2015年に日本でも劇場公開されたドキュメンタリー映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」(2012)の中でライター自身がこう語っている。
ソール・ライター:「私は、ものごとを先送りにする。急ぐ理由がわからない。人が深刻に考えることの中にはそんなに重大ではないことが多い。」
ノンビリとした"時"に対する考えは、そのまま、彼の人生全般のライフスタイルを反映している。
このドキュメンタリー映画への出演の翌年、2013年に89歳で鬼籍に入った。
12歳の時、母からもらったカメラを手にしてから写真に目覚め、28歳になると雑誌「ライフ」にモノクロ写真が掲載されはじめる。
1953年、東京国立近代美術館(京橋)において開催された102名の写真家による214点の写真の展示「現代写真展:日本とアメリカ」で、木村伊兵衛、土門拳、アメリカからは、アンセル・アダムス、アービング・ペン、アーロン・シスキン、エドワード・ウエストン、アーノルド・ニューマン、ハリー・キャラハン、、ベレニス・アボット、W.ユージン・スミスといったそうそうたる面々に混じって、当時、まだ30歳だったソール・ライターもモノクロ作品で参加している。
その4年後の1957年、ニューヨーク近代美術館・写真部門のディレクターでもあった写真家エドワード・スタイケンがライターが撮影したカラー作品20点を選び出し、MOMAにて展示、時を同じくして、ファッション・フォトグラファーとしての彼の華々しいキャリアが始まった。
だが、商業写真家として素晴らしい仕事は、こなしつつ、もしかしたら、人生のボタンの掛け違いのような不具合な思いを長い間、抱えていたのかもしれない。
その後、時を経て、1980年代に入り、自らのスタジオを閉鎖し、商業写真の世界とは決別することとなる。
ソール・ライター:「人生で大切なことは何を成し遂げてきたのか?ではなく、何を捨て去ることができるのか?ということだ」
60歳になれば、誰にでも去来するであろう、或る思い、そして、名声を望まず、ひっそりと生きるシンプルライフを潔く実践するかっこよさ。
時代の流行廃りに囚われることなく、誰とも群れず、唯我独尊で好きな作品を撮り続けてきたソール・ライターの世界に次第に時代のチューニングが合ってくる。
写真家ウィリアム・エグルストンが、カラー写真の新たなる可能性の幕開けを告げたとされる1976年にMOMAで行われた個展。そうした"ニューカラー"と呼ばれるカラー作品による一大潮流よりもはるか20年も前から、ライターは、カラー写真によるストリート・フォトグラフィーの傑作群を撮り貯めていた。
ソール・ライター:「有名人を撮るよりも雨にぬれた窓を撮る方が興味深い」
一期一会、一瞬で判断しなければならないストリートで複雑に練り込まれた画面構成、色彩の魔術師のような豊かな色の使い方、雨、蒸気、煙、雪、ガラス、看板文字、様々な形ある、また意味を持つ人工物をフィルター代わりに遠近感を作り出し、立体的な舞台装置に見立て、その中心に人を配置するグラフィカルな抜群の構図。
作品を眺めていると、当時の時代を覗き見をしているような、もしくは、写る者の一瞬の心象風景なのかもしれない.... と錯覚をしてしまう。
1990年代に入り、ライター作品を長年に渡って、取り扱うニューヨークのハワード・グリーンバーグ・ギャラリーでモノクロ作品、そしてカラー作品が展示された。
長き隠遁生活から再び脚光を浴びることとなるのは、2006年、ドイツの出版社、シュタイデル社が、ニューヨークのストリートをカラーで収めていた初期の作品を「アーリー・カラー」というタイトルの写真集にまとめたのがキッカケだった。
仕掛け人は、ドキュメンタリー映画「世界一美しい本を作る男 ーシュタイデルとの旅ー」(2010)のあのシュタイデルさんだ。
シュタイデル社の匠な本作りの魅力とシュタイデルさんのこだわりの熱意が伝わり、こんな素晴らしい才能をもった写真家が埋もれていたのか?! と一大センセーションを巻き起こすほどの再発見だった。
ソール・ライターの生の写真に触れることで心に染み渡る言葉にできない上質な何か
2015年に英国、ロンドンで行われた世界中のアートギャラリーが一堂に会する、第1回目のPhoto Londonへ仕事で行く機会があった筆者は、前出のハワード・グリーンバーグ・ギャラリーの展示ブースで念願のソール・ライターのカラー写真を拝むことができた。プリントサイズは、大きくはないが、暫し、見入ってしまうほどの色彩だった。デジタルの表現に慣れてしまった目と脳には、新鮮でたまらない何とも言えないカラーが時代を超えて、語りかけてくる。
写真を超えて、まるでレトロな輝きを放つクラシックな宝石のようなリッチな色あい。
一枚のプライスも新型の乗用車が一台手に入るほどの値段だった。
ソール・ライターの色が滲む、映画「キャロル」の都市景観における孤独な人間の心象風景
映画「太陽がいっぱい」の原作で人気小説家となったパトリシア・ハイスミスが、デパートでアルバイト店員をやっていた時、たまたま見かけた客にインスパイアされて、別名義で執筆した小説「キャロル」の映画化に際し、監督のトッド・ヘインズは、撮影のエドワード・ラックマンにソール・ライターの写真集「アーリー・カラー」を参考図書として手渡し、エドは、全編を敢えてスーパー16ミリフィルムであの冒頭のまるでソール・ライターのカラー写真を忠実に再現して動画化したかのような見事なキャロルとテレーズとの運命的な出会いのシークエンスを撮り上げた。
移動し続ける車上の人を撮るので、併走するヨコ打ちの映像なのだが、曇った窓ガラス、水滴、中にいる人物の様子、そして、背景に抜ける光の中に浮かぶ都市景観、観客は彼女らを覗き見ているのだが、まるで孤独な人間の心象風景にも思えてくる。ライターが写真では言葉として表現しきれていない部分を「キャロル」では、補完していて、ああ、映像になるとこういうボキャブラリーになるのか?! と感じさせてくれる。
愛する都市、ニューヨークに50年間暮らし、80歳代になってから、世界から熱狂的に迎えられた伝説の老写真家。
その希有な視線は、日々、見逃しがちな、そこにある風景に隠された美しさを伝えています。
ドイツのシュタイデル社が再発見した伝説の写真家、"カラー写真のパイオニア"と評されるソール・ライターの創造の秘密に迫る日本で初めての回顧展の開催!
ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展 Photographer Saul Leiter: Retrospective
Bunkamura ザ・ミュージアム 2017年4月29日(土・祝日)ー6月25日(日)
休館日: 5月9日(火)、6月6日(火)
主催: Bunkamura
協力: ソール・ライター財団
企画協力: コンタクト
監修: Pauline Vermare(国際写真センター・キュレーター)Margit Herbe(ソール・ライター財団代表)
カバー写真:"Canopy " 1958 ©Saul Leiter Estate