寧に描いていって、その後「終わらない歌」を歌うときには、前の方で一部盛り上がっている観客をロングで撮って、歌唱場面も冒頭しか映さない。その後は実景に歌が重なっていく。
塩田
あの場面は校内各所の点景が入ってくるんだっけ。あの入り方はうまいなと思った。
根岸
あそこのシーンは監督山下・脚本向井康介コンビの盛り上がりつつ、ぎりぎりのところで盛り上がりを回避する独自のセンスが働いていたなと僕は思ったんだけれど。
塩田
僕があそこから受け取ったのは、青春真っ盛りのど真ん中を生きているのに、もうこれが青春の終わりになっていくんだと自覚している人たちの心象。それをうまく出しているなあと思った。それはやりすぎると大人のノスタルジーになってしまうんだけれど、そこまでにはならずに、高校生たち自身が「これってきっといい思い出になるんだよね」「10年後、この瞬間を思い出して懐かしがるんだよね」と感じている憂愁な瞬間の感覚がある。
根岸
おそらくそれは撮り方も含めてだと思うけれど、山下、向井があの当時28歳ぐらいなんですよね。だから、彼らのなかでは最初の青春はすでに終わっていて、でもまだ大人になりきれているわけでもない絶妙な距離感があったと思う。女子高生という設定自体にも、僕以上に距離感があったみたいだし。そういう気恥ずかしさと、でもやってみると意外と楽しいぞという実感でバランスを取りながら、演出部含め、ああだこうだと構築していった。最初に企画を聞いたときは「えっ」て驚いてましたからね。「女子高生にブルーハーツのカバーをやらせる?」と。
塩田
もともと根岸さんの発案でしたからね。僕たちは世代的にもブルーハーツとはずれていたし。
根岸
少なくとも青春の思い出ではない。ブルーハーツは素敵なバンドだったし、曲自体も良かったけど、ブルーハーツへの異様な思い入れであの企画を考えだしたわけはない。パンクへの憧れも実はあまりなかった。ただそのかけ合わせは企画としては面白いな、とふと思いついて。