沖縄の戦後史を語る上で欠かせない、瀬長亀次郎を描いたドキュメンタリー映画『米軍が最も恐れ
た男 その名は、カメジロー』が、8月12日(土)より全国に先駆けて沖縄・桜坂劇場にて公開が始まりました。
8月26日(土)から は、渋谷のユーロスペース他順次全国公開となります。
第二次大戦後、米軍統治下の沖縄で唯一人“弾圧”を恐れず米軍に NO と叫んだ日本人、「不屈」の精神で立ち向かった沖縄のヒーロー瀬長亀次郎。民衆の前に立ち、演説会を開けば毎回何万人も集め、人々を熱狂させ、彼を恐れた米軍は、様々な策略を巡らすが、民衆に支えられて那覇市長、国会議員と立場を変えながら闘い続けた政治家、亀次郎。
その知られざる実像と、信念を貫いた抵抗の人生を、稲嶺元沖縄県知事や亀次郎の次女など関係者の証言を通して浮き彫りにしていくドキュメンタリーです。
那覇市・桜坂劇場での初日(8/12(土))の初回では、劇場外まで長蛇の列が 100 メ ートル以上続き、400 人以上の大行列。定員 300 席は満員となり、100 名程のお客様がご入場できないほどの大盛況となりました!
桜坂劇場のスタッフによると、初日の動員記録として、スタッフが在籍している 12 年間では『エヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 (12)に次ぐ第二位、実写映画として第一位を記録!
さらに、過去 12 年間で「上映前にこんな風に拍手が起こったのは初めて」と 驚いた様子。
ネット上では「胸が震えるような映画。上映前に拍手が起こり、何度も涙が出そうになりました」、「この映画をあなた へ、心の底からお勧めします」などの大きな反響が寄せられており、沖縄県民の期待値・満足度の高さが伺えます。
一方、公開日の 8 月 12 日(土)には沖縄で、アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設に反対する大規模な県民大会 が開かれ、主催者発表で約4万5000人が参加。
名護市の稲嶺市長や翁長知事らが登壇し、辺野古移設工事の中止や、普天間基地の閉鎖・撤去を改めて訴えました。本作品には、現在も続く沖縄の闘いの原点が描かれています。
瀬長亀次郎 PROFILE
1907年6月10日、沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に生まれ。沖縄県立二中(現、沖縄県立那覇高等学校)、東京・順天中学(現、順天中学校・高等学校)を経て旧制第七高等学校(現、鹿児島大学)に進んだが、社会主義運動に加わったことを理由に放校処分となる。
1932年に丹那トンネル労働争議を指導して治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑を受ける。
1936年に沖縄朝日新聞記者になり、1938年7月に兵役召集され「中支」へ。1940年に復員し、毎日新聞那覇支局記者として活動。戦後は田井等市助役として避難民の救援にあたる。1946年にうるま新報(現、琉球新報)社長に就任。翌1947年、沖縄人民党結成に参加。1950年に沖縄群島知事選挙に出馬するが、落選。しかし、1952年の第1回立法院議員選挙では最高得票数で当選を果たす。この選挙後に開催された琉球政府創立式典で宣誓拒否したことで占領軍から睨まれることとなる。
1954年10月 沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑で逮捕される。弁護人なしの裁判で、懲役2年の判決を受け投獄された(沖縄人民党事件)。
1956年4月に出獄後、同年12月に行われた那覇市長選に出馬する。米軍から妨害を受けるものの、当選を果たす。その後、占領軍出資の銀行による那覇市への補助金や融資、預金の凍結の措置に遭うが、多くの市民が米軍の弾圧から瀬長を助けようと、自主的な納税に訪れ、納税率は97%にもなったといわれる。これにより自主財源による公共工事再開など、市政運営の危機を脱する。一方、占領軍の意向も働き、反瀬長派は7度にわたる不信任決議を提出するが、いずれも不発に終わる。しびれを切らした占領軍は1957年、高等弁務官ジェームス・E・ムーア陸軍中将が布令を改定(米民政府高等弁務官布令143号、通称「瀬長布令」)、瀬長は追放され、投獄の過去を理由に被選挙権も剥奪された。市長在任期間は一年足らずであったが、那覇市政をめぐる米軍との攻防は、瀬長に対する沖縄の住民の絶大な支持を呼んだ。
1966年12月に被選挙権剥奪規定廃止で被選挙権を回復。翌年、拒否されつづけたパスポート取得が17回目の申請で許可され、11年ぶりの上京。1968年 立法院議員選挙に最高得票で当選する。1970年、戦後初の国政参加選挙で衆議院議員に当選、以降7期連続当選を果たした。1990年に衆院議員勇退。2001年10月5日死去。享年94。
映画『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』公開記念イベント概要
【日時】 8月13日 (日)
本編上映:13時25分~15時05分 イベント:15時25分~16時30分
【場所】 桜坂劇場 ホールA
【登壇者】佐古忠彦監督、演芸集団 FEC の皆様、ネーネーズの皆様
<以下イベント詳細>
初日の熱気は冷めることなく、桜坂劇場ホール A の 300 席がすべて埋まる超満員のなか、本編上映後、イベントは始まった。
沖縄の演芸集団 FEC によるコントは「お笑いカメジロー」、「亀島太郎」、「クイズ瀬長亀次郎」の 3 演目。
亀次郎に絡めたネタで、 熱気に溢れた満席の場内からは終始大きな笑い声や拍手で溢れた。
FEC のコントの後には、FEC のまーちゃんの呼び込みで佐古監督が登壇。
まーちゃんは「亀次郎の映画を(うちなーんちゅ)ではない佐古監督が撮ってくれたことが自分も沖縄の人間も本当にうれしいんだ」と語り佐古監督に感謝を述べた。
佐古監督は「沖縄の戦後の歴史を本土の人はよく知らない。なぜ沖縄の人が辺野古反対と叫んでいるのか、本当のところを分かっていない。昨年、亀次郎に関する 49 分のドキュメンタリーを放送したところその反響がもの凄かった。そこで、亀次郎を通して沖縄の戦後史を描くことで沖縄の人が声をあげている理由を少しでも分かってもらえればと、 追加取材・撮影を行い制作した」と映画制作の経緯を明かした。
その後、佐古監督とまーちゃんの紹介で登場したネーネーズによる ミニライブでは劇中で印象的に使用されている「おしえてよ亀次郎」をはじめ、「ヤガマヤ」、「黄金の花」の 3 曲を披露。
「ヤガマヤ」で は自然と場内から手拍子が起こり、「おしえてよ亀次郎」「黄金の花」では、満席の観客はその唄声に酔いしれていた。
「黄金の花」 は佐古監督が「筑紫哲也の NEWS23」のキャスター時代にエンディングで使用されていた時期もある想い出深い曲。
300 席が満席 となった会場は、映画とコントとミニライブと贅沢な時間を堪能した。
【ストーリー】
沖縄の戦後史。そこで闘った男の生き様を知れば、地続きの歴史が見えてくる。
男は、ガジュマルをこよなく愛した。「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」だと。那覇市を、かつてたった 11 ヶ月だけ率いた、その男が好んで使った言葉がある。それは「不屈」。
1945 年の終戦後、沖縄で、民衆の先頭に立ち、演説会を開けば毎回何万もの人を集めた男。その名は、瀬長亀次郎。団結して立ち向かったのは、戦後沖縄を占領したアメリカ軍の圧政。
祖国復帰へ向 けて民衆をリードした、その人物は、アメリカが最も恐れた男だった━。
監督:佐古忠彦
撮影:福田安美
音声:町田英史
編集:後藤亮太
エグゼクティブプロデューサー:藤井和史
プロデューサー:大友淳、秋山浩之
語り:山根基世、大杉漣
テーマ音楽:「Sacoo」作曲・演奏 坂本龍一
音楽:坂本龍一、兼松衆、中村巴奈重、中野香梨、櫻井美希
2017 年/日本/日本語/カラー(一部モノクロ)/ビスタ/ステレオ/107 分/
配給:彩プロ
©TBSテレビ