伊藤大輔と溝口健二
西田宣善
伊藤大輔が言った。
「溝さんに敵わないと思う点は、溝さんがまるで文学なんて屁とも思ってないことだ。ぼくなんかはやはり映画よりも文学の方がより高級だという観念からどうしてもぬけきれないので困る」
こういう発言があるということは、溝口健二と伊藤大輔は親しい関係にあったということである。
実際、二人は京都の同じ町に住んでいた。右京区の御室(おむろ)である。
いわゆる嵐電という小さな電車が走り、最寄駅は御室(現在の御室仁和寺駅)。撮影所に通うのに便利な電車だったために、二人は電車の中で顔をあわせることもあったのではないかと想像する。
二人の映画の作風はまったく違う。
溝口は虐げられた女性を主人公にした悲劇。伊藤は思想性が濃厚なチャンバラ時代劇。
溝口も伊藤の撮る時代劇を認めていたし、伊藤は溝口が京都で撮る女性映画を見ていた(はず)。
私事であるが、私の父・西田智(元俳優)は溝口にスカウトされて俳優になったのだが、父の学生芝居を伊藤の奥さんの妹がよく見に来ていて、それが溝口が父のことを知るきっかけだという。
そういえば、溝口が伊藤と組んだ映画が1本だけある。『虞美人草』(1935年)の潤色は伊藤である。おそらくシナリオの前に原作を解体する仕事をしたのだと思われる。
冒頭の溝口の発言は、そのころの思い出から発したものかもしれない。
京都ヒストリカ国際映画祭では、生誕120年の溝口、伊藤、内田吐夢の作品を一挙上映している。
明日までであるが、まだ古い映画に馴染みのない方も足を運ばれてはいかがだろうか。
西田宣善 にしだのぶよし
京都生まれ。映画プロデューサー、編集者。キネマ旬報社を経て、有限会社オムロを設立。製作作品に『冬の河童』『無伴奏』ほか。2019年京都で撮影した最新作『嵐電』が公開される。現在、京都の宮帯出版社にて映画本を編集中。
『忠次旅日記』
“敗残の美学”≡伊藤大輔監督が京都で打ち立てたサイレント時代劇の金字塔
11月4日(日)13:30ー(活弁付上映)
活動写真弁士:井上陽一
本作当時、監督の伊藤大輔、主演の大河内伝次郎ともに29歳。それまで尾上松之助や沢田正二郎が“義人”として演じた忠次は、伊藤監督により“敗残の無頼漢”として、欲も悩みもある一人の男として再定義され、新しい時代劇として京都・大将軍の地から全国の若者へ発信された。サイレント時代劇の金字塔と称される作品。
『ふるさとの歌』溝口健二監督
農に生きる誇りをとりもどす青年を溝口健二が描く−現存する最古の溝口作品
11月4日(日)17:00ー(弁士・ピアノ伴奏付き上映)
活動写真弁士:大森くみこ ピアニスト:天宮遥
溝口健二監督の現存する最古の作品。文部省の委託を受けて日活教育部(京都)が製作。勉学優秀であったが貧しさゆえ都会に出て学ぶことができなかった青年。都会から田舎に戻った学生達に劣等感を感じるが、彼らの能天気で軽薄な姿をみて、自らの引け目を恥じ、田舎での生活の美しさに気づき、農に生きる誇りをとりもどす。