1週間くらいで入れ替わる腸内環境
西アフリカのブルキナファソ、首都ワガドゥグから幹線道路をまっすぐに車で南下して、ガーナに近い地域に暮らすカッセーナの村を訪れたときの話。前回のワガドゥグから引き続き、人類学者の清水貴夫さん※1と農学者の宮嵜英寿さん※2と一緒です。二日間に渡って村を訪れたのですが、村には宿泊せずに近くのポという地域のホテルに泊まりました。このとき、ブルキナに降り立って、ちょうど1週間くらいが過ぎていました。
さて、この1週間という時間が何を意味するか分かります?衛生管理の研究で排泄物なども扱っているとある先生いわく、アフリカには日本にいないアフリカ独自の細菌がいて、だいたい1週間くらいで人間の腸内菌は入れ替わるらしいんです。つまり、アフリカで1週間も過ごせば、たいてい腹をこわす、ということですね。
僕の場合、カッセーナの村に行く前に食事をしたレストランでそのときが訪れたんです・・・。カメラマンが倒れては話にならん、ということで、ケニアのときのように、ありとあらゆる場面を想定して、虫除けスプレーのみならず腹痛薬やら整腸剤やらをも常備していた僕は、何事もないかのように颯爽とそれを服用して、トイレに悠然と向かうんですが、腹の中はキリキリ舞っているし、トイレはなんだかトレインスポッティングだし・・。
僕がそんなこんなで密かに腹痛と戦っているなか、同行していた清水さんと宮嵜さんは、いつも美味しそうに大量の食事を平らげていました。たぶん、何度もアフリカ渡航している彼らの腸内には、アフリカ産の細菌が常在しているんだと思います・・。しかもこのときの清水さん、ブルキナ渡航前のフランスで食あたり&体調不良だったはず。ケニアのときもそうでしたが、つくづく思うのは、アフリカなんかで調査を行う研究者は、基礎的な体力はもちろんのこと、さまざまな細菌やウイルスにも打ち勝つ?ような強靭な肉体の持ち主でなければ、やっていけないんじゃないかということですね。
カッセーナの村の独特な空気感
さて、カッセーナへ向かう道程、ところどころ点在する樹木や建物を横目に、乾いた黄砂が粉雪のように舞うガタガタ道を、ドライバーのアブドゥルさんの運転でしばらく走ると、その村は見えてきました。僕らが訪れた土でできた伝統的な家屋が残るカッセーナのラングェロ村は、村人たちの雰囲気がワガドゥグなどのブルキナ都市部とは一味ちがっていて、最初、妙な緊張感が漂っていました。
ワガドゥグでは、もちろんさまざまな場面で異文化を垣間見ては驚いたり感動したりしていましたが、それでも生活のスタイルはどこかしら僕らと似ていて、貨幣経済が基本ですし、グラン・マルシェ(中央大市場)でみんな活気よく商売に勤しむ姿などは、日本の高度成長期の祖父母や父母の若い姿を彷彿とさせる空気感が懐かしくもあったりしました。
しかし、ここカッセーナは、ずいぶん様子が異なります。到着してすぐ、そわそわして集まってくるたくさんの子どもたちと、どこか真剣な顔をして目線に気の緩みを感じさせない村人たち、少し張り詰めた空気に覆われて、たぶん僕の眼球はさだまらないまま周囲をキョロキョロやってたんじゃないかと思います。
ところで、この記事を書くために改めて写真を見ているんですけど、この村は子どもの数がハンパなく多かったですね。この子どもの中にひとり、車椅子に乗っている子どもがいたのが、強く印象に残っています。
古くから残る家屋の調査などで、何度かこの地を訪れている清水さんが、顔なじみらしき村人に挨拶をしているあいだ、興味津々な子どもたちが騒ぎ立てたいのを押し殺し、大人たちの顔色をうかがいながら物静かに集まってくる様が、緊張感を高めていたようにも思います。僕自身は、ブルキナ滞在すら初めての体験でしたから、どのような態度でこの村に入って行けば良いのか、まるで見当がつかない。だから、清水さんや宮嵜さんに習いつつ、様子を伺っていました。なんというか、倫理的なコードが分からないので、どういう態度で臨めば良いのかが分からないんです。ここのところ、アジア・アフリカ各地で撮影をしていますが、こんな空気感は初めてでした。
撮影に苦戦
まずは村の長老たちに挨拶をして、しかるべき手続きを経て、ようやく少しずつ撮影を始めることになるわけですが、いざ撮影を始めると、またひと山あって、レンズを村人に向け始めると、よっぽどカメラがめずらしいのか、それまでじっと我慢して大人しくしていた子どもたちが騒ぎ始めて、過剰にカメラに反応するので、いわゆる普通の風景ショットを撮ることすら、とてもたいへんでした。
僕はふだん研究者の活動を介して、現地の人々の暮らしの風景を撮影しているのですが、外から来た僕らに過剰に反応して、子どもたちはまるでお祭り騒ぎ。なんてこった、これではゆるりとした暮らしの風景なんてとても撮影できない、と試行錯誤した末に、最初は諦めてあえて子どもたちにがっつりカメラを向けて、カメラに飽きてもらおうと苦心したんですね。
が、いつまで経っても飽きない子どもたち。清水さんや宮嵜さんをカメラで追っていても、すぐに周囲に群がってカメラに向かって騒ぎまくる子どもたち。困ったなあ、と次の作戦としては、清水さんたちもカメラを持って撮影していたので、そっちに子どもたちが群がるのを待ってから、僕の周囲が静かになった後にカメラを回すという戦法を展開させました。
村のお母さんに連れ去られる
これが功を奏して、どうにかこうにか子どもたちがワイワイやっていない風景ショットをいくつか撮影していると、今度は年配のお母さんのひとりが僕の手を握って離さず、どこかに連れて去ろうとするんです。いやはや、これは果たしてくっついて行って良いものなのかどうか・・、と判断しかねている瞬間も待たずについついお母さんに引っ張られてついて行ってしまう。しかも、村の奥へと僕ひとり連れていく行くあいだ、ずうっとそのお母さんが僕の手をギュッと握り締めていて、一抹の緊張感とともになされるがままついて行くと、彼女が家族と暮らす小さな家が見えてきて、おそらく彼女の家族らしき人たちが笑顔で待ち受けていました。
彼女が家族と暮らす家は、他の家と同様に、天井がちょうど村人が立ったときから頭数個分高いくらいで、土を固めて作られていました。現地なまりのフランス語なのか村の言葉なのか、お母さんは何やら懸命に僕に語りかけてくるんですけど、僕には判然としません。すると家に集まっていた彼女の家族らしき人たちが、身振り手振りを混じえつつ彼女が言っているのはこういうことなんだよ、といった感じで説明をしてくれるのですが、当然ながら僕にはいずれも理解できません。
たぶん、若干困ったような笑顔で僕は彼女の話に相槌を打っていたんだと思いますが、しばらくすると、家の奥からガヤガヤと、ガラスのビンに入った濁った液体を出してきて、これを持っていけと僕に言っている。そして、その代わりとして写真を撮ってくれ、と言っていることを理解するのには、存外早かったです。
こういうときは、ことばの意味を理解しようとするとダメですね、意味が余計に不明になってくる。このときは、なんだか相手が切実だったので、僕もどうにかそれに応えようしていると、少しだけですが、相手の言いたいことが伝わってきました。たぶん、相手が僕のカメラを指差したり、家族に目線を向けたり、お願いらしき身振りをしていたり、いくつかのなんとなく理解できた記号的な身振り手振りの意味とその連鎖を、僕は頭の中で推測しながら状況を理解していた、あるいは誤解してこれもなんとなく納得していたんだと思います。
あとから、清水さんの研究のお手伝いをしているラミンさん(フランス語、英語、現地語が話せる)に彼女たちが何を言っていたのか改めてお母さんに聞いてもらったんですけど、瓶に入っていたのは現地のチャパロというお酒で、このお酒をお礼にやるから写真を撮ってくれ、ということだったみたいです。
で、ともかく彼らのポートレート写真を撮ったわけです。このあとも、事あるごとに村人に写真を撮ってくれ、と言われてはカメラを向けていました。僕にとってすごく印象的だったのは、写真を撮られる村人たちが、まるで彼らの魂が写真に宿るかのごとく、なんとも言えない瞳でカメラのレンズを見つめてくるために、撮っているこちら側もレンズの向こう側に引き寄せられるかのような感覚でした。ふだんポートレート写真を撮らない僕にとっては、とても貴重な体験となりました。残念ながら、あれからブルキナ渡航がまだ叶っておらず、彼らに写真を渡せていません。今度行くときは必ず写真をプリントしていかねば。
納豆によく似たスンバラという調味料
さて、清水さんと宮嵜さんは、古い家屋以外にも、納豆に非常によく似たものなんですけど、ネレの実や大豆を発酵させて作るスンバラという調味料について作り方を尋ねたり、何やら色々と村人の話を聞いたりしていて、僕はフランス語がわからないので、英語の話せるラミンさんに何の話をしているのか少し尋ねてみたりしながら、彼らの調査をカメラで追っていました。
GPSをぶら下げて、ひたすら歩く
で、あるところから、宮嵜さんと村人たちを先頭に歩き始めたんですね。どこかに向かっているんだと思いながらカメラで追いかけていたんですけど、結構な広さの土地をどうもグルグルと広範囲にわたって旋回していることに途中で気が付きました。一生懸命に彼らを追いかけていたのですが、実は宮嵜さんはGPSと足を使って農地(なのかな?)の面積を測量していたみたいなんです。現地で、GPSを首からぶら下げて時折、位置情報を確認しながら、ひたすら歩く。この測量方法がとてもおもしろかったです。
カッセーナの家
最後に、清水さんは他の研究仲間と一緒に、このカッセーナの家屋などの調査を数年間にわたって継続して行っているそうですが、今回訪れたラングェロ村は、かつて1970年代に人類学者の川田順造先生が日本から初めて訪れた地だそうです。実は、愛知県にあるリトルワールドという野外(民族)博物館に「カッセーナの家」として、実物大で復元した家屋があるそう。いやあ、先達は偉大なり、ですね。
以上、カッセーナを訪問したときの話でした。次回はブルキナのさらに別のエリアを訪問したときの様子について。ブルキナは、とりあえず次回で最後になります。
※1 清水貴夫さんの専門は、文化人類学・アフリカ地域研究。総合地球環境学研究所・外来研究員、一般財団法人 地球・人間環境フォーラム・フェロー。アフリカの都市社会で進む「近代化」が、ムスリム師弟の成育過程に及ぼす影響について研究されてます。最近、清水貴夫・亀井伸孝編『子どもたちの生きるアフリカ: 伝統と開発がせめぎあう大地で』(昭和堂、2017年)を出版。
清水さんのウェブサイトは、http://shimizujbfa.wixsite.com/shimizupage
※2 宮嵜英寿さんの専門は、境界農学、環境土壌学。一般財団法人 地球・人間環境フォーラム フェロー、国立民族学博物館 外来研究員、宝塚大学 非常勤講師、タミル・ナードゥ農業大学 外来研究員。京都大学大学院農学研究科博士後期課程単位取得退学(2007年)。現在は、インドやブルキナファソにて家畜糞を介した牧農共存のあり方に関する研究などを行っているそうです。
宮嵜さんのウェブサイトは、http://miyahide.wixsite.com/2016
澤崎 賢一
1978年生まれ、京都在住。アーティスト/映像作家。一般社団法人リビング・モンタージュ代表理事。現代美術作品や映画を作っています。近年は、主にヨーロッパ・アジア・アフリカで、研究者や専門家たちのフィールド調査に同行し、彼らの視点を介して、多様な暮らしのあり方を記録した映像作品を制作しています。現在、撮影した映像素材を活かした新しいプロジェクト「暮らしのモンタージュ」を準備中。
初監督作品であるフランスの庭師ジル・クレマンの活動を記録した長編映画《動いている庭》は、劇場公開映画として「第8回恵比寿映像祭」(恵比寿ガーデンシネマ、2016年)にて初公開され、その後も現在に至るまで、立誠シネマ(京都、2017年)、第七藝術劇場(大阪、2017年)、神戸アートビレッジセンター(神戸、2018年)で劇場公開、アート・フェスティバル Lieux Mouvants(フランス、2017年)などでも上映されました。
・映画《動いている庭》公式サイト:http://garden-in-movement.com/
2018年5月12日(土)-25日(金)に池袋シネマ・ロサで映画《動いている庭》が上映されます。東京で上映されるのは、第8回恵比寿映像祭(2016年)のとき以来!上映時間は、直前の週まで分かりませんが、ぜひご来場ください!
池袋シネマ・ロサ:http://www.cinemarosa.net/nextschedule.htm
・個人サイト:http://texsite.net/
・旅先の写真をインスタにアップしています。
Instagram:https://www.instagram.com/kenichi_sawazaki/
・映像制作・記事執筆など、お仕事のご依頼なんなりと
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