『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』が4月19日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国で公開される。

ヒトラーとナチス思想の背景や、彼らに略奪された美術品がたどった美術史の闇に肉薄した映画作品。画商から贋作家まで、多様な人々が登場する広大なその闇を案内するのは、イタリアの名優トニ・セルヴィッロ。
『修道士は沈黙する』(16)で謎めいた修道士を演じる一方、パオロ・ソレンティーノの『彼ら』(18)ではベルルスコーニ元首相を演じたりと、神のような超越者と権力欲に憑かれた世俗の政治家という両極を演じられる彼だからこそ、政治権力と芸術という複雑で矛盾した関係を描いた本作を知性と憂愁を帯びた説得力のある語りで魅せてくれる。

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自粛や忖度の果てにカタストロフ=破滅へと向かっているいまの日本において、政治と芸術はどのような関係を結んでいるのか。
本作で「ゲルニカ」はあなたの仕事かとゲシュタポに聞かれたピカソの答えを、私たちはもう一度深く考える必要があるだろう。
監督を務めたクラウディオ・ポリと脚本のアリアンナ・マレッリに製作の背景などを伺った。

『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』
監督クラウディオ・ポリ、脚本アリアンナ・マレッリ インタビュー

――歴史や教養を知ることができるだけでなく、政治権力と芸術という現在に通じる今日的なテーマを持った深く力強い作品だと思いました。まず、本作を手がけた経緯について教えていただけますか。

クラウディオ・ポリ(以下、ポリ) 
製作会社3Dプロドゥツィオーニの創設者であり、ジャーナリストでもあるディディ・ニョッキが原案を書きました。彼女は芸術史が専門なのですが、ある書物からナチスによって収奪された美術品の存在を知り、そこから原案を書き上げていきました。本作を製作した2017年はちょうど時期的にも「グルリット・コレクション」展をはじめ、「ラ・ボエシー通り21番」展や「略奪された美術品」展など、ナチスと美術品の関わりを示した展覧会がドイツのボンやフランスのパリで行われていました。そのタイミングをうまく利用しつつ、1937年に行われた「大ドイツ芸術展」と「退廃芸術展」からちょうど80周年という節目の年だったこともあり、ぜひ製作しようということになったのです。

製作にあたってはおびただしい量のリサーチを行いました。様々なアーカイヴ資料や今までに出版された関連書籍を読み込み、それをもとにディディ・ニョッキ、サビーナ・フェデーリ、そしてアリアナが脚本を書きあげました。1年ほどかけてリサーチを行いましたが、フランス、オランダ、アメリカ、イギリス、スイスなど、各国でご遺族やご子息の方々にお会いし、お話を伺いました。その撮りためたインタビューも膨大な時間でしたので、その取捨選択する編集も大変に苦労しました。複雑な歴史的背景がありますので、何をピックアップするのかは非常に難しい選択だったのです。

クラウディオ・ポリ(Claudio Poli)  監督
1986年北イタリアのクレモナ生まれ。
撮影と編集を専門にビジュアル・コミュニケーション・デザインを学び、映像の仕事に携わるべく3Dプロドゥツィオーニに入社。芸術専門テレビチャンネルのスカイ・アルテで放送するドキュメンタリー(ヴェネツィア・ビエンナーレ、イタリア国立21世紀美術館、ミラノのピッコロ・テアトロ、ミラノ・デザイン・ウィークのサイドイベントのダイジェスト、エミリオ・イスグロ、マンゾーニ博物館、ミラノ国際博覧会、ミンモ・ロテッラ)の撮影・編集を務め、本作が初の映画監督作品。

――ナチスの思想や文化統制という背景から略奪された美術品や美術史に至るまで、広範な領域をカバーしつつ、政治権力と芸術や芸術家との関係の本質を突いた構成も見事だと思います。編集にご苦労されたということですが、様々な記録映像の抜粋や人物へのインタビューなど、膨大な素材を取捨選択する際に、何を指針にされたのでしょうか。

アリアンナ・マレッリ(以下、マレッリ) 
作品には大きく分けて3つの柱があります。一つ目は美術品を略奪された被害者や遺族の方々の個人史や家族史。次に、アン・ウェッバーさんや美術史家をはじめとした美術品の来歴を調査し、その返還交渉をする方々の活動。そして、当然ながらナチスの文化統制についてです。それら三つの要素をオーケストラを指揮するようにしてまとめ、作品に仕上げたのです。

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――ナチスによって略奪された美術品に関してお伺いします。それらは市場の表裏で売買されていたようですが、そのような正当な手続きを経ていない美術品が流通してしまうのはなぜなのでしょうか。

ポリ 
市場を含めた美術品の流通過程は極めて複雑なグレーゾーンにあるといえます。なぜなら、実際には略奪された美術品であっても、書面上はナチスが法的な手続きを経た正当なものとして接収しているからです。

マレッリ 
例えば、作中にも描かれているとおり、出国用のビザと引き換えに美術品を手渡すなどの取引が行われていましたし、現在、ハーバード大学フォッグ美術館に所蔵されているゴッホの「坊主としての自画像(ポール・ゴーギャンに捧げる)」は戦時中の1939年にオークションにかけられ、当時最も高い値段で競り落とされました。また、本来ならばグルリット・コレクションも元の所有者に返還しなければならないものですが、彼とその家族は隠し持ったまま、第三者のブローカーなどを仲介しつつ、独自のネットワークでそれらを世界各国に売りさばいていました。ですから、作中にも登場した「ヨーロッパ略奪美術品委員会」や弁護士、交渉人といった存在が必要になるのです。

アリアンナ・マレッリ(Arianna Marelli)  脚本
現代言語学と文献学の博士課程を修了、いくつかの書物を出版したのち、ミラノの芸術と文化関連のドキュメンタリー専門制作会社である3D Produzioni(註:本作の制作会社)の脚本家となる。そこでは、文化、文学、芸術、デザイン界の人々への取材や脚本執筆、企画に参加している。
特筆すべきドキュメンタリー作品としては脚本を担当しThierry Bertiniが監督して、SkyArte HDで放映された”Trent’anni dopo. Primo Levi e le sue storie”(30年後。プリーモ・レーヴィと彼の物語)がある。その他、イタリアで大ヒットしたドキュメンタリー映画ドキュメンタリー映画『クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代』(2019年初夏 公開)の脚本も執筆した。

――ナチスは「退廃芸術」を破棄することもできたはずですが、それらを集め、展示したのは、やはり周囲への見せしめという意図があったのでしょうか。

ポリ 
おっしゃるとおりです。ナチスは「退廃芸術」と定義づけることで、「悪しき芸術」としての見せしめを行ったのです。作中でも言及されていますが、「退廃芸術展」は展示方法も粗雑で、美術品を醜く、嘲笑すべき対象として見せるように企図されていました。表情や身体が歪んだ肖像画が例示しているように、20世紀前半のモダンアートには人間の最も暗い部分を描いた作品が数多くあります。「大ドイツ芸術展」との対比のなかで、そのような人間性の歪さや矛盾を描いた作品はナチスの欲する「正しい芸術」ではないという意図のもとに展示されたわけです。

マレッリ 
「退廃芸術展」はオーストリアなど、当時のドイツ国内13都市を巡回し、200万人以上の来館者が訪れました。それほどの人々が集った理由には、もう今回を機に「退廃芸術」作品が観られなくなるかもしれないという大衆の興味も一因でしょう。しかし、悪しき芸術と馬鹿にしていながらも、展示を観た当時の人々が逆に感心してしまったり、判断ができずに困惑したりと、作品に対する受容の仕方が必ずしもナチスの思惑通りにはいかなかったのは皮肉ですね。また、ナチスは「退廃芸術」作品をアメリカの美術商に売却し、それを元手に「正当な」芸術作品の購入資金や国費に充てたりと、都合のいい道具として利用していました。

画像: 撮影中のクラウディオ・ポリ監督 (c)2018-3D Produzioni and Nexo Digital-All rights reserved

撮影中のクラウディオ・ポリ監督
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――近代以前は聖職者や王侯貴族が美術の担い手でしたが、美術商という職業が生まれ、流通市場ができ、その担い手は社会の富裕層へと移っていきます。「大ドイツ芸術展」と「退廃芸術展」に象徴されるナチスの文化統制とは、つまるところ、いまおっしゃったような美術や芸術に対する価値観そのものを変えようとしていたということでしょうか。

ポリ
そのとおりです。1937年の「大ドイツ芸術展」と「退廃芸術展」を通じて、ナチスは良き芸術と悪しき芸術を対比させ、恣意的に定義づけました。ドイツ民族にとってあるべき芸術とは、国や共同体に準ずるものであり、それらへの忠誠心や、家族や母性、農村や田舎といった古来の伝統への回帰を謳ったものでした。一方、退廃芸術とは人間の暗部を描いたものです。例えば、それは現代社会の都市化や潜在意識にある暗い部分を描くものであって、人が鑑賞すべきではない、モラルを欠いたものであると定義されました。このような定義づけから分かるのは、ナチスにとって芸術とは、あくまでも国家の思想や価値観を形容し、促進させるための手段でしかなかったということです。

マレッリ 
ナチスは歳月をかけて少しずつ「正しい芸術」というものを定義づけていきました。彼らにとっての芸術とは、いずれは世界を支配すべきドイツ民族による第三帝国の価値観を謳うものですから、逆に見ればそれは政治にとって欠かせない命脈でもあるのです。興味深いのは、芸術を政治の手段として考えていた当の本人であるヒトラーやゲーリング自身が美術品のコレクターであり、芸術の愛好家だったという点です。例えばゲーリングは「退廃芸術」の烙印を押された美術品を秘かに所蔵していました。いずれにせよ明白なことは、彼らナチスは芸術を政治の武器に変えてしまったということなのです。

(聞き手=角章・野本幸孝)

(文・構成=野本幸孝)

誰も知らない闇の美術史ー名画ミステリー
『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』予告

画像: 誰も知らない闇の美術史ー名画ミステリー『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』予告 youtu.be

誰も知らない闇の美術史ー名画ミステリー『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』予告

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トニ・セルヴィッロ(『グレート・ビューティー/追憶のローマ』『修道士は沈黙する』)

原案:ディディ・ニョッキ
監督:クラウディオ・ポリ 
2018年/イタリア・フランス・ドイツ合作/イタリア語・フランス語・ドイツ語・英語/ビスタサイズ/97分
英題:HITLER VERSUS PICASSO AND THE OTHERS
字幕監修:中野京子(作家/『怖い絵シリーズ』)/日本語字幕:吉川美奈子 
配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
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4月19日(金) ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他全国公開

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