最新作シム・ウンギョンさんと松坂桃李さん出演の話題作『新聞記者』(19)、そして、山田孝之さんプロデュース映画『デイアンドナイト』(19)などでもタッグを組んでいる映画監督で脚本家の藤井道人さんと、撮影監督でカメラマンの今村圭佑さんの対談インタビュー。
映画・ドラマ・CM・ミュージックビデオなど幅広い映像の世界で大活躍中のお二人の出会いから、自主制作やインディーズ作品を経て、現在に至るまでの作品作りについてのお話。
そして、仕事を志したキッカケや、映画とドラマとCMの違いなどについてお話を聞きました。
◆出会いは映画サークルの先輩と後輩
ーーお二人の出会いを教えてください。
藤井:日本大学芸術学部(以下、日芸)の映画学科のサークルの先輩(藤井)と後輩(今村)です。
今村:藤井さんの家に僕が撮った自主映画のテープを持っていったのが最初だったと思います。
藤井:一年生の時に今村が監督したやつね!その頃、僕がサークルの代表だったので、一年生が撮った作品を、上映用のDVDにする作業をしていたんです。そこが初めての出会いでしたね。
ーー映画の学科に進学したのは、元々映画がお好きだったからですか?
今村:正直そこまで映画に興味はありませんでした(笑)。地元に居た頃、映画館へはデートで『海猿』や『踊る大走査線』を観に行くくらいだったので。日芸へ進んだのは、東京に行きたかったというのが一番の理由でしたね。
ーーその中でもなぜ日芸を選んだのでしょうか?
今村:東京に行くには富山県に無い学部を選ぶ必要があったので、芸術学部を選びました。あと、石川寛監督の『好きだ、』(06)という映画を一人で観に行った時に衝撃を受けて、「これをやりたいって言おう」と決めて、日芸の撮影・録音コースに進みました。
ーーでは、映画の仕事を意識しはじめたのは、日芸に入ってからですか?
今村:地元が田舎でコミュニティも狭かったんで、最初から映画関係の仕事をしたいとかカメラをやりたいという気持ちは無かったんです。東京に来ていろんな人の話を聞いたり、実際に作品を作っていくうちに、カメラマンになろうという思いが生まれてきました。それまでは本当に映画を観てこなかったんで、とりあえず日芸の図書館で「あ」から「わ」まで順番に日本映画のDVDを借りて観ていました(笑)。
ーーサークルではどれくらいのペースで撮影していたのでしょうか?
藤井:一度無くなってから再度立ち上げたサークルで、上の代が居なかったんです。だから、今村が入ってきたときはたぶんガチガチの体育会系の映画サークルで、「取り合えず撮れ撮れ!」みたいな感じだったと思います(笑)。
今村:完全にそうでしたね(笑)。まずは自分で撮ってみて、自分が観てきた映画と比べて違うところを見付ける、みたいな感じで。カメラに興味を持ち出したのは、その頃からかもしれません。
◆はじめて一緒に撮った作品の悔しさが原動力に
ーーお二人はBABEL LABELが立ち上がる前から一緒に作品を作っていたのでしょうか?
藤井:俺がまだ大学生だった頃、今村は撮影助手として現場に来てくれていたんです。卒業してから撮ったとある一本の自主映画が、クランクインの1ヵ月前くらいに色々あって、急遽カメラマンが今村に決まったんです。そうしてはじめて監督とカメラマンで一緒に撮ったその作品が、まあまあ凡作だったんですよ(笑)。その時の悔しさから、もっと良いものを撮ろうねって言って、そこからずーっと一緒に今まで作り続けています。
ーー悔しさがバネになったのですね。
藤井:あと、その頃から僕がたくさん短編映画を撮りだしたんです。数名で少しずつお金を出しあって、「キヤノン EOS 7D」という一眼カメラを買って、年間に平均7本くらい映画を撮っていました。当時今村は他の作品も撮っていたので、年間に10本以上撮ってたと思います。
ーーすごい数の作品を撮られていたんですね!
藤井:そしてその撮影したものを、4ヵ月に1回、キネアティックで上映していました。
今村:俺もたぶんその頃から、カメラマンになろうかなって意識しはじめた気がします。
藤井:たくさん撮りはじめた頃、今村はちょうど大学4年くらいだったんです。7Dを買ったあたりから、今村の技術が圧倒的にあがったんです。先輩の現場やプロの現場で稼いだお金を機材に投下するようになって、レンズ買ったり、フィルターを買ったりしていました。撮影する度に画の精度が上がっていったのは、たぶん2011年くらいだと思います。
今村:何にも知らなかったし、誰も教えてくれなかったので、こういう距離感で撮ろうとか、こういう風に撮ろうとかを考えはじめてから、自分の撮りたかったものに近付いていきた感じがありました。
ーー映画の撮影は、独学で研究していったのですか?
今村:元々、写真を見ることが好きだったんです。未だに写真とか絵とかを参考にすることが多いですね。あとは、大学時代に日本映画を「あ」~「わ」まで観たこともやっぱり大きかったです。
ーーお二人が、ガラッと変化しはじめたと感じたのはどれくらいの時期でしたか?
藤井:僕がすごく覚えているのは、『オー!ファーザー』(14)という映画の時ですね。僕が監督をやることが決まって、撮影監督に今村を推したんですが、若すぎて成立できなかったんです。その時の悔しさや憎しみから、自分が良いと思うものを撮るための執着みたいなものが芽生えていきました。客観的に今村を見て変わったと思ったのは、広告を撮り始めてからですね。
今村:僕のスタートは、ちょうどデジタルとフィルムの第二改革期で、どんどん新しい機材が出てきた頃だったんです。「こうしなきゃダメ」みたいな決まりのようなことがあまり無かったし、感覚で撮れる領域も増えてきたタイミングだったので、それが面白いと思ってもらえるキッカケだったのかもしれません。
◆奇跡信じる世代
ーーお二人とも20代から数々の現場でお仕事をされていますが、同世代の現場とベテランの現場とでは違いはありますか?
今村:感覚の違いを感じる時はあります。年上の方々との現場では、テンションでは撮らせてくれなかったりするので(笑)。同世代の人たちと作る現場のことを、僕は「奇跡信じる世代」って括っているんです(笑)。
ーーでは、『新聞記者』も『ホットギミック ガールミーツボーイ』(19)も「奇跡信じる世代」だったのでしょうか?
今村:撮影までにいかに準備をして、「現場で奇跡を信じるか」ということなんですけど。同世代の人たちは、自分の中で想像していないものが起きたりすることへの良さを見出す人が多いと思っています。僕も、身体的に撮れる方が面白いと思いますし、カメラマンの面白さはそこにあると思っているので。
◆彼が撮るものを尊重する
ーー長年一緒に作品を作ってきた今村さんだからこそわかる、藤井監督の特性を教えてください。
今村:基本、せっかちです(笑)。
藤井:ダラダラやることが苦手なんですよ(笑)。一時期、今村がモニターを見せてくれないこともありました(笑)。モニターにカメラをくっつけて見ていると、「もっと引きじゃない?」「もっと寄りがよくない?」みたいに喋っちゃうので。今村からは「モニターお化け」というあだ名をつけられました(笑)。そもそも段取りがあまり好きじゃないので、少し説明をしたら「撮りたい!」と思うタイプなんです。だから、現場で今村としか話していなかったり、藤井・今村の間だけで完結しちゃってる時は、怒られます。
ーーその感覚は、お二人の間では「阿吽の呼吸」的な感じなのでしょうか?
藤井:基本は撮影前にいろいろ話をしているんですが、違った時は今村にも言いますね。
ーー意見が違った時は、落としどころをどのように見付けていますか?
藤井:まずは二人で「こうしよう」というビジョンを話すんです。でも時々「あ、そこまで行くんだ?」ということを現場で感じることもあります。「じゃあ撮ろうか」ってはじめようとした時に、すごく遠くから返事が聞こえて、声のする方向を見たら50メートルくらい後ろに今村が居ることもあって(笑)。え、そんなところから撮るの!?みたいな(笑)。でも、画を見たらすごく良い画だったりするので、「今村が言ってたのはココだったんだ」と、現場で感じることもあります。
ーー『デイアンドナイト』でも「これどうやって撮ったんだろう?」というような結構引きの画がありましたよね。
藤井:『デイアンドナイト』のワンカットのシーンとかは、今村の提案で撮れたシーンです。度肝を抜かれたのは、冒頭のドローンでの撮影ですね。
今村:僕は毎回「脚本」を読んだイメージで、どういう風に撮ろうかを考えているんです。セリフの流れやト書きのところを読んで、俳優との距離感を考えていくようにしています。
ーーロケハンはいつも一緒に行っているのでしょうか?
藤井:一緒に行って、その場で全体のトーンや位置の話をしています。僕の説明の仕方は「引き・寄り・ブツ(手元)」しか言わないんですよ。基本的には引きのワンカットで決めたいんですけど、映画にはテンポが必要なので、そういう時に寄りが効果的になってくるんです。たまに今村が「絶対次このカット撮れないじゃん」っていう位置に敢えて入って来たりすることもあるんですけど、そういう時は、彼の中で見えているものを尊重するようにしています。
ーー今村さんは撮影でどのような事を心掛けていますか?
今村:まずは脚本を読んで、画で表現するためにはどんなことが出来るかを考えます。すごく単純に言うと、僕の中では“芝居に寄り添う画”と、“芝居に寄り添わない画”があるんです。『新聞記者』のシーンで例えると、「内調(内閣情報調査室)」のシーンは全く寄り添って無いんですが、「新聞記者側」のシーンは寄り添って撮っています。
ーーなるほど。広告の時はまた少し違うのでしょうか?
今村:基本的には自分が良いと思ったもので進めて、ダメと言われたら変えるようにしています。忖度みたいなことが大嫌いなので(笑)。この人こう思ってるかな…?という感じで撮るのはつまらないと思うし、全部が同じになってしまう気がしていて。藤井さんにも僕にも“好きな画”はありますが、毎回一緒になってしまうのは嫌なので、違う画は無いかな?って探すようにしています。
ーー今村さんが他の監督と撮った作品を観て、藤井さんはどう思っていますか?
藤井:やっぱり俺と一緒にやった方が良いなって思います(笑)。
ーー(笑)。
◆俳優とシンクロする
ーーお二人で撮った数々の作品の中でのベストショットやベストシーンを教えてください。
藤井:全体的な画というところに特化した作品で言うと『デイアンドナイト』ですかね。一番シンクロしていた感じがありました。あと、ロケ地もよかったよね。
今村:『デイアンドナイト』はよかったですね。僕は、俳優のタイミングや動きがわかるときがあって、「今、完全に俳優とシンクロしたな」と感じるときが楽しいんです。肉体と肉体で撮っている感じというか。
ーー面白いですね。
今村:顔を撮っている時でも、手元の動きが良い時は、ふっとカメラを手元に振ることもあります。『新聞記者』でいうと、元々は絵の寄りを撮るシーンだったんですが、そのまま西田(尚美)さんの方に振って撮った画があるんです。西田さんもまさか自分の方にカメラが来ると思っていなかったと思うんですけど、その瞬間がすごく良くて、好きなシーンなんです。そういうことが、唯一カメラマンができる面白いことだとも思っているので。
◆映画とドラマの違い
ーー今村さんは「dele」(18)で初めてドラマの撮影も担当されましたね。映画やミュージックビデオの撮影との違いはありましたか?
今村:映像的にはすごくありました。僕が一番違うなと感じたのは、テレビで見せるか、スクリーンで見せるかというところです。あとは、ライティングやグレーティングに対する概念も違いましたね。でも、ドラマを作っていく中で映像を良くしたいと思っている人がたくさん居たので、個人差とかではなく、自分が知っている映像的に良くするためのワークフローをドラマの世界に残していかなきゃなと思いました。
ーー撮影以外だと、ドラマと映画ってどのような所が違うと思いますか?
藤井:根幹の部分が違うので、映像という所だけが共通項だと思います。“映画”はお金を払って観に行くものだけれど、ドラマはコミュニケーションや対話に近いんです。脚本の作り方も違いますし、飽きさせないということがすごく重要になってくる。でも映画は、観ている時の集中力も違いますし、観た後に余韻が残るものなんですよね。
今村:意外とみんなテレビ見てるんだなということもわかりました(笑)。
藤井:見てるよね(笑)。映画は圧倒的に都市的なものになってしまっていると思うんです。でもヒットするためにはローカルが大事なので、既に知っている人が多いテレビドラマを映画化した方がヒットしやすいというロジックは間違ってないと思います。映画もドラマも両方やってみて、わかることがありました。
今村:あと、群像劇が好きだったらドラマの方がいいですよね。
藤井:長いからね。だから今度、Netflixとかで一緒にやろうよ(笑)。
藤井 道人
1986年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。大学在学中より、数本の長編映画の助監督を経てフリーランスディレクターとして活動開始。現在は映画監督、脚本家をはじめ、様々な映像作品を手がける。映像分野ではAMERICAN EXPRESS、ポケットモンスターなどの数々のCMをはじめ、ドラマ・MVと幅広く活動中。主な監督作は『オー!ファーザー』、『幻肢』(14)、『7s/セブンス』(15)、『青の帰り道』(18)、『デイアンドナイト』(19)など。
今村 佳佑
1988年生まれ、富山県出身。日本大学芸術学部卒業後、KIYO氏に師事。映画、CM、PVカメラマン、撮影監督として活動する。藤井監督作品には『幻肢』(14)、『7s/セブンス』(15)、『光と血』(17)、『デイアンドナイト』(19)に参加。その他の主な映画作品に『星ガ丘ワンダーランド』(15)、『ユリゴコロ』、『帝一の国』(17)、『ごっこ』、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(18)など。
映画『新聞記者』
©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ
出演:シム・ウンギョン 松坂桃李 本田翼 岡山天音 /西田尚美 高橋和也/北村有起哉 田中哲司
監督:藤井道人 脚本:詩森ろば 高石明彦 藤井道人 音楽:岩代太郎
原案:望月衣塑子「新聞記者」(角川新書刊)河村光庸
配給:スターサンズ/イオンエンターテイメント
『新聞記者』予告
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cinefil連載【「つくる」ひとたち】
「1つの作品には、こんなにもたくさんの人が関わっているのか」と、映画のエンドロールを見る度に感動しています。映画づくりに関わる人たちに、作品のこと、仕事への想い、記憶に残るエピソードなど、さまざまなお話を聞いていきます。時々、「つくる」ひとたち対談も。
矢部紗耶香(Yabe Sayaka)
1986年生まれ、山梨県出身。
雑貨屋、WEB広告、音楽会社、映画会社を経て、現在は編集・取材・企画・宣伝など。TAMA映画祭やDo it Theaterをはじめ、様々な映画祭、イベント、上映会などの宣伝・パブリシティなども行っている。また、映画を生かし続ける仕組みづくりの「Sustainable Cinema」というコミュニティや、「観る音楽、聴く映画」という音楽好きと映画好きが同じ空間で楽しめるイベントも主催している。
インタビュー&構成協力:渡邊玲子
写真:山越めぐみ