衝撃と陶酔、そして喪失感
1990年に製作された香港映画界の巨匠、ウォン・カーウァイ監督の第2作目である『欲望の翼』
筆者は、1996年6月、テレビ東京で特番「地球に墜ちてきた天使『天使の涙』をめぐる愛』を演出する際、監督デビュー作『いますぐ抱きしめたい』、監督第2作目の『欲望の翼』と続けて観たのが最初の作品鑑賞だった。
『いますぐ抱きしめたい』は、スタイリッシュな香港ノワール物でアンディ・ラウ、マギー・チャン、ジャッキー・チュンと3名のキャストは『欲望の翼』ともカブるものの、以降のカーウァイ作品特有の美学はさほど感じられない商業的な作品。監督第2作目の『欲望の翼』は、それまでの香港映画とは、異質の方向へ大きく舵を切っていて、数字を魔術的に使った独特な語り口とレスリー・チャンの天才的な演技に引き込まれる刹那的な陶酔感があった。
この映画を再び観るということは、今となってはもういないレスリー・チャンの喪失感をもろに味わうことになる。それは他の出演作でもそうであろうし、特にカーウァイ作品群の中では、『欲望の翼』に続き、『楽園の瑕』という武侠物はあったが、『欲望の翼』、『花様年華』、『2046』、これらが"60年代"3部作で繋がっていることを意識していても、やはりレスリーといえば、『ブエノスアイレス』を追想してしまう。今、『欲望の翼』を観るとそういうスイッチが入る。
『ブエノスアイレス』=『欲望の翼パート2』?説
撮影クリストファー・ドイルが『ブエノスアイレス』製作中の日々の日記をまとめた著作『ブエノスアイレス飛行記』にもこんな記述がある。
"車、色彩、孤立、汽車、同じキャスト、同じクルー、天候、耳慣れない言語・・・・・・ われわれはデ・ジャヴ(既視感)をおぼえはじめている。結局、われわれは無意識のうちに『欲望の翼パート2』の製作にとりかかっていたのかもしれない。〜 レスリーなどは、今日の撮影の準備をしている間、『欲望の翼』のテーマ曲を口ずさんでいる。〜〜 "
『ブエノスアイレス飛行記』より
『ブエノスアイレス』は、『欲望の翼』とのストーリーや設定、キャラクター上の繋がりはなく、続編などでは決してないのだが・・・・・・ 筆者も『欲望の翼』を見直した後、濃厚に思い起こしたのは、『ブエノスアイレス』だった。
『欲望の翼』が、少々、異形の映画となった理由の一つは、主人公の突然の死の直後、ラストに登場するトニー・レオン演じるギャンブラーの今はなき魔宮・九龍城砦にある頭がつくほどに天井の低い部屋での身支度シーンに度肝を抜かれるからだ。続編『欲望の翼2』があるのか? と誰もが予期したが、ついぞ製作されることはなかった。
1960年代・香港の意味するもの
舞台となる1960年代初頭は、中国本土での大文化革命や大躍進政策から香港へ逃れた多くの”逃港者”がいた。上海から移住してきた幼少時のウォン・カーウァイの目には、中国にとって唯一の西側世界との窓口であった香港が眩しいほどに輝き、刺激に満ちた都市に映ったに違いない。
よくある青春恋愛群像劇ではない。ただひたすら女たらしで自堕落で根無し草のような青年が自分の産みの母親を探して、香港からフィリピンへと旅して自滅する話。レスリー・チャンが強烈に演じる"脚のない鳥"である主人公ヨディは、香港という閉じた世界から無謀にも外の世界へと飛び立って行くことで自らの生を試す。
当初、ウォン・カーウァイはゲストスターとして、レスリー・チャンをキャストしていたが、ダンスも演技も上手なその芸達者ぶりに惚れ込み主役にしたのだという。
繋がれた60年代・3部作
そして、本作を改めて見直してみるとヨディにフラれた女、マギー・チャンが魅力的に演じるスー・リーチェンのことをヨディは、一番愛していたのではないだろうかと思えてくる。役柄の名前や一部の設定のみを継承した形式上の3部作と言われている『花様年華』(00)、『2046』(04)にもスー・リーチェンという人物は登場する。
女優 原節子が小津安二郎監督作の中で共通するのは名前のみという紀子を全く別物の3作品(『晩春』、『麦秋』、『東京物語』)に渡って演じた「紀子三部作」と演出的発想のヒントのようなものは似ていなくもない。
幼少時のウォン・カーウァイが60年代に出逢っていたのかもしれない魅力的な女性像の姿をマギー・チャンが演じていたのかもしれない、などと久しぶりに『欲望の翼』、『花様年華』と『2046』を鑑賞して、妄想した。
欲望をカタチ作る画
撮影はどうだろう? 三脚に頼らずカメラをハンドヘルドで撮り、大胆なコマ落とし撮影をダブル、トリプルに焼き増ししたカーウァイ作品でも有名な尺伸ばし効果は、本作ではまだ影を潜めていて、撮影は、意外にも手持ちよりも特機を使った固定された状態でのミニ・クレーンショットが多い。
上から捉えることで神の目線のような客観性を醸す俯瞰
人物の動きを象徴的に見せる地べたからのローアングル
そして、ツーショットを一画面に収めて、息遣いを感じさせるほどの距離感の対話をさせたりと本作で初めてカーウァイと組んだクリストファー・ドイルの苦労が実を結んだ撮影。既存のどの映画とも違う色彩設計をする上でのフィルター・ワークで相当な苦労をしたと聞く。
ウォン・カーウァイの全作品の美術・衣裳・編集を担当するウィリアム・チョンの仕事は、本作で、すでに冴え渡っている。カリーナ・ラウの衣裳の素敵さは、勿論のこと、マギー・チャン演じるスー・リーチェンのとても地味な服ですら、センスの良さを感じさせる。あの色彩感覚豊かなビジュアル設計と衣裳のセンス、そして撮り終わった映像を編集するという時間の掌握、もしもウィリアムがいなかったら、カーウァイ映画の特色はあれほどのインパクトとはならなかっただろう。
「一生飛び続け、風の中で眠り、"脚のない鳥"が地上に降り立つ時は死ぬ」ことを自分に擬え続けたレスリー演じるヨディは、フィリピンでの道中で非業の死を遂げ、そして、まるで、それを引き継ぐかのようにして、香港、九龍城砦の一室では、トニー・レオン演じるギャンブラーの身支度シーンで映画は幕を閉じる。このあたかもバトンを渡すかのような繋がりは、今、改めて見直すと意味のあることのように思えてならない。
レスリー・チャンというプロの中のプロタレントとクリストファー・ドイルという酔っ払いキャメラマン
1996年冬、筆者は中国のチェン・カイコー監督の映画『花の影』のテレビ特番制作のために北京へ飛び、チェン・カイコー監督と女優コン・リーへの単独取材の後、香港のスタジオにてミュージックビデオを撮影中のレスリー・チャンを訪ね、取材をしてきた。身のこなしが軽く、ダンスも歌も上手く、明確に自分の考えを発言し、サービス精神旺盛で天性の芸能人とは、こんな人のことを指すと感じた。後にも先にもこんな人物に出くわしたことはない。
そして、同じ頃、神戸映画祭に来ていた『花の影』の撮影クリストファー・ドイルへの取材時に筆者の監督作である1997年の中国本土への香港返還を題材にした作品『タイフーン・シェルター』の撮影依頼をした。まだ何も動き出していないにもかかわらず、その場で快諾を得た。でも、単なる口約束だ。いつも酔っ払いのようにしか見えず、なんだかノリのよい人であったし、そんな話知らないと言われる悪い予想もしていたので、インタビューの最後にそのオファーをして、証拠撮りの意味も込めて、そのまま業務用βカムのカメラで収録してしまった。結局、その映像証拠を出すようなことにはならず、万事、上手くことが運んだのであった。
当初は、テレビ東京で低予算のドキュメンタリー作品(ロウ・バジェットといっても当時のテレ東では、そんなやりたい放題のラグジュアリーができるような放送枠は存在しなかったし、自分で弾き出した試算額はそもそも実現不可能な予算だった。)として、天使と悪魔のような高校生くらいの双子の姉妹が市井の人々のリアルな実生活の中を出たり入ったりするという内容のものをクリスが16ミリフィルムで手持ち撮影で撮りまくることを構想していたが、企画が進むにつれ、フジテレビで、35ミリフィルム撮影で約4倍ほどの予算がついた映画のような作品として制作し、大量にビデオ撮影された市井の人々のドキュメンタリー部分は予定よりも非常に少なめの扱いでほとんどがドラマのメイキング解説として放送された。
地球の反対側での最も苦難な映画作り
『花の影』取材時にレスリー、クリスの二人からこの夏から暫くの間アルゼンチンへウォン・カーウァイの新作映画の撮影に出かけるという話を聞いていた。後に俳優レスリー・チャンが、最も好きな出演映画として挙げることとなる映画『ブエノスアイレス』だ。皆、"暫くの間"だけ閉じた世界の窓口である香港から飛び出したつもりが、クリスマスの直前までの数ヶ月間、地球の反対側にあるアルゼンチンで足止めを喰らうこととなる。
途中、自身のコンサートで、何度かブエノスアイレスを離れることとなるレスリーの空白を埋めるため、台湾から呼ばれたのは、どこか若い頃のレスリーの面影があるチャン・チェンだった。彼の途中参加により、ストーリーは大きく変容して行く。おそらくパスポートをトニー・レオン演じるファイから取り返したレスリー演じるウィンはその後は行方知れず、チャン・チェン演じるチャンは旅を続け、ファイは、イグアスの滝への旅の後、台北経由で香港へと無事帰還する。「何処にいてもいつでも会おうと思ったら会いに行ける」と吐露しながら閉じた世界の窓口の都市へと還る話となっている。
映画の中の映画、名作の誕生
1997年5月、筆者はテレビ番組取材で、第50回カンヌ国際映画祭へ来ていた。映画『ブエノスアイレス』は作品出品の締切ギリギリで完成し、公式上映の晩、カンヌのビーチで盛大なナイト・パーティが行われた。欧米のスターも来場していて、中国語も堪能でアジア文化に造詣が深いハーヴァード大卒の女優でその年の審査委員の一人でもあったミラ・ソルヴィノもいて、暫しの間、話した。カーウァイ作品の世界には心酔しているからパーティ会場を訪れたと言っていた。本作への期待度がヒシヒシと伝わってきた。予感は的中し、ウォン・カーウァイ監督は、栄えある監督賞を授与された。難産な映画作りだったので、きっと、この受賞は全ての労苦が洗い流された瞬間だったハズだ。この日から映画『ブエノスアイレス』は、映画の中の映画、世界の名作シネマの一本になることが決定づけられた。
50年間続く一国二制度が静かに始まった
1997年7月1日の香港返還の日の一ヵ月前、筆者と日本からの撮影ロケチームは、香港の九龍地区にアパートを借りて、英国から中国への返還を目前に控え、揺れる香港の様をドキュメンタリーとドラマの両サイドから描くフジテレビ特番『タイフーン・シェルター 香港返還の光と影』の制作を始めた。ドラマといってもたった5日間しか撮影の猶予はなかった。5日間の撮影期間で70分の作品になるものを撮るのは、なかなか至難の業であった。当然が如くに長回しを多用した。キャストは、浅野忠信、緒川たまき、カレン・モク、ジャクリーン・ロウ、『天使の涙』にも金城武演じるモウのお父さん役で登場する普段は、重慶マンションの管理人であるチャン・マンロイ、撮影はクリストファー・ドイルで35ミリ・フィルム撮影とした。撮影技術クルーは、ウォン・カーウァイといつも仕事するA、B班のうち、空いてるチームが駆けつけてくれた。彼らの仕事っぷりは驚くほど速かった。疾風のように現れて、撮影準備して、あっという間に片付けて、去って行く。
何かがもっと起きるのでは?と複雑な心持ちで部外者であったわれわれが目撃した香港返還は、あっけなく通り過ぎていった。あれから20年が経過し、雨傘革命が示す通り、世代交代による意識の変化が各年代層にあるのが現在なのだと感じている。返還の前年に生まれた子供らが雨傘革命を起こしているのだから。彼らは、両親や祖父母の影響下にあった訳で年々、住み辛くなってきたという思いを強くしてきているハズだ。返還以降のこの20年間に生を受けた子供たちが現在、どのように感じているのか? が気になるところ。
日本へやってきたミスター・ブエノスアイレス
1997年9月、トニー・レオンが東京へやってきた。テレビ東京特番「『ブエノスアイレス』 トニー・レオンに恋をした」の演出のために彼へのロング・インタビューをする。とても寡黙でレスリーとは、真逆の人柄。寡黙な分、ミステリアスではあったけど、真摯で好ましく感じた。その後、事前にロケハンしてコースを決めておいた南青山のとても狭い裏通りを愛機であるボレックス16ミリカメラにフジフィルムを装填して、1時間ほど撮影時間を頂いてトニーを撮影して歩く。敢えて指示はしなくても即興で自然とそこにあるものに反応しながら演じてくれた。つくづく、この人はウォン・カーウァイに鍛えられているのだなと痛感。散歩の後半、家屋の造成地のような背丈以上の高さの盛り土に向かって、聞き耳をたてるようなそぶりをしてくれた。イグアスの滝へ一緒に行くことは叶わなかったウィンからのメッセージでも聞くかのような気分だったのかもしれない。今となってみるとあの即興は、あれから約2年後、『花様年華』のアンコールワットでの穴に向かって、自分の秘密を囁くあの行為と聞くと囁くとで違いはあれど、どこか似ていると感じた。すべてはトニーの中で、時間を超えて、繋がっているのかもしれない。
ウォン・カーウァイとの雲をも掴むかのような一問一答
続いて、ウォン・カーウァイも『ブエノスアイレス』宣伝のために来日した。特番「『天使の涙』」制作時以来の単独取材をする。『天使の涙』の世界には、心底シビレたが、あの時は、まだ自分はカーウァイ流の映画作法を理解してはいなかった。だから、彼にビデオカメラを持ってもらい、当時、まだ芸能活動を始めていなかった美大生の伊勢谷友介をモデルに六本木でビデオ撮影によるスケッチをしてもらった。あの時から1年ちょっと、今回は単独インタビュー。ウォンは、例の如く、まっとうな言葉を選んで話し、結局、煙に巻かれるような答しか返ってこない。途中、「香港返還がテーマのドラマをクリスの撮影で撮りました」と伝えると表情が和らぎ、「そうか、君だったのか、どうだい?映画を作るというのは大変だっただろう?」と訊いてきた。「本当にそうでした」とだけ、自分は答えた。そこの一瞬だけ、心が通じ合ったように思えた。ウォンはとてもスマートな人で、インタビューでは本音を隠して、誰もが納得するような平板な答えしか返してこない。インタビューで本音をあぶり出すなどゲスの極み、番組を作る上では、真実は闇の中でよかったのだ。
60年代シリーズ・第2部作・第3部作の同時着手
その後、香港で『花様年華』、そして、同時期にその続編ともとれる『2046』の撮影が始まった。2000年に公開された『花様年華』は、トニー・レオンとマギー・チャンによる競演が素晴らしく、『ブエノスアイレス』でのファイがチャンのカセットレコーダーに悩みを吹き込んだように(実際は、涙声で聞こえなかったようだ。)トニー演じるチャウは、旅先のアンコールワットで穴に自分の秘密を隠しに行く。
影を落とすレスリーの不在
2003年4月1日、レスリー・チャンがセントラルにある老舗ホテル、マンダリン・オリエンタル香港から飛び降り自殺をして他界した。あまりにも突然すぎるお別れ・・・・・・
レスリーの現実世界からの不在により、ウォン・カーウァイが作り出す映画世界にも変化が始まることとなる。もうこの世にはいない人であるのにこれから作る映画に影響するとは何故なのだろう?
それは、ウォン・カーウァイという人が縁も所縁もある、傑作映画を作り上げるという目標のもと、楽しい時、苦しい時を力を合わせて、一緒に過ごした大事な人への自分なりのスジを通す人だったからなのではと思った。ただ、そのためには、周囲の人々が被ることなど知ったことではなく、徹底的にやり抜く。レスリーへの精一杯の弔いともとれた。
2046という数字の羅列に背負わせたこと
完成までに5年を要した映画『2046』のタイトルの数字は、映画の中で語られ始める小説と同名タイトルであると同時に前作『花様年華』でトニー・レオン演じるチャウが借りていたホテルの部屋番号の数字と符合する。その部屋で執筆活動をし、マギー・チャン演じるスー・リーチェンと愛おしい時を過ごした。本作でもチャウは、同じホテルへと舞い戻るが、同部屋が空いておらず、仕方なく、隣の2047号室で暮らすこととなり、隣室2046号室には、フェイ・ウォン演じる同ホテルオーナーの娘、ワン・ジンウェンやチャン・ツィイー演じる娼婦バイ・リンといった登場人物たちの姿を見かけるようになり、ストーリーは動きはじめる。
残り時間は、あと28年・・・・・・
トニー・レオン演じる小説家チャウが描くSF小説「2046」の中では、2046は、"何も変わらない場所、だから、失われた愛を取り戻せるところ"とされている。そして、1997年の香港返還から50年間は、一国二制度(社会主義国家が資本主義の自治権を与える特別行政区)の元、現在の状態が維持される香港が定義上、終わる年が2046年である。
すべての自由が取りあげられるのか、はたまた何も変わることはないのか・・・・・・ それは行き着いた者にしか分からない。あとこれはもう映画とは関係のないことなのかもしれないが、レスリー・チャンは、享年46歳であった。一国二制度とは、50年間、何も変わらないということだとされるが、50年という時の経過は、様々なことが起こりうる。レスリーは、50年という時の波を乗り越えて行くことは叶わなかった。
映画『2046』に込めた弔いの気持ち
レスリーの死後、ウォン・カーウァイは、『2046』の内容をより『欲望の翼』とレスリー・チャンへのオマージュ的要素をちりばめることにした。
そもそも『欲望の翼』でマギー・チャンが演じたスー・リーチェンが愛したのはレスリー演じたヨディであった。『2046』でのチャウは、『花様年華』のチャウとは、別人格であるかのように女遊びを繰り返す、チャウをレスリー(ヨディ)に置き換えるとすんなりと収まりがよい。まるでトニーが盟友レスリーのために、彼の身代わりを演じているかのようだ。そう解釈することでチャウは、『欲望の翼』のスー・リーチェンへの恋慕の記憶へと遙かに遡って繋がって行けるのではないのだろうか・・・・・・。
男は過ぎ去った年月を思い起こす
埃で汚れたガラス越しに見るかのように
過去は見るだけで触れることはできない
見えるものはすべて幻のようにぼんやりと…
映画『花様年華』からの一節
過去の記憶というものは、移ろいやすいものだ、折角、映像に携わることをしてきたのだから、大事な人たちとの大切な記憶は、今1度、精査して、作り直してみたい・・・・・・ それがレスリーへの弔いにもなるのかもしれない・・・・・・ ウォン・カーウァイがそんな強い思いに囚われたとしてもおかしくはない。大作『2046』への若干のモディファイと更にその数年後の2008年、再編集をした武侠映画『楽園の瑕 終局版』を公開することとなる。
14年後のキズへのブラッシュ・アップ
1994年、レスリー・チャンは、出演作である武侠物にもかかわらずアクションシーンは少なめで、ストーリーは難解な映画『楽園の瑕(キズ)』のプレミア上映の際、記者からの質問にこう答えたという。「監督が何を撮りたかったのかわかった? ぼくにはわからなかった」おそらくウォン・カーウァイは、そのひと言をずっと胸の奥に留めて忘れなかったのだろう。14年後に再び再編集版を作ることとなった。
永遠に愛され続ける
2007年12月、東京・日比谷公園のとある一角にひっそりとレスリー・チャンの思い出ベンチが120名のファンのみなさんの気持ちで設置された。そこにはこう記されている。
私達を魅了し続ける 愛すべき張國榮の音楽と映画、人生のすべてに感謝をこめて
Leslie Cheung Fans 有志120人
さまよう人々の心情を知る
香港を遠く離れ、アルゼンチンでの苦難を極めた製作の日々が続いた『ブエノスアイレス』撮影中のウォン・カーウァイは、当時、こう語っている。
「映画は人生から生まれる、
だが、人生のすべてではない、
以前よりもうまく2つを分けられるようになってきた」
ドキュメンタリー映画『ブエノスアイレス摂氏零度』より
やはり観たい! あの映画の完全版
上映時間96分間の映画『ブエノスアイレス』は、最初の編集上がりが3時間尺だったと聞く。香港へ帰ってしまったレスリーの穴埋めに台湾から呼ばれたチャン・チェン、シャーリー・クワン、他キャストの別プロットのシーンを追加し、クリスが撮影をしくじったとされているトニー演じるファイの自殺未遂シークエンスに関わる場面など、大幅にカットされたシーンが入ったバージョンで観てみたいという欲求が本文を書いていて、わき上がってきた。
南回帰線を越えた彼方の地でのウィンとファイのさまよえる日々のエクストラ・ロングバージョン。いつの日にか、そんな『ブエノスアイレス 終局版』”Happy Together After All” (仮題)を観ることができる日が訪れることを仄かに期待して・・・・・・。
13年ぶりに蘇る!『欲望の翼 デジタルリマスター版』が公開!!!
レスリー・チャン、トニー・レオン、マギー・チャン、そして、ウォン・カーウァイにとって、忘れることのできない共謀の出発点、エンドでかかる主題曲『是這様的』の哀愁に満ちた詩が涙を誘う。あなたの胸に去来するものは・・・・・・
時は正直で
嘘をつかない
惑わすのは この心
もう輝きも失せた
別れる時
涙をひと粒落とす
その後でまた会えるのか
もうそれっきり 背を向けてしまうのか
『欲望の翼』主題曲『是這様的』
STORY
「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない。君とは“1分の友達”だ。」ヨディ(レスリー・チャン)はサッカー場の売り子スー(マギー・チャン)にそう話しかける。
ふたりは恋仲となるも、ある日ヨディはスーのもとを去る。ヨディは実の母親を知らず、そのことが彼の心に影を落としていた。ナイトクラブのダンサー、ミミ(カリーナ・ラウ)と一夜を過ごすヨディ。部屋を出たミミはヨディの親友サブ(ジャッキー・チュン)と出くわし、サブはひと目で彼女に恋をする。スーはヨディのことが忘れられず夜ごと彼の部屋へと足を向け、夜間巡回中の警官タイド(アンディ・ラウ)はそんな彼女に想いを寄せる。60年代の香港を舞台に、ヨディを中心に交錯する若者たちのそれぞれの運命と恋──やがて彼らの醒めない夢は、目にもとまらぬスピードで加速する。
監督・脚本:ウォン・カーウァイ
製作:ローヴァー・タン 製作総指揮:アラン・タン 撮影:クリストファー・ドイル
美術:ウィリアム・チャン
1990年/香港/95分/カラー/モノラル
字幕翻訳:寺尾次郎 原題:阿飛正傳/DAYS OF BEING WILD
配給:ハーク
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