ジョセフ・フォン・スタンバーグの名は、なによりもマレーネ・ディートリッヒを見いだし、グレタ・ガルボと並ぶハリウッド最大のスターに押し上げ、しかもディートリッヒとともにスタンバーグの人生でも最良の映画を作り上げた監督として思い浮かぶだろう。
もちろん、それ以前にも『暗黒街』(27)といった、のちの“プレ・コード・ハリウッド”期に流行るギャング映画の先駆けとなる傑作映画も撮っているし、『紐育の波止場』(28)のような下層に属する男女の愛情を素晴らしいカメラワークで撮った傑作もある。
しかし、スタンバーグの名を世界中に知らしめたのはドイツに渡って、キャバレーに出演していたディートリッヒを“発見”し、『嘆きの天使』(30)を作ったことによってだろう。映画的には素晴らしい傑作だが、ベルリンで撮られたこの映画ではまだディートリッヒは洗練されていない。
ハリウッドに渡って、さまざまな美容術を施され(整形ではない)、洗練の極みに達するのは『モロッコ』(30)『間諜X27』(31)『上海特急』(32)の三作品だ。
マレーネ・ディートリッヒを“発見”したスタンバーグ
個人的な話で恐縮だが、筆者が古い映画にハマったのは、高校2年の1972年に(当時の)東京12チャンネルの「お昼のロードショー」で『モロッコ』を観たことに始まる。ディートリッヒやガルボの名など、まったく世の中からは忘れ去られていた時代のことだ。学校を休んで観たのだが、母がディートリッヒとガルボの日本公開作品は、ほとんど観ていてスクラップブックを作っていたくらいだから、学校よりもTVの『モロッコ』を観ることのほうが重要だと考えていたフシがある。
脱線したが、上記三作品は、スタンバーグ/ディートリッヒ・コンビの最高作であり、デカダンスと耽美、信じがたいほどの映像美と愛(おそらくは映画のなかの物語としての愛以上にスタンバーグのディートリッヒへの愛、というべきものだ)に満ちた作品は、ついにその後、スタンバーグは作れなかった。
今回紹介するBOXセットの作品はこの三作品以降のものを収めたもので、特筆すべきは、日本では公開もソフト化もされなかった『上海ジェスチャー』が入っていることである。
子どもを持ったディートリッヒ、『ブロンド・ヴィーナス』
年代順に紹介していくと『ブロンド・ヴィナス』(32)は、まだふたりのコンビネーションがうまくいっていた時代の作品である。
湖水で沐浴する女性たちのなかにいたディートリッヒを見初めて結婚するアメリカ人留学生。その彼が放射線研究によって得た病の治療をドイツで受けることになるが、一介の研究者には高額な治療費が捻出できない。彼を愛し、治療費を捻出するために、すでに一子をもうけた母であり主婦でありながらも、夫の反対を押し切ってドイツ時代に覚えのあるレヴューの世界に戻るディートリッヒ。
まず、冒頭の6人の女たちが裸で沐浴のシーンはかなりエロティックで危うい。これはハリウッドの倫理コード、通称「ヘイズ・コード」が厳密に適用されずにセクシュアルな映像やギャングのヒロイズムを謳った映画が横溢した1930年から34年の、ちょうど中間期に作られたからだ。1935年以降だったら、このシーンは脚本段階からカットされていたはずである。
この映画を象徴するシーンとしてよく紹介されてきたのは、ナイトクラブのレヴューでディートリッヒが踊り子とともにゴリラの着ぐるみで登場するシーン。なかなかゴリラらしくよくできている。観客が黒人のバーテンダーに「あれはホンモノ?」と訊くくらいに。バーテンダーは「だったら私はここにいません」と答えるのはご愛敬。
そのゴリラが着ぐるみの腕を脱ぎ、アタマの被りものを取る。じつにあでやかで美しいディートリッヒの顔が現れる。胴体を脱げば、もうきらびやかな衣裳の目にもあやなショーガールの登場となる。
とはいえ、このシーンだけが突出しているわけではない。じつに全編、スタンバーグのディートリッヒの美への崇敬が映像化された映画で、おそらくこの作品が、先に三大傑作と記した映画ほどではない、というのはスタンバーグ固有の文体であった「デカダンス」がゴリラのストリップくらいで、他になかったからだろう。「演出」だの「雰囲気」としてのデカダンスではない。すでにスタンバーグの身体に深く根ざしたデカダンスなのだ。それもディートリッヒを知って以降に溺れてしまった......ただし、それはこの作品がディートリッヒを子持ちの主婦と設定してしまったことで、どうにもならなかったものでもあろう。
ディートリッヒは、このナイトクラブで金持ちのケーリー・グラントと知り合い、治療費を援助してもらう。それによって夫はドイツで治療を受け、無事に帰ってくるのだが、ディートリッヒとグラントとの関係を疑い、家から追い出してしまう。一人息子を連れて、地方都市を彷徨うディートリッヒ。子どもの親権を取り戻したく警察に彼女の逮捕を願い出る夫。
ディートリッヒが放浪の末、最下層にまみれるところが映画の多くを占める。ただし、これはスタンバーグのいつもの流儀で、『モロッコ』でも流浪の歌姫ゆえの虚無、『間諜X27』での安手の売春婦風情、『上海急行』での農家の小娘に扮した役柄、と高級な美女がスタイリッシュに現れるところと、その逆の姿を一本の映画のなかに押し込むことによって、いかなる姿であってもディートリッヒの美は変わらない、そのことによって余計に彼女の“神話性”を高めるという手法だ。
『ブロンド・ヴィナス』でのディートリッヒは、その口元のちょっとシニカルでニヒリスティックに笑う顔を見れば、どのような環境にあっても彼女の自立した強さを、観客は感じないわけにはいかない。この天性の表情こそディートリッヒの神話の本質なのだ。バーバラ・スタンウィックがどれほど優れて、どんな役をこなせたとしても(実際、彼女は素晴らしい!)、この天性のニヒリズムは彼女にはなかった。
結局、尾行する官憲を手玉にとりながらも子どもを夫のもとに帰すディートリッヒ。もうその頃の彼女はストッキングも伝線だらけで憐れな娼婦のようだ。でも気位の高さを失わない毅然たる表情はディートリッヒならではのものだろう。
やがてパリに渡りレヴューに再デビュー。そこでケーリー・グラントと再会し、彼と一緒にアメリカに戻る。ラストは逃亡生活とはうって変わってトラヴィス・バントンによるデザインのゴージャスなドレスでグラントとともに夫のもとに現れ、子どもと再会する。グラントの粋な計らいが、彼女を悲惨な境遇から救いだすという脚本も悪くない。
惜しむらくは、逃亡生活の描写が長すぎて、ゴージャスなディートリッヒの姿が少ないことだ。しかも美しさでいえばディートリッヒの年齢からすると、ほんとうに最後の煌きの瞬間に。
これは観客動員にも影響したことだろう。後述する『恋のページェント』での、薄衣の影が彼女の顔を漂う魔術のような美学的な映像もない。熱心なディートリッヒ・ファンが観れば、彼女のさまざまな表情の天才ぶりを発見できるが、そこまでのファンは少なかろう。
18世紀後半の帝政ロシアを舞台にした奇っ怪極まる様式美『恋のページェント』
2年後に製作された『恋のページェント』(34)は、もうスタンバーグは狂っている! としか言いようのない映画となった。18世紀後半、ドイツ系の血を引くピョートル3世に嫁いだ、やはりドイツ系でのちにエカチェリーナ2世となるゾフィーをディートリッヒが演じた史劇。
ピョートルがプロイセンに心酔していた歴史的事実を知らないと意味不明の部分もあるが、そもそもそこはハリウッド製史劇。
狂っていると書いたのは、ロシア宮廷の美術・セットの異様さである。椅子から燭台から、あらゆるところに異形のグロテスクな巨大な人型彫刻が置かれていて、その造型そのものが、西欧から見た陰鬱で野蛮な東方のスラブ民族というイメージの表徴かのように思えてくる。あるいは農奴制に苦しむロシアの農奴たちを彫像にして並べたかのようでもある。
階段の手すりの柱一本一本がこの人型彫刻で、しかも、すべて違う造型。そのひとつひとつの手に蝋燭が付いて階段を照らしている。しかも蝋燭の長短まで、スタンバーグは緻密に計算しているのだ。
ドアの大きさ、あるいはそこに彫られたレリーフも異様で、すでに巨人の国のものかのようだ。宮仕えの貴族子女が何人もで、このドアを開けるシーンが何度か出てくるが、滑稽ですらある。
ゾフィーを迎えての食卓のシーンがまた凄い。いきなり骸骨!が置かれた大テーブルを斜めから俯瞰して、なんの料理かもわからないグロテスクな雰囲気の料理が粗雑な食器類にゴミのように盛られているところをモノクロの暗いトーンでカメラは舐めてゆく。これらは食べ物なのか? すべてがもうこれは異貌のバロキズムというしかない。もちろんディートリッヒが口にするシーンはない。
かつて植草甚一は、『恋のページェント』の人型彫刻群を「あれはサド的なものを感じさせた。どうしてああいう退廃的なものをつくりたくなったのか、要するに、スタンバーグ自身がかなり変な状態になっていたんじゃないか」と書いている。退廃という点でいえば、スタンバーグ作品の中でも頂点を極めた作品であろう。
ディートリッヒをいかに美しく撮るかは、完璧である。結婚式の日、白のヴェールを被ったディートリッヒが手に持つ蝋燭の火が消えそうになり、また輝かせ、また消えそうになる脆い炎の向こうで大写しになる彼女の顔。ピョートル3世ではなく、別の恋する男を見つめる目。手前の蝋燭。この映像を撮るためにどれだけの労力が払われたことか!
藁小屋で、恋する男に誘惑されそうになるとき、ディートリッヒは藁を銜える。キスをさせないためだ。男がそれを取る。彼女はまた銜える。何度となく繰り返されるこの仕草そのものが、すでに魔術的な演出にさえ見えてくる。
恋する男は女帝エリザヴェータの愛人でもあったことを知った彼女は、衛兵と一夜限りの情交を交わし懐妊する。黒い格子のヴェール付きのベッドでディートリッヒは、女帝からのプレゼントだというペンダントを手で揺らせながらそれを虚ろな表情で見ている。しかし、カメラのピントは格子のヴェールに合わせたまま、ディートリッヒに合わせることなく、彼女の表情もペンダントもぼんやりとした陰影で、その「虚ろさ」を想像するしかない。
そのシーンは終盤、自分を裏切った男に復讐するために誘惑するときの、更紗の向こう側でその薄衣をもてあそぶディートリッヒへと変奏されて、虚ろさから蠱惑的に変わった美しい顔が描かれてゆく。
スタンバーグはこの映画の重要なシーンで、ディートリッヒを三度、ヴェールの向こう側に置いて撮った。それは耽美的な美しさと神秘性を高め、さらに退廃的な雰囲気をも醸し出した。30数年前にこれを初めて観たときには、そのことにひたすら嘆息したものだ。
現実の話をここに持ち込むのは野暮を承知の上でだが、『恋のページェント』を撮ったとき、すでにディートリッヒは33歳。『ブロンド・ヴィナス』の撮影から2年だが、あごのラインが甘くなり、以前のシャープさを持った美しさからは変化が出始めていた。スタンバーグがそれを意識したかどうかはわからないが、少なくとも『ブロンド・ヴィナス』までは『モロッコ』以来のシャープさが保たれていたが、変化は出始めていた。
ヴェールを多用したことは、結果的にディートリッヒの神秘的な美しさを保つのに貢献したし、このあとに撮った『西班牙狂想曲』(35)が興行的にも振るわず、スタンバーグとのコンビが解消されたことを考えると、『恋のページェント』は、スタンバーグ/ディートリッヒの最後の美学的傑作ではあった。
結局、ゾフィーはクーデターを起こしてピョートルを追い落として、エカチェリーナ2世として女王になる。ただし、このあたり、すでに物語の体をなしていない。騎馬隊の先頭に立って馬で駆けるディートリッヒの華麗な姿だけでクーデターが描かれるという、「美学」だけのクーデター・シーンとなる。
かつてケン・ラッセルの『ボーイフレンド』(72)を評して「美学的傑作、映画的駄作」と書いたことがあるが、『恋のページェント』もまさにそれに当てはまる。まっとうな「物語」を必要とする観客にとっては、多くの不満が残るだろう。だが、スタンバーグはベルイマンではないのだ。
スタンバーグの異国趣味が極まった『上海ジェスチャー』
本BOXセットが最も魅力的なのは、既述したように日本では劇場未公開、ソフト化されることもなかった『上海ジェスチャー』(41)が、初めてソフト化されたということだろう。
ディートリッヒを失って低迷したといわれるスタンバーグだが、その低迷はまさにディートリッヒとの最後の協働作品『西班牙狂奏曲』(34)から始まっていた。すでにこのコンビでできることはやり尽くされていた。
その後、2作品ほど製作したあとに(アンクレジットや未完成作品がいくつかある)、いかにもスタンバーグらしい退廃美や異国趣味を横溢させて作ったのが、この『上海ジェスチャー』である。
舞台は第二次世界大戦直前の「魔都」上海。そこにひとりの蓮っ葉女が流れ着く。均整のとれたスタイルのフィリス・ルイーズが、スタンバーグの魔法のようなカメラにかかると素晴らしく美しく見える。ところが彼女は主人公ではない。
彼女が謎の中国人とイスラム教徒(ビクター・マチュア)に連れられていったのは、豪華絢爛たるカジノである。その俯瞰映像が素晴らしい。当時にしては高額の100万ドルの予算をかけただけのことはある見事なセット。そこに中国風(?)の女が現れる。俯瞰映像でアップではないのに、この女がしんなりと歩いて階段と降りて円形構造のカジノの中央まで歩いて行くシーンは、全盛期のスタンバーグそのものである。間違いなく彼女がこの映画のスターなのだ。こんな遠景の映像であっても! という見事なシーンである。
“マザー” ジン・スリングと呼ばれるカジノの女経営者。満州生まれという設定で、メイクは眉を全部剃って、上のほうに細く弧を描き、目頭はメイクでモンゴロイド特有の「蒙古ひだ」までつくっているが、まぎれもなく白人、演ずるのはオナ・マンソン。日本での公開作品は少ないが、30年代から50年代まで、そこそこの数の映画に出ている女優である。
しかし、他の映画でのマンソンとはまったく顔つきが違う。それは中国人女性を演じたからというよりも、スタンバーグが、ディートリッヒの幻影を追ったからだといえるだろう。
尊大な身振り、強気さ、ルージュのひき方、頬の影のつけかた、すべてがディートリッヒを思い起こさせる。しかも『恋のページェント』で見せたバロック趣味を女性の姿に反映させたかのように“マザー” ジン・スリングは、異貌である。髪型はいくつもの束がメデューサのように宙に突きだしている。ただし、それはもうディートリッヒが絶対に演じることのない異貌さで、スタンバーグのイメージのなかで巨大化していたディートリッヒのデカダンス・イメージにほかならない。
それでもスタンバーグはマンソンに異貌のディートリッヒを求めた。ないのはディートリッヒがときどき浮かべるシニカルなあるいはニヒリスティックな笑みくらいだろう。
主演でありながら、主役にならなかったジーン・ティアニー
この映画は当時、品の良い美貌で売れっ子となったジーン・ティアニー主演となっている。ティアニーが最初に登場したときの彼女のアップの表情の魅力は、さすがにスタンバーグの映像である。
スタンバーグほど、女性を美しく撮った監督はいない。ウッディ・アレンほど、女優をブスに撮る監督はいないように。ただし、カジノで負け、身を堕としてゆくたびに彼女の魅力は失せていく。最後はアヘン中毒者にまでしてしまうのだから、やはりスタンバーグは尋常ではない。
冒頭に出たフィリス・ルイーズは、飾り物のような役で終始してしまう。ようするに主演は、まごうかたなくオナ・マンソン演じる中年の満州人女性なのである。
カジノを買収しようとする大企業主と“マザー” ジン・スリングの因縁。二人はじつは以前、愛人関係にあった。ティアニーと“マザー”には知られざる深い関係があった……。物語は円団に向けて意外な方向で終わるが、明らかに失敗作である。
カジノ買収を画策するウォルター・ヒューストンを招いての夜会のシーンなど、最もストーリー的に重要なところで、緊迫感もなければスピード感もない。かつてのスタンバーグは、こういうことを良かれ悪しかれ退屈させずに処理していた。それがうまくいかなかった。
とはいえ、ここにはスタンバーグ流の異国趣味が満ちあふれ、街頭のセットから臨場感溢れる上海の祭り、あるいは夜会の窓を開けると外では半裸の女たちが何人も籠に入れられ、吊り下げられて人身売買されている光景等々。
もうスタンバーグでなければできない、あるいは思いつかない映像に満ち溢れている。スタンバーグにとって異国とは、ベルリンのように一種の郷愁の場でありながら、つねにグロテスクな異貌をもつ異境のことでもあった。
映画史にはどんな傑作よりも重要な失敗作というものがある。『上海ジェスチャー』は、まさにそんな作品である。そしてスタンバーグ好きであれば、絶対に観ておくべき作品でもある。
追記しておくと後年、病気に悩まされていたオナ・マンソンは、1955年、バルビツールを過剰摂取して、まだ51歳の若さで自殺してしまった。三度の結婚をしているが、それは彼女がバイセクシュアルであることを隠すための偽装結婚だったといわれている。
ディートリッヒ特有の腰に手をやるポーズはスタンバーグが創作したものだった!
これはいままで何度か書いてきたことだが、他の映画批評家が誰も書いてない様子なので、再度書いておきたい。スタンバーグは、ディートリッヒを造型するにあたって、腰に手を置き、尊大に見せるポーズを考え出した。4本の指を前に、親指を後ろに置くのは、ふつうのポーズである。ディートリッヒを一番尊大に見せたいときには、親指を前に腰に手を置くポーズを取らせた。
このポーズが最も頻出したのは『間諜X27』と『上海特急』である。意志の強い女、男勝りの女、そして表面的な冷淡さも感じさせる女(中身はそうでないとスタンバーグは描いたが、そこにはスタンバーグの願望も入っていただろう)。スタンバーグはディートリッヒの美の奴隷だったから、このポーズをひたすら好んだ。彼女に傅(かしず)くために。
上に掲載した『ブロンド・ヴィーナス』でケーリー・グラントの前でポーズを取るディートリッヒの舞台写真と黒のドレスの写真をもう一度、見て欲しい。親指を前にした、これがまさにスタンバーグがディートリッヒのために創出したポーズだ。
『上海ジェスチャー』でも、3人の女優の誰もがこのポーズを取る。もちろん一番多いのは“マザー” ジン・スリング。映画史的に観れば多くの女優がこのポーズを取ってきた。ただし、一本の映画で、幾度となくこのポーズを取らせたのはディートリッヒとコンビ時代のスタンバーグである。
そして尊大なディートリッヒは、他の男と浮き名を流すことはあっても、ついに最後までスタンバーグを相手にはしなかった。スタンバーグは『アナタハン』(53)のような30年代の作品とはまったく趣きの違う作品を作ってディートリッヒの幻影から逃れるしかなかったのだと思う。
追記:映画デーベース・サイトのレビューにすでに似たような批評コメントがあるが、「スティン・グレー」のIDで書いているのは、筆者なのでご了承いただきたい。
監督: ジョセフ・フォン・スタンバーグ
形式: Black & White
言語: 英語
字幕: 日本語
リージョンコード: リージョン2
ディスク枚数: 3
販売元: ブロードウェイ (BDWDP)
発売日 2011/12/02
時間: 281 分
長澤 均(ながさわ・ひとし)
1956年生まれ。グラフィック・デザイナー/ファッション史家。1981年に伝説のインディペンデント雑誌『papier colle』(特集=ナチズム)を創刊。林海象監督の1987年の『夢見るように眠りたい』ではコスチューム・ディレクション(アンクレジット)を担当した。CASIOのデータバンク・シリーズなどのコンセプト、ネーミングから川崎市市民ミュージアムでの「BAUHAUS」展のデザイン一式など、デザインの範囲も広い。著書に『流行服─洒落者たちの栄光と没落の700年』(ワールドフォトプレス)、『昭和30年代 モダン観光旅行─絵はがきにみる風景・交通・スピードの文化』(講談社)、『BIBA Swingin' London 1965-1974』(ブルース・インターアクションズ)『パスト・フューチュラマ─20世紀モダン・エイジの欲望とかたち』(フィルムアート社)、『倒錯の都市ベルリン─ワイマール文化からナチズムの霊的熱狂へ』(大陸書房)などがある。2016年に400ページを超える洋物ポルノ映画の歴史を綴った大著『ポルノ・ムービーの映像美学─エディソンからアンドリュー・ブレイクまで 視線と扇情の文化史』を上梓、すでに重版となって好評である。