小野耕世のPLAY TIME
黒澤明「デルス・ウザーラ」の70ミリ版を見る
10月7日の土曜日、国立近代美術館フィルムセンターで、黒澤明監督の映画「デルス・ウザーラ」の70ミリ版が上映された。
私は、朝11時の上映を見ようと、10時20分ごろフィルムセンターに着いたのだが、すでに遅かった。行列の人数が劇場の定員を超えていたので、しかたなしに私は、午後4時の2回目の整理券をもらって、一度家に帰った。そして4時の上映のため改めてフィルムセンターに出かけたのだから、久々にこの映画を見るのが、一日仕事になってしまったことになる。
だが、結局それでよかったのだ。4時の上映には、この映画の撮影時に、黒澤監督とともにソヴィエト(ロシア)に同行したスクリプターの野上照代さんも来られていたので、上映後にあいさつをすることができた。
しかし、なにより驚いたのは、この映画のなかでゴルド人のデルス・ウザーラを演じたマクシム・ムンズク(故人)のお孫さんがこの上映に招かれてきていると上映前にアナウンスされたことである。
上映後、私は彼に話しかけた。ムンズク・アルティッシュという名のその若い男性は、やはり若い夫人といっしょだった。彼らはいま東京近郊に住み、日本で仕事をしており、日本語を話して書く。
「私はきみのおじいさんのマクシム・ムンズクさんにお会いしているんですよ。コザック兵の探検隊長を演じたもうひとりの主演者、ユーリ・サローミンさんといっしょに1975年にこの映画の宣伝のため来日したとき、インタビューしたんですよ。それは映画雑誌の『キネマ旬報』に載ったはずです。そうだ、その雑誌に載ったインタビュー記事をコピーして、後で送ってあげるよ」私はそう言って、彼の連絡先を教えてもらった。
いろいろな人たちが、この70ミリ板を見に来られていた。昨年、松竹で、戦時中の長編アニメ「桃太郎 海の神兵」(1945)の完全修復版の公開を担当されていた山本一郎氏もおいでだった(「海の神兵」修復版が渋谷の映画館で上映されたむとき、私は上映前に解説のトークをした縁で、山本氏と知り合ったのである)。
「デルス・ウザーラ」の主演ふたりに私はインタビューしたんですよーと山本さんに話すと「そうだったんですか。私もそれを読んでみたいです。当時の『キネマ旬報』を探して、その記事を二部コピーして(私とムンズク氏のお孫さん用に)送りますよ」と言ってくださる。なるほど、松竹には資料図書室があるから、『キネマ旬報』の古い号も所蔵しているはずだった。
やがて、山本さんから封書が届いた。「1975年の『キネ旬』を調べたところ、この記事がありました。ご指摘があった記事とは違うかもしれませんが、ご査証ください」とあり、私が『キネマ旬報』の1975年8月上旬号に書いた「デルス・ウザーラ」の映画評が載っている。そうか、私は主演のふたりにインタビューする前に、その映画評を書いていたのだった。
それを以下に紹介しておきたい。映画評なのに、マンガ家の上村一夫氏の話から始まるのは、いかにも私らしいではないか。
""劇画家の上村一夫が、先日、近ごろのアシスタントは花を知らないんですよ、と私に言ったことがある。
彼の作品(マンガ)では、さまざまな花が重要な役割を果たしているが、アシスタントのひとりに、コスモスを描かせたら、葉の形が違っていたという。私にとってコスモスは、子どものときから身近にある花だが(秋になると家の庭一面にコスモスが咲き乱れていたので)、この劇画家のところには、そんな花まで、アシスタントが植物図鑑と首っ引きで描くのだときいて、不幸だと思った。同時にそんなことに今さら驚いていては、どうしようもないのだろうなとも思った。
黒澤明監督が、五年ぶりに撮りあげた映画「デルス・ウザーラ」は、自然(と人間)についての物語である。私の手もとには、昭和28(1953)年に出たこの映画の原作の訳書がある。小学生の頃、「南極のスコツト」という映画を見て強い印象を受けた私は、中野好夫が書いたスコットのはなしをはじめ、多くの探検記を読むようになった。本格的なシリーズは、当時、河出書房から出た<世界探検紀行全集>で、スコットの悲劇を描いたチェリー・ガラードの名著「世界最悪の旅」に続く第二回配本が、このアルセーニエフの「ウスリー紀行」(デルス・ウザーラ)だったのである。
その本は、原書のさし絵が多く含まれていて楽しく、少年の私は、20世紀のはじめの沿海州の森林を住みかとするゴリド人の猟師、デルス・ウザーラの言動に、すっかり魅せられていた。
そんななつかしさもあって、この映画のためにソヴィエト(ロシア)に発つようになる以前の黒澤明監督を、オーストラリアから来日した女性ジャーナリストの通訳として赤坂プリンスホテルに訪ねたことがある。「これは私が30年間あたためていた題材なのです」熱っぽく語られたときも、まさか、あの紀行文が、日本人の、それも黒澤明の手により映画化されることになるとは夢にも思っていなかっただけに、不思議な感動を味わったものだ。
映画は、初めのほうで、ウスリー地方の秋の大森林の遠景、それぞれ色あいの違う雄大な三カット続けて見せながら、そのなかを進むコザック兵の調査探検隊の七名を映していく。私はここで、原作に記された自然を目のあたりにするのだが、隊長のアルセーニエフ(ユーリー・サローミン)以下が焚火を囲んでいる夜、水の音がしてなにかが近づいてくる。銃を向けて身構えると「射つな、わし、人だ」という声とともに、闇のなかからやってきて、火のまえにすわるのが、ずんぐりした体格の白いヒゲの猟師デルス(マクシム・ムンズク)である。以下映画は、隊長(カピタン)の目に映ったこのやさしく知的な目をしたデルスを、その死まで(原作のとおりに)描いていく・・・」""
こんなふうに、私の映画評は記されていくのだが、そもそも、この映画評を書いたことを、「デルス・ウザーラ」の70ミリ版を見た私はすっかり忘れているのだった。この映画評の残りの部分は、次回に続けることにするが、それにかかわって、いったい記憶とはなにかと、私は自分に問うことになるのだった。(続く)
デルス・ウザーラ映像
https://youtu.be/k1j_OMGG1RA
小野耕世
映画評論で活躍すると同時に、漫画研究もオーソリティ。
特に海外コミック研究では、ヒーロー物の「アメコミ」から、ロバート・クラムのようなアンダーグラウンド・コミックス、アート・スピーゲルマンのようなグラフィック・ノベル、ヨーロッパのアート系コミックス、他にアジア諸国のマンガまで、幅広くカバー。また、アニメーションについても研究。
長年の海外コミックの日本への翻訳出版、紹介と評論活動が認められ、第10回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。
一方で、日本SFの創世期からSF小説の創作活動も行っており、1961年の第1回空想科学小説コンテスト奨励賞。SF同人誌「宇宙塵」にも参加。SF小説集である『銀河連邦のクリスマス』も刊行している。日本SF作家クラブ会員だったが、2013年、他のベテランSF作家らとともに名誉会員に。