この度、第70回カンヌ国際映画祭においてグランプリを受賞し話題となっている、ロバン・カンピヨ監督最新作『BPM ビート・パー・ミニット』(英題:『BPM (Beats Per Minute)』)が、3月24日(土)より公開致します。

画像1: © Céline Nieszawer

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第90回アカデミー賞外国語映画部門のフランス代表にも選出され、ヨーロッパ映画賞作品賞をはじめ、サテライト賞およびインディペンデント・スピリット賞の外国語映画賞ノミネートなど世界中の映画祭で旋風を巻き起こし、“フランスのゴールデングローブ賞”と称されるリュミエール賞では、『アデル、ブルーは熱い色』(4部門受賞)を超えて作品賞、監督賞(ロバン・カンピヨ)男優賞(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)、脚本賞(ロバン・カンピヨ、フィリップ・マンジョ)、新人男優賞(アルノー・ヴァロワ)、音楽賞(アルノー・レボティーニ)と計6部門最多受賞!
さらに、第43回セザール賞では、作品賞、助演男優賞(アントワン・ライナルツ)、脚本賞(ロバン・カンピヨ、フィリップ・マンジョ)、有望若手男優賞(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)編集賞(ロバン・カンピヨ)、音楽賞(アルノー・レボティーニ)と、本年度最多6部門受賞の快挙を成し遂げました!

そのほかにもアトランタ映画批評家協会賞外国語映画賞、サンフランシスコ映画批評家協会賞外国語映画賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞外国語映画賞、ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞、セントラルオハイオ映画批評家協会賞外国語映画賞を受賞するなど、本年度賞レースを賑わせている本作。

この度、本作のロバン・カンピヨ監督の日本公開へ向けてのオフィシャルインタビューが到着致しましたのでご紹介いたしますー

映画『BPM』ロバン・カンピヨ監督オフィシャルインタビュー

画像: 映画『BPM』ロバン・カンピヨ監督オフィシャルインタビュー

Q:最初の質問はキャスティングについてです。ナウエルがショーン役を演じることになったいきさつと、どうして彼をその役に選んだのかについてお聞かせください。

私は、特に外国人の俳優と一緒に映画と撮るのが好きだということがあります。ナウエルはアルゼンチン人ですが、フランス語を完璧に話します。また彼のようにフランスの俳優たちと仕事の進め方が違う点も好きで、そのことがフランスの役者よりも良い結果をもたらすことがままあると思います。
とにかく、彼とはバーで知り合いました。そのパーソナリティと、少し小柄な体格がとても気に入りました。初めて会ったときは、すでに28歳だったと思いますが、少年のようなまなざしをしていました。特に、彼が演技するのを見て、その中で特に気に入ったのは、まず彼は、いってみればバロック的な役者で、少し演技が劇的になるのですが、そこがショーンのように病気との闘いに命を燃やすような人物を演じるうえで、とても重要だと思えました。それから同時に、自分の境遇を運が悪かったこととして振るまうところ、その時は討論に負ける場面で、傷つきながらも、ユーモアや自虐ネタを交えたりして、演じる人物が豊か彩られていた。そのあたりは彼が特に優れて良かったと思いました。
それからこの配役にバロック的な役者を求めたのは、病院に到着したときに、それまでの演技とは違って、色あせたような、なかばしらふに戻ったように全く演じることがないという風にしたかった。そうすることで、彼の人生が病気によって引き離されていくことを表したかったのです。

Q:映画の音楽に“Smalltown Boy”を選曲したのはなぜですか?

“Smalltown Boy”は、恐らく世界で初めてゲイの向けて作曲され、エイズが登場する雨の1984年に発表された楽曲です。この歌は、イギリスの地方住む若いゲイ、または世界のゲイの孤独を歌ったものです。とにかく、順を追って話しますと、(ヴォーカルの)ジミー・ソマーヴィルとアクト・アップ・パリ代表のディディエ・レストラドは親しい友人で、彼がアクト・アップ・パリの設立資金を出してくれたのです。さて、1990年の初めに、私は、アクト・アップが資金集めのために開いたコンサートに行きました。活動に参加する前のことです。その時にこの“Smalltown Boy”が歌われたのですが、その時に ホールの中にいた人の大多数がゲイだったせいか、皆が泣き出しました。この曲がエイズの広がる前の時代を思い起こさせたのです。私がこの曲を選んだのは、あのコンサートで目にした光景を映画で再現したいと思ったからです。それでソマーヴィル氏に連絡を取りました。今の彼が、当時のコンサートを再演すれば、力強いいい場面になると思ったからです。しかし彼は拒みました。撮影されるのが嫌なんです。私もそうなので理解できました。そこで、この楽曲のマルチトトラック・テープの使用許可を認めてもらったのです。そのお蔭で、音楽のアルノー・ルボチーニに1990年代のスタイルでリミックスを作ってもらったり、いくつかの異なるトラックを編集することで、まるでジミーが我々と最後の場面で一緒にいるかのような音を再現したりというアイディアを実現できました。

Q:次は、シューン訳を演じたナウエルに、体重を落とすにあたってどのような指示をされましたか。それにはどの位の期間があって、どのくらい体重を落としたのかなど、お聞かせください。

そうですね、あまり時間はありませんでした。3週間から1か月くらいです。ナウエルはそもそも食物アレルギーで、グルテンの摂食ができません。したがって元からとても痩せているということが言えます。そういうこともあって、私たちがしたのは、映画の開始に向けて太らせることでした。彼に栄養士をつけて体重を増やしていきました。その後、撮影の進行とともに、というのも時系列に沿って撮影をしていきましたので、徐々に体重を落としていって、元の体重に戻していったのです。そんな風にしたわけです。体重を増やしてから減らす方が易しいですから。たたし、それから更に体重を落とさせるのは、複雑な問題でした。なにしろただでさえ痩せているのに、それからさらに体重を落とすとなると危険だからです。ともかく、少しずつ食事のカロリーを減らしていきました。 撮影の合間に、皆が普通の食事をしているわけですから、彼にとっては辛かったと思います。そして、最後はもちろんメイクを使って、見た目を変えていったりしました。彼はわりと体重が落としやすかったのでしょう。私もそこまで痩せなくても良いと思っていましたが、それほどに強く要望しなくとも、最後の彼は相当に体重が落ちていたと思います。

Q:続いてアデル・エネルをキャスティングした経緯をお聞かせください。

アデル・エネルについては、そもそも女優として特別な存在だと思っています、なぜなら女は確固たる一面を持っているからです。パワーを感じるというか、彼女の人生自体がパワフルで、政治への関心を強く持っています。彼女は、私にアクト・アップにいた女の子たちのことを思い出させました。だから選びました。彼女とは数年前に会ったときに、彼女が私の前作『イースタン・ボーイ』をとても気に入って、一緒に映画を撮りたいという話になった。私はアデル・エネルをキャスティングすることで唯一不安だったのは、彼女が他の訳者よりも知名度がありすぎるので、まわりを訳者の存在感を食ってしまわないか、映画の中で彼女の存在感が強すぎて周りの存在を損なうんかないかが心配でした。しかしアデルは頭がよく、そのことを充分理解していて、好んで集団に溶け込んでいった。だから、撮影のある場面では、エキストラの一人のようにしていた。すべきことを承知していたわけです。私は、彼女のそういう強い面と同じくらい映画に必要だと思ったのが、彼女のユーモアです。彼女はときどき、天然ボケなところがあって、そういうところが映画を面白くすると感じていました。特に、最後の方の場面で人が死んで、その遺灰の始末に困りはてるところなどは、結構笑えるんじゃないかと。とにかく彼女にはそうしたとぼけたユーモアの部分なども、この役柄の大きな決めてとなりました。

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© Céline Nieszawer 

Q:討論の場面を撮影するのに、多くの時間を割かれたそうですが、特にどういうところが難しかったのでしょうか?

まず、討論の場面の撮影では、特殊な手法を用いました。そのために何度もリハをしたのです。たとえば集会の場面は、リハーサルに3日かけました。こうすることで、セリフの問題点がすべて確認できました。そこでセリフを書き換え、役者に指導するなどしたわけです。次に本番の撮りですが、撮影監督のジャンヌ・ラポワリーと前もって決めていたことがあって、こうした長いシーンを撮る際には、カメラを3台回すことにしたのです。そうして15分から20分撮影をしてから第1カットを撮るのです。最初はとにかくめちゃくちゃで、立ち位置やら何やらが違ってたりして、いい感じにぐちゃぐちゃな状態なのです。そんな状態で各シーンをまるごと撮り直していくのです。すると役者たちは途中で止めることができないので、徐々に力のあるシーンになっていく、役者もそのうちにカメラの存在すら忘れてしまうからです。そうしながら、問題点をみつけ、立ち位置やら何やらを一つずつ修整していきました。撮影がひと段落するころには、シーン全体が整うのです。このやり方は、編集の際にも活かせました。初めカットは、セリフや立ち位置の半ば出会いがしらのような状態を見せられましたし、最後の方のより洗練されたカットでは、各役者の技能や見せ場を発揮するシーンになった。こうした手法で、状態の異なる素材を使い分けることができたのです。

Q:フランス国内では様々な映画祭で上映されましたが、フランスの若い人たちの反応はいかがでしたか?

フランスの若い人たちの反応が一番大きかったと思います。正直言って、若い人たちのお蔭でフランスで成功できたと思っています。25歳以下の人たちです。それは、彼らが全く知らなかった話だったからでしょう。この映画で起きているのは、インターネットが登場する前の出来事です。当時は人と意見交換するには会わなければなりませんでした。アクト・アップで行われた円形劇場でのフォーラムは、今のネット上のフォーラムと似ています。ただし実際に会ってるのとそうでないのとでは全く異なります。興味深いのは、現代のフランスの若い人たちの多くに感動を与えたのは、こうした集会のシーンだったのです。人の死であるとか、ナタンとショーンの物語ばかりでなく、この集会は、彼らにとっての“失楽園”です。人々が、世の中を変えるために出会っていた時代への憧憬の念です。ただ同時に、役者たちにたびたび注意して聞かせたのが、こうした激しい闘争は、当時はごく限られたグループでしか行われていなくて、社会全体がそうだったわけじゃないということです。むしろそれはマイノリティのグループで、それほど人数もいなかった。だから、あの姿が、1990年代のフランスを代表するものだったかというと、それも違うのです。

Q:日本の人たちに、映画に出演する俳優の中で、フランスで有名な方々をご紹介いただけますか?

唯一知られている役者は、アデル・エネルですよ。彼女は数多くの映画に出演していますし、彼女が持っている強さが、人気を呼んでいます。とても自立している女性です。野生的というか荒っぽいようでいて、とても女性的だったりする。それらをひとつに持つ彼女の強い個性が、多くの人に好かれているのです。さきほども言いましたが、彼女は確固とした自我も持っているのと同時に、1950年代のピンナップを思わせる体つきをしている。そうしたギャップも好まれているのではないかと思います。

Q:この作品は数々の世界各国の映画祭で受賞をしましたが、アカデミー賞にはノミネートされませんでした。これについてはどう思いますか?

別に何も。ノミネートされるもされないもその理由(条件)を知らないので、これについて述べるのは難しいですね。とはいえ、私自身、この映画は複雑な問題を扱っていたり、余計なことまでしゃべってるところがあるので、アメリカで、アカデミー賞のオスカーやゴールデングローブ賞を選出する人たちの目に魅力的な作品に映るかどうかは疑問をもっています。何かひっかかるものがあるのでしょう。それでも悔やむことはなくて、ニューヨークや、ロサンゼルス、サンフランシスコやシアトルでの映画評はとても好意的で、米国のファンに受け入れられたことを嬉しく思っています。また最近ではカンヌで高く評価されましたし。だからアカデミー賞を競えなかったことを悔やむ気持ちはないのです。シーンが長すぎたとか、題材がどうだとか、理由が言えればいいんだろうけど見当がつかないから私に聞いてもわかりません。私の映画よりも良い作品があったということで、それは十分納得できます。

Q:日本でアクト・アップと同じような活動をする人たちへのメッセージをお願いします。

自分は正当であると、信じることです。またその活動や発言が、討論など経て正当性が保たれているならば、やりぬくべきです。例えそこに緊張が生まれたとしても、ここが一番言いたいことですが、たとえ仲間の間で緊張が生じたとしても、そして緊張は必ず小さなグループの間で生じます。それでも、お互いに尊重すべきです。なぜなら、あなた方以外の世の中は、あなた方同志で持っているほどの尊重の念はないからです。そしてそれが私はとても重要なことだと思います。

Q:それでは、これから映画をご覧になる日本の人たちに、映画を観るにあたって、何か注目すべきことやアドバイスがあれば教えてください。

とにかく私は、この映画で何か教訓めいたことを言いたいわけではありません。自分たちが素晴らしかったとか、自分たちを見直せとか言いたいのではない。映画を通じて人に希望を与えたかった。自分の人生に対して。つまり、どんなに苦しい境遇にいても、自分を変えられること。犠牲者として社会を傍観するのではなくて、自分の人生を主役として生きて欲しい。人生をどう演じるかは、役者次第です。自分の人生は、自分の自由に演じていいのです。何より人生に喜びを得るために。感情的に、または政治的に流されたままではいけない。私は、人生を自律して生きるべきだという考え方を強く信じています。だから映画を観る人たちに、自分がアクト・アップを通じて体験した、辛いながらも幸せをもたらしてくれた強烈な経験を感じてほしいです。この経験は私の人生を変えました。またそれによって人生を受け入れることができた。変わること、または問い直すことで、いわば新しい自分に変わっていく。そのためのフィクション(物語)はとても大事だと思います。

『BPM ビート・パー・ミニット』予告

画像: カンヌ国際映画祭グランプリ作『BPM ビート・パー・ミニット』予告 youtu.be

カンヌ国際映画祭グランプリ作『BPM ビート・パー・ミニット』予告

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90年代、パリ。愛と叫びを武器にショーンは世界を変えようとした。
生きたいと強く願い、社会と闘った若者たちの生命の鼓動は今も激しく鳴り響く。

第61回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『パリ20区、僕たちのクラス』の脚本・編集を担当し、監督作『イースタン・ボーイズ』では第70回ヴェネチア国際映画祭 オリゾンティ部門の最高賞を受賞したロバン・カンピヨ監督の長編第3作。

舞台は1990年代初めのパリ。エイズの治療はまだ発展途上で、誤った知識や偏見をもたれていた。「ACT UP Paris」のメンバーたちは、新薬の研究成果を出し渋る製薬会社への襲撃や高校の教室に侵入し、コンドームの使用を訴えたり、ゲイ・プライド・パレードへ参加するなどの活動を通し、エイズ患者やHIV感染者への差別や不当な扱いに対して抗議活動を行っていた。行動派のメンバーであるショーンは、HIV陰性だが活動に参加し始めたナタンと恋に落ちる。しかし、徐々にショーンはエイズの症状が顕在化し、次第にACT UPのリーダー・チボーやメンバーたちに対して批判的な態度を取り始めていく。そんなショーンをナタンは献身的に介護するが…。生と死、理想と現実の狭間で揺れ動きながらも、強く生きる若者たちの生き生きとした表情や行動、濃厚で鮮烈な彼らの人生に、観る者の鼓動は高鳴り、激しく心を揺さぶられる。

脚本・監督:ロバン・カンピヨ(『パリ20区、僕たちのクラス』脚本・編集)、『イースタン・ボーイズ』監督)
出演:ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート、アルノー・ヴァロワ、アデル・エネル
© Céline Nieszawer 
2017年/フランス/フランス語/カラー/シネマスコープ/5.1ch/143分  
映倫区分:R15+ 原題:120 battements par minute/英題:BPM (Beats Per Minute)

3/24(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、ユーロスペース他にて全国ロードショー

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