早川 雪洲(1886年6月10日 - 1973年11月23日)
(はやかわ せっしゅう、本名:早川 金太郎(はやかわ きんたろう))
セッシュー・ハヤカワ(Sessue Hayakawa)としてハリウッド、ヨーロッパなど世界で活躍した日本の俳優。
ルドルフ・ヴァレンティノと並ぶハリウッドで最初のセックスシンボルとなり、その名を轟かす。
草創期のハリウッドスターとして「悲劇のハヤカワ、喜劇のチャップリン、西部劇のウィリアム・ハート)」と並び称されるほどの人気を博す。
1922年一旦日本に戻るも、歓迎ともに多くの怒号を再びアメリカに戻る。
その後、フランスに渡り、この地でも多くの映画で成功を収め、国際的なスターとしてその名を高める。
また、日独合作映画『新しき土』では、女優原節子のデビュー作となり共演。
1945年再びハリウッドに復帰。そのきっかけは当時の大スターハンフリー・ボガードが若いころからあこがれた早川雪洲を呼び戻し『東京ジョー』に出演。
ハリウッドは16年ぶりに戻ってきたかつての大スターを熱狂的に迎えた。
晩年は歴史的名作『戦場にかける橋』(1958年)に出演しアカデミー助演男優賞にノミネート。
海外での早川雪洲のダイジェスト映像
主な映画出演作
おミミさん(O mimi san 1914年)
監督チャールズ・ミラー(Charles Miller)
雪洲の映画デビュー作。
タイフーン(The tyhoon 1914年 日本公開1922年)
・・・・・・監督レジナルド・パーカー(Reginald Barker)、雪洲初主演作。
チート(The Cheat 1915年)
セシル・B・デミル監督。
国辱映画とされ日本では未公開
異郷の人
(異邦の霊 Alien souls 1916年 日本公開1918年)
ヴィクトリア勲章 (The Victoria cross 1916年 日本公開1920年)
黒人の意気(Each to his kind 1917年 日本公開1919年)
ジャガーの爪(The Jaguar’s claws 1917年 日本公開1919年)
徳利の鬼(The bottle imp 1917年 日本公開1919年)
男子の意気(禁断の道 Forbidden paths 1917年 日本公開1920年)
隠されたる真珠(隠された真珠 Hidden pearls 1918年 日本公開1920年)
彼の家督権(異郷の親、長子相続権 His birthright 1918年 日本公開1920年)
早川が設立した独立プロダクションであるハワース・ピクチャーズ・コーポレーションでの第一作。
薄暗の寺(黄昏の寺院、黄泉の国、陰府の寺 The Temple of dusks 1918年 日本公開1920年)
明暗の人(心の抵当、人質の心、把はれし心 A heart in pawn1919年 日本公開1922年)
蛟竜を描く人(龍の絵師 The Dragon’s painter1919年 日本公開1922年)
独立プロダクション第4作目の作品 監督ウィリアム・ワーシントン
恩に感じて(男を感じて、彼の負債 His debt 1919年 日本公開1921年)
男の血(The man beneath 1919年 日本公開1921年)
勇気ある臆病者(勇敢なる臆病者 The Courageous Coward 1919年 日本公開1922年)
灰色の地平線(血の力 The gray horizon 1919年 日本公開1920年)
桜の光(Bonds of Honor 1919年 日本公開1920年)
輝く公爵(Illustrious Prince 1919年 日本公開1921年)
トング・マン(死線の勇者 1919年 日本公開1922年)
阿修羅の如く(The Brand of Lopez 1920年 日本公開1922年)
悪魔の要求(The Devil’s Claim 1920年 日本公開1921年)
伝説の祭壇(The Traditions alter 1920年 日本公開1921年)
アラビアの闘士(An Arabian Knight 1920年 日本公開1921年)
奮起の王国(乞食王子 The Beggar prince 1920年 日本公開1922年)
怒髪天を衝いて(The first born 1921年 日本公開1921年)
黒薔薇(黒いバラ Black roses 1921年 日本公開1921年)
男一匹の意地(Where lights are low1920 年 日本公開1921年)
スワンプ(沼、The swamp 1920年 日本公開1921年)
かげろふの命(陽炎の生命、5日間の生命 Five days to live 1922年 日本公開1922年)
朱色の画筆(赤い鉛筆、赤鉛筆 The vermillionpencil 1922年 日本公開1925年)
ラ・バタイユ(La battaille 1923年 日本公開1924 年 仏映画)
フランスが初めて国際市場を意図して国家的に作った映画
愛国の軍使(光輝ある王子 The great prince 1924年 日本公開1925年 英映画)
犠牲(J’ai tue! Fidelite,C’est moi qui ai tue 1924年 日本公開1925年 仏映画)
大和魂(早川雪洲の最後に笑う男)
Sessue Hayakawa in “The man who laughs last” 1929年 日本公開1930年
雪洲初のトーキー映画
ダグラスの世界一周
(Around the world in eighty minutes with Douglas Fairbanks 1931年 日本公開1932年)
龍の娘(Daughter of the dragon 1931年 日本公開1931年)
太陽は東より(1932年 日本映画)
松竹映画、早川雪洲が監督を務める
楠公父子(1933年 日本映画)
爆撃飛行隊(1934年 日本映画)
荒木又右衛門・天下の伊賀越え(1934年 日本映画)
唐人お吉(1935年 日本映画)
国を護る者日蓮(国難を呼ぶ日蓮 1935年 日本映画)
新しき土(サムライの娘 Die tochter des Samurai 1937年 日独合作映画)・・
監督伊丹万作、アーノルド・ファンク
原節子が出演
ヨシワラ(Yoshiwara 1937年 日本公開1946年 仏映画)
監督マックス・オフュルス、戦後初めて日本公開されたフランス映画
フォルフェテュール(Forfaiture 1937年 仏映画)
東京ジョー(Tokyo Joe 1949年 日本公開1949年 米映画)
コロンビア映画
監督スチュアート・ハイスラー、ハンフリー・ボガード主演
雪洲のハリウッド復帰作
(この映像には雪洲は登場していません)
三人帰る(三人の帰宅 Three came home 1949年 米映画)
遥かなり母の国(1950年 日本映画)
レ・ミゼラブル(1950年 日本映画)
女間者秘聞・赤穂浪士(1953年 日本映画)
悲劇の将軍・山下泰文(1953年 日本映画)
鞍馬天狗と勝海舟(1953年 日本映画)
日本敗れず(1954年 日本映画)
東京暗黒街・竹の家(House of Bamboo 1955年 日本公開1955年 米映画)
監督はサミュエル・フラー
山口淑子 (李香蘭)と共演(ハリウッド名シャーリー・ヤマグチで出演)
野郎ども表へ出ろ(1956年 日本映画)
怒れ!力道山(1956年 日本映画)
戦場にかける橋(The bridge on the river Kwai 1957年 米英合作映画)
監督デヴィッド・リーン
第30回アカデミー賞 作品賞/監督賞/脚色賞/主演男優賞/撮影賞/作曲賞/編集賞
早川雪洲は助演男優賞にノミネートされた
緑の館(Green mansions 1958年 日本公開1959年 米映画)・・・監督メル・フェラー。
底抜け慰問屋行ったり来たり
(The Geisha boy 1958年 日本公開1959年米映画)
ご存知、ジェリー・ルイスの大ヒットコメディシリーズ。
監督フランク・タシュリン
南海漂流(Swiss family Robinson 1960年、日本公開1961年、米映画)
戦場よ永遠に(任務を超えて Hell to eternity 1960年 米映画)
大津波(The big wave 1961年 日本公開1962年 日米合映画)
熱い血の男(1966年 日本映画)
ボスは俺の拳銃で(1966年 日本映画)
純情二重奏(1967年 日本映画)